第4話
ある晩、セレナは寝付けずに王宮の庭園を散歩していた。月の光が煌々と輝き、庭園の隅々まで照らしていた。季節は初夏で、夜風が心地よく肌を撫でる。ふと、奥まった場所に人影を見つけ、セレナは思わず物陰に隠れた。そこにいたのは、ルキウス王子と、社交界の華として名高い伯爵令嬢、リリアーナだった。リリアーナは、ルキウスよりも数歳年下で、明るいブロンドの髪と、可憐な容姿で多くの紳士を魅了していた。彼女の父は、王国の有力貴族であり、ルキウスの政治的な基盤を支える存在だった。
二人は親しげに寄り添い、ルキウスの顔には、セレナには向けられたことのない、甘く蕩けるような笑みが浮かんでいた。その笑みは、セレナが初めて見るルキウスの表情だった。リリアーナは、ルキウスの腕に体を預け、恍惚とした表情で彼を見上げていた。
「ルキウス様…わたくし、あなたがいてくだされば、何もいりませんわ」
「リリアーナ、君こそ僕の唯一の光だ。セレナのような堅苦しい女とは違う、君の柔らかな心が僕を癒してくれる」
そんな会話が、セレナの耳に届いた。セレナは、その光景を目の当たりにして、怒りよりも、むしろ諦めと、どこか安堵に近い感情を覚えた。心臓がドクンと跳ね、これはチャンスだ、と直感した。これで、この息苦しい婚約から解放されるかもしれないという希望が、微かに彼女の心に灯ったのだ。彼女の心に、暗い影が差し込むことはなかった。むしろ、目の前の二人の姿を見て、ようやくこの重苦しい役目から解放される、という解放感に満たされた。
数日後、セレナはルキウスを問い詰めた。王宮の執務室で、彼は優雅に紅茶を飲んでいた。いつものように、完璧な笑顔を浮かべて。セレナがリリアーナとの密会について切り出すと、ルキウスは一瞬眉をひそめたものの、すぐに開き直った。彼の顔には、微塵も悪びれる様子はなく、むしろ「よくぞ言った」とでも言いたげな傲慢さに満ちていた。彼のプライドが、彼の行動を正当化していた。
「何を怒っているのだ、セレナ? 君は僕の隣にいるべき美しい花だ。だが、君は動物などという下賤なものに現を抜かし、王妃としての品格を損ねている。この国の王妃は、完璧な淑女でなければならない。しかし、君は…どうだ? 君の手は、いつも薬草の匂いを纏い、時には泥や血で汚れている。王妃として、国民の前に立つにふさわしい姿か?」
ルキウスは、セレナの手を指差し、嘲るように言った。
「リリアーナは、僕の隣に立つにふさわしい、完璧な王妃となるだろう。彼女こそ、僕の求める理想の女性だ。君のような、泥臭い女では、王妃は務まらないのだ」
彼の言葉は、セレナの心を傷つけるどころか、彼女の心を覆っていた重い鎖を、ついに断ち切るものとなった。セレナは、彼の言葉を冷静に受け止めた。彼女の心は、もう動揺することも、悲しむこともなかった。長年、彼女を縛り付けてきた鎖が、今、目の前で砕け散る音を聞いたような気がした。彼女の顔には、むしろ清々しささえ浮かんでいた。
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