ももの遅贄

リンシス

前編

 私は、饗醒あいねずめぐる

 生まれてすぐ死んじゃったお母さんがつけてくれた

 この名前だけが、思い出しても苦しくない記憶。


「ねぇ、聞いてんの、ドブネズミ?」


 で、今は見ての通り、クラスメイトに虐められてる。

 いつも通り、本当に最悪。


「ちょっとくらい言い返すとかしないわけ?

 ほんと見た目も中身もキモいんだか、らっ!」


 蹴られるのを数えるのも飽きた。

 私を踏む上履きの裏面も見飽きた。


「あんまり強く蹴ったらバイキン飛び散るかもよ?」

「バイキン?」

「ネズミって危ない菌いっぱい持ってるんだって」

「うっわ、マジぃ?まぁでもそっかぁ。

 髪の毛ありえないくらいガサガサだし、

 長さもバラバラすぎ、きったな~い!

 こんなのに近づいたら何感染うつされるかわかんないかぁ!」

「だから、ね、もう少しグリグリする感じで……

 そっちのほうが惨めだから……ふふっ」


 周りの子も、先生も、止める気がない。

 不登校になろうかと何度も思った。

 でも、家は家で最悪だから結局変わんない。


 私はこの程度の奴なんだって、生まれた時から決まってるんだ。

 きっと、このまま誰にも愛されずに死ぬんだ。


「おい、お前ら!」


 急に叫び声。

 あ、確かあの子は、冬越ふゆごえももちゃん。


「百ちゃん、いまこいつと遊ぶので忙しいから」

「環は汚いドブネズミなんかじゃない!」

「は?急に何?こいつと百ちゃんはなんの関係も無いでしょ?」

「うるさい!いいから虐めるな!環が傷つく!」

「……はぁ、外野だったからって調子に乗らないでよ」


 蹴ってきた子が百ちゃんに何回か乱暴した。

 百ちゃんは殴られても平気そうで、一発だけ反撃して、いじめっ子が倒れた。


「ぐっ……」


 流石にクラスの雰囲気も、百ちゃん側についた。


「……ふ、ふん!そんなにネズミが好きなら勝手にすれば!」


 いじめっ子達が自分の席に戻っていった。


「大丈夫かぁ?環ぅ」

「……え、あ……うん」

「うわ、こんなに汚れて、跡もついて……酷いなぁ」

「……」

「なぁ、家でも大変なんだろ?百の家、来るかぁ?」

「……え、いい……の」

「おぅ!」


 百ちゃんのオレンジがかった髪に、真ん丸な瞳がこっちを見てる。

 相変わらずすごい薄着で、いつもどこかしらに絆創膏があるけど、

 そのワイルドさすら頼もしく見えた。

 誰かがお日様みたいに輝いて見えたのは初めて。




 まず、お風呂に入った。

 初めてシャワーからお湯が出るところを見て、好きなだけ浴びられた。

 ボディソープも、シャンプーも、コンディショナーも、初めて使った。

 湯船に入ったときは感動した。


 お父さんに使っていいって言われるのは、小さいプラ桶に入る分の水だけ。

 シャワーを使ったら怒鳴られて、裸のままぶたれる。

 運が悪かったら、身体のまで乱暴される。


「ほら、本当の環はこんなに綺麗なんだぞ」

「わ、私が、綺麗……」


 お風呂から上がったあとは、すごく美味しい料理をたくさん食べた。

 作ったことはあるけど食べたことはないものばかりで、すごかった。

 ネットもテレビも見れなくて流行りを何も知らない私とも、

 百ちゃんは楽しそうに話してくれた。


 いつもはお父さんに料理を作ってあげて、

 私は料理の余りものと、下処理で捨てるとこを食べる。

 白菜の芯とか、じゃがいもの皮とかも、慣れれば食える。

 お父さんの分を食べようとしたら、ずっと殴られる。


「そ、その……百ちゃんの、家族は……?」

「…………お出かけ中だぞ!」


 百ちゃんに髪を軽く整えてもらって、

 自分でもびっくりなくらい、可愛くなった。


 私は不器用すぎて顔や耳を切るし、

 お父さんに頼んでもハサミを投げ返されるだけだった。


「も、百、ちゃん……あ、あり、がと」

「百がやりたくてやったんだから気にすんな!

 めぐも色々すっきりしただろ!」

「め、めぐ……?」

「めぐるだから、めぐ!それともあだ名は嫌か?」

「い、いや!……だい、じょうぶ……」


 私は初めて幸せというものを知った。

 こんなに明るい顔で見てくれるのも初めてだった。

 両手で大切に私の手を握りしめてくれるのも初めてだった。

 百ちゃんとずっと一緒にいたいと思った。


「あ、そろそろ暗くなるな。どうだ、泊まってくか!?」

「い、いや、お父さんが怒るから、ごめん……」

「そ、そっか。じゃあまた明日、来てくれよな!」


 百ちゃんと別れて、家に帰った。

 百ちゃんがそばにいないと、とても不安になった。

 帰ったら、お父さんは何も言わずに何回か殴ってきた。

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