第34話

 王立セレナ獣医学研究センターが世界的な名声を得るにつれ、予期せぬ事態も起こり始めた。ルキウス王子が、流刑された修道院から脱走し、セレナの元へ向かっているという報せが届いたのだ。彼は、未だにセレナへの歪んだ執着を捨てきれず、彼女の成功を見て、再び彼女を自分のものにしようと画策していた。


 ルキウスは、かつての傲慢さは影を潜め、やつれた顔には、狂気にも似た光が宿っていた。彼は、自らの失墜の原因がセレナにあると妄想し、彼女を憎むと同時に、手に入れたいという矛盾した感情に苛まれていた。彼は、セレナの功績を奪い、再び王妃の座に据えることで、自らの名誉を取り戻そうと目論んでいたのだ。


 アルフレッドは、この報せを聞くと、すぐに警護体制を強化した。センターの周囲には、王宮騎士団から派遣された精鋭の騎士たちが配置され、厳重な警戒が敷かれた。セレナは、ルキウスの行動に辟易し、深い溜息をついた。


「もう、私には彼の相手をする時間はありません。動物たちの命を救うことの方が、ずっと大切なのです」


 しかし、ルキウスは、巧妙な手口でセンターの警備を掻い潜り、セレナの研究室へと侵入してきた。彼は、セレナが顕微鏡を覗き込んでいる背後で、静かに彼女の名前を呼んだ。


「セレナ…! やはり君は、僕の隣にいるべきだ! 君の才能は、僕の王国のためにこそ使われるべきなのだ!」


 ルキウスの声は、以前のような威圧感はなく、むしろ悲痛な響きを帯びていた。セレナは、振り返り、冷たい目でルキウスを見つめた。彼女の顔には、何の感情も浮かんでいなかった。


「ルキウス王子。あなたと私には、もはや何の関係もありません。あなたは、あなたの道を進んでください。私も、私の道を進みます」


 セレナは、きっぱりと言い放った。その言葉は、ルキウスの心臓に、まるで氷の刃が突き刺さるようだった。


「な、何を言っているのだ! 君は僕のものだ! 君は僕の王妃となるべき存在なのだ!」


 ルキウスは、セレナの腕を掴もうと、手を伸ばした。その瞬間、セレナの背後から、雷鳴のような声が響き渡った。


「その手を離せ、ロゼリア!」


 現れたのは、レオンハルト公爵だった。彼は、ルキウスの背後から現れ、その腕を強く掴んだ。彼の目は、怒りに燃えていた。


「ロゼリア! あなたの愚行は、もはや許されません! セレナ殿下は、この世界の獣医学の未来を担う方だ! あなたのような、自己中心的な考えを持つ者に、彼女を傷つける権利などない!」


 レオンハルトの怒声が、研究室に響き渡った。その時、もう一人、セレナを守る存在が現れた。アルフレッド騎士だった。彼は、ルキウスの背後に回り込み、その動きを封じた。


「王子殿下! これ以上、セレナ様にご迷惑をおかけすることは許されません! あなたの行いは、最早『病』です!」


 アルフレッドの言葉に、ルキウスは完全に打ちひしがれた。かつて、自分の隣にいたはずの二人が、今、自分に刃を向けている。彼は、自分の行動が、いかに多くのものを失わせたかを、ようやく理解したのだ。ルキウスは、その場で崩れ落ち、嗚咽を漏らした。彼は、完全に敗北を認めた。


 ルキウス王子は、その後、再び修道院へと送られた。しかし、今回は、彼自身の意思で、改心するために修道院での生活を送ることを選んだ。彼は、セレナの存在が、自分の過ちを気づかせてくれた唯一の光だと、ようやく理解したのだ。



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