第6章「貼り出された未来と、紙の工程表」
4月25日、火曜日の夕方。
旧市民会館の一室には、折りたたみ椅子が並び、壁際には模造紙とマーカーペンが積まれていた。
窓の外では風にカーテンが揺れ、どこか懐かしい埃の匂いが漂っている。
「じゃあ始めます。出席チェックは朱音が取ってくれるから、みんな座ってー」
いつものように鮎美が号令をかけると、雄大、有紀、史也、郁也、麻里奈、大知、朱音、慧、愛未、モリー、マクシミリアーノ……灯台プロジェクトの顔ぶれが次々と集まっていった。
「これが灯台修復の工程計画表です。市役所に提出する予算書もこれをもとに作ります」
鮎美が広げたのは、赤・青・緑とカラーマーカーで色分けされたスケジュール表だった。
「今日の目標は三つ――資金目標額の決定、募金・バザーの方法確定、担当班の仮割り。全部、今日中に終わらせます」
その堂々たる進行に、教室とは違う空気が流れた。
有紀は思わず雄大の方を見た。
「……鮎美先輩、すごいね」
「うん。誰よりも、先が見えてる感じがする」
「わたし、予定は守れるけど、作るのは苦手だから……ちょっと憧れる」
「俺も……ああいうふうに、人を引っ張れるようになれたらな」
そのとき、ふと背後から声が飛んだ。
「お前ら、小声で感心してないで、案出してけよ~」
振り返ると、郁也がにやりと笑っていた。
「班決めんのに、“自分ら何が得意か”ってちゃんと主張しねえと、あとで地獄見るぞー?」
「たとえば郁也くんは?」と鮎美が即座に返す。
「俺? 焼きそば担当一択で」
「またそれ!? でもまあ、前回フリマの売上ぶっちぎりだったの、あんたの屋台だったもんね」
「でしょ?軽薄に見えて、信頼厚いってやつよ」
その調子に、室内が少し和んだ。
「それじゃ、活動班を五つに分けます。“資金調達”“現場補修”“記録・広報”“文化連携”“行政折衝”。仮割り振りはここ。質問ある人?」
模造紙に貼り出された名前に、全員が視線を向けた。
雄大は“現場補修班”、有紀は“文化連携班”。
目を上げると、互いの名前が、違う列にあった。
「別班か……」
「そっか……」
言葉がかすれた。けれど、その直後、有紀が笑って言った。
「でも、同じプロジェクトだから。つながってるよね」
「うん、きっと」
有紀の視線の奥には、緊張のような、でもどこか安心したような灯がともっていた。
彼女はまだ、人混みや不確実な予定に戸惑う。でも、その中でも“手放さない意志”を持ち始めていた。
班の役割分担が一通り決まったあと、鮎美は手元のバインダーをパタンと閉じた。
「じゃあ次――各班で“来週までにやるべきこと”を決めて、発表してもらいます。時間は10分。役割書いてあるから、忘れずに持ち帰ってね」
その瞬間、教室に似た空気は一変した。
“発表”という単語にざわめく気配。だが、彼女は動じない。
有紀は、自分の班に配られた紙を手にとり、構成メンバーを確認した。
“文化連携班”──有紀、モリー、愛未、朱音。
「この組み合わせ、ちょっと不思議……かも」
「でも、すごくバランスいい気がする」
そう言ったのは、同じ班の朱音だった。
「誰かを責めたり、誰かを放っておいたりしないっていうか。優しすぎず、でも遠慮もしない。……たぶんね」
朱音の声は、まっすぐだった。
少しだけ鋭さを持つ目が、心の奥を覗いているようだった。
「文化連携って、具体的に何をするんですか?」と有紀が尋ねると、愛未が即答した。
「SNS、パフォーマンス、動画、広報。つまり――目立つ仕事!」
「目立つ、か……」
「木村さんもさ、トランペットで何か披露してみたら? 海の見える場所で演奏するとか」
「えっ……」
思わず戸惑う。有紀は注目されるのが得意ではない。けれど、否定する前に、モリーが柔らかく言葉を挟んだ。
「演奏って、言葉じゃないぶん、人の心に届きやすい。私、ハープだからこそ、そう感じるよ」
「……ありがとう」
その言葉が、有紀の中の小さな火を揺らした。
一方、雄大は“現場補修班”の集まりの中にいた。
史也、大知、慧、マクシミリアーノ――いずれも個性が強いが、手を動かすことに抵抗のない面々だ。
「俺、設計の知識少しあるから、図面引けるよ」
「ロープと足場の安全管理なら任せて」
「工具運ぶときは、俺が全部まとめてやるッス!」
――そんなやり取りを聞きながら、雄大は少しずつ、自分の“居場所”が形を持っていくのを感じていた。
休憩の時間。
少し肌寒くなった会館の縁側で、雄大はペットボトルの水を飲んでいた。
その隣に、ふと気づけば有紀が座っていた。
「別の班、ちょっと寂しいね」
「……ああ。でも、さっき“つながってる”って言ってくれたろ」
「うん。……その言葉、今も、ちょっと頼りにしてる」
ふたりの間に、潮風が流れた。
誰かが笑っている声が聞こえ、誰かが紙をめくる音がした。
その全部が、同じ場所にいることの証だった。
「貼り出された名前も、工程表の線も、全部“未来”なんだね」
「うん、そうかもな」
雄大は、ゆっくりと頷いた。
掲示された紙の上では、まだ誰も灯台を完成させていない。
だけど、今日この瞬間に、それぞれの“灯り”が、ともり始めた。
(第6章 了)
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