数学好きな御堂さんは恋をしない

橘七音

御堂綾理は憎めない

放課後の教室。忘れたプリントを取りに戻った僕は、偶然その場面を目撃した。


 黒板の前で学年一の美女と呼ばれている――御堂綾理みどうあやりが、告白されていた。


 相手は隣のクラスの高橋君。バスケ部で、見た目も性格もそこそこ良い。

 その彼が、少しうつむきながらも真剣な表情で言った。


 「あの……御堂さん。ずっと気になってたんだ。もしよかったら、俺と付き合ってくれないかな」




 御堂さんは、数秒間じっと彼を見つめていた。

 教室に沈む夕日が、彼女の顔を淡く照らす。

 まるで彫刻のように整ったその表情には、感情の色が見当たらなかった。


 やがて、彼女は淡々と口を開いた。


「交際関係に移行した場合、“半年以上の継続”を交際成立の基準とすると、この学校全体での平均はおよそ30%。

 でも、“偏差値65以上の女子生徒 とスポーツ推薦で入学した男子生徒”に限定すると――

 過去10年間で28件中、継続したのは1件だけ」


 高橋君が戸惑った顔をするのも構わず、御堂さんはスマホを取り出してスワイプした。

 スプレッドシートが開かれ、学年・成績順位・入試区分・交際期間などが精密に並ぶ。

 その上には、棒グラフと有意差検定の結果表示。


 ――なんでそんなもんがスマホに入ってんだよ。いや、そこまで調べてる時点で恋愛にめっちゃ興味あるだろ!


 「帰無仮説を“その組み合わせでも交際が長続きする”と設定し、検定した結果――P値は、0.0423。

 有意水準5%を下回るから、統計的に意味のある差と判断できるわ」


 「つまり――あなたの“好き”という主張は、錯覚として棄却されるべき」


 彼は何も言えなくなり、顔を真っ赤にして逃げるように教室をでていった


 彼女は何事もなかったかのように自分の席へ戻り、ペンを走らせ始める。

 ノートには、もう次の問題が展開されていた


 ……なに今の。


 恋の告白を、よく分からない理論で論破する女子。

 しかもそれを当然のようにやってのける“学年一の美人”。


 ――御堂綾理。

 そして、これから僕の隣の席になる相手だった。




◇◇◇




翌朝、教室に入ると大多数のクラスメートはもうすでに登校していた。


僕は自分の席に向かう。視線の先にいるのは――御堂綾理。


 その姿は、やっぱり周りから美人と呼ばれるだけあって、遠目にも映える。

でも表情は相変わらず無機質で、いつものように何かを必死にノートに書きこんでいる。


……よし、と。小さく気合いを入れて、席に座る。

「……おはよう」


 一応、挨拶だけはしてみた。が――返事は、ない。


(……やっぱり、無視か?)


 だが数十分後。1時間目のチャイムが鳴る少し前――


「……おはよう」


 ふいに、御堂さんが小さくつぶやいた。


 驚いて顔を向けると、彼女は平然とノートをめくりながら、こう付け加えた。


「さっきは計算してたから。今、挨拶を返したの」


 ……なんだこの人。


 返事が遅れた理由が“計算中だったから”って、やっぱり変な人だな。


「……あ、うん。ありがとう」


 思わず礼を言ってしまった僕に、御堂さんは何も言わず、また静かにペンを走らせる。


 隣の席から聞こえるのは、シャッシャッと紙を擦る音と、たまにささやかれる数式の独り言だけ。


 こうして、僕と御堂綾理の、ちょっと変わった“隣人関係”が始まったのだった。


◇◇◇


昼休み


「あれ?御堂さん……お弁当、忘れたの?」


 購買部から帰って隣を見ると、御堂さんの机にはいつものノートだけ。昼ごはんの気配はない。


「忘れてません。あえてよ。空腹時のほうが集中力が向上するという論文が――」


 ――ぐぅぅぅ~~~~……


 全力で鳴るお腹。


「…………」


「…………」


 御堂さんは少し耳が赤くなったまま答える。


「ち、違う。今のは――ただの生理的反応だから。腹鳴(ふくめい)といって、胃腸内の空気と液体の移動による――」


「いや、お腹空いてるだけでしょ!?」


 笑いながら、僕はパンの袋を取り出す。


「ほらパン、多めに買ってきたから、よかったら一個食べて――」


「……いらな……いや、いる」


「どっちだよ」


 御堂さんはパンを受け取ると、小さく頭を下げた。


「……ありがとう」


 その姿が、いつもよりちょっと人間らしくて、僕はつい――


「いつもそれくらい……素直に言えば、可愛いのに」


 その瞬間、御堂さんの手がピタッと止まった。


「――な、何言ってるの、急に……。ば、ばかなの?」


 目をぱちぱちさせて、頬を赤く染める御堂さん。


 そして、慌ててノートを開くと、やけくそ気味に何かの数式を書き込んでいる。


「こ、このパンは統計的に見て、幸福度が12.6%向上しているようね」


「凄い分かりやすく慌てるね」



◇◇◇



放課後  

少し小腹がすいたなと思った僕は近くのコンビニへ立ち寄った。


 すると――


「……え」


 レジ横のスイーツコーナー。その前に、あの無表情な天才少女がいた。


 御堂綾理。


 学年一の才媛が、真剣な目でプリンを見比べていた。


 「御堂さん……何してるの?」


 思わず声をかけると、彼女は少しも驚かず、まるで計算の途中で邪魔が入ったかのように少し不機嫌そうな口ぶりでつぶやいた。


 「選定中よ」


 「プリンを?」


 「そう。幸福度スコアの最大化を目指して」


 「は……?」


 彼女は頷き、手にしたスイーツを見つめながら語り出す。


 「このコンビニには、現在三種類のプリンがある。価格、内容量、糖質量、ビタミン量、パッケージの印象……それらを多変量解析し、幸福の最大公約数を算出しているところ」


 「ちょっと待って? 今、プリン選んでるだけだよね? 何でそんなに理屈っぽくなってるんだよ」


 「違うわ。“幸福”を選んでるの」


 「名言っぽく言ったけどさあ!」


 彼女は、つとめて冷静にこう続けた。


 「全体の幸福度スコアとしては、この『濃厚焼きプリン』が最も高い。甘さの質、価格帯、満腹指数、見た目の可愛さ……どれも高水準で安定している。これは……そう、“幸福のデパート”と呼べるわね」


 「見た目の可愛さとか、完全に感情じゃん! 数字の皮かぶった感想じゃん!!」


 思わずツッコんだ僕に、彼女は首をかしげた。


 「何か問題が?」


 「あるよ! プリンの幸福度に“満腹指数”って何!? そもそも幸福スコアって聞いたことないんだけど!?」


 「私が作ったもの」


 「やっぱりかよ!」


 彼女はそこでようやく視線を上げた。プリンを持ったまま、真面目な顔で。


 「でも、この“幸福スコア式”――私はけっこう気に入ってるの」


スマホのメモ欄にはよく分からない数式がごちゃごちゃと書いてあった。


 「……ははっ」

 気がつけば僕は、笑っていた。


「なんで笑うのよ」


「ごめんごめん、何かこういうのに真剣に考えてるとこ想像したら面白くなっちゃって。うん、御堂さんらしくていいかも」


彼女は無表情だが少し頬が赤く染まった気がした。


 天才だけど、変人。でも、どこか憎めない。

 これが――僕の隣の席の、御堂綾理という女性だ。




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