第28話「どっちなんだい!」

 ユウナの頭の中では、さっきのやりとりがぐるぐると渦を巻いていた。信次郎と並んで歩きながら、まだ整理がつかずにいた。


 町に行く途中、信次郎と無言で歩いていた。言葉がないことが、逆に意識させる。

(なんで何も言ってくれないんだろう。決闘で勝って、私を託されたんだから、もう、あれしかないよね)


 馬つなぎ場の屋根が見え始めた頃、信次郎が何か言いかけた。 (ついに来た……かも。いや、もうちょっと雰囲気考えてよ。でも、こういう日常のふとした時に言うってのも……悪くないかも)


 そのとき、教会の職員が手を振って近づいてきた。

「なぁ、彼女って言っていいのか? 奥さんか?」


「いや、まだ、そういうんじゃ……」


 その言葉を、ユウナは聞き逃さなかった。


(“まだ”ってことは……いずれ、そうなるってこと?)


 からかわれて、顔が熱くなる。


(いやいや、落ち着け私。勘違いだったらどうすんのよ……!)


「そうだったな、あなたは――」


「やめるときもぉ……


すこやかなるときもぉ……


愛し合うときもぉ……


糞まみれのときもぉ……」


(ナイス、教会のお兄さん……! これはもう、言うしかないよね?)


「がんばれよっと!」


(そこは、信次郎をけしかけてよ!)



 町の外れにある厩舎へと足を運ぶと、リオンが馬の手入れをしているのが見えた。遠目に見えるその姿に、ユウナの胸がざわついた。


(お父さんがいなくなって、困っていたときに助けてくれた。あの時は、本当に王子様みたいだった)


 でも、今思えば──

(リオンとは、なんだかテンポが合わなかった。てきぱきと何でもこなすその姿に、私は追いつけなかった。いつも一歩、二歩、置いていかれている感じ)


 そして、司祭様から聞いた“婚約者がいる”という話も、どこか胸の奥に、棘のように引っかかっていた。


(リオンはカッコいい。見とれてしまうことだってある。でも――)


(私は、信次郎と歩んでいくって決めた。この人となら、きっと、畑をよみがえらせられる。ゆっくりでも、同じペースで)


 リオンは教会の裏で馬を手入れしていた。視線が交わった気がしたけど、彼はすぐに顔をそらした。


 その仕草に、もう終わったはずの何かが、胸の奥でかすかにざわめいた。



 一方のリオン――

(決闘の翌日に、ユウナに会うのは……正直きつい)

 決闘で敗れた悔しさよりも、彼女の隣にいた“あの男”の存在のほうが、心に残っていた。


(あの手袋、あれはお父さんのだ。すぐにわかった。嫉妬だった。あいつの気持ちをはかる余裕なんてなかった。強ささえ見せれば、守れると思ってた。追い払えると思ってた。……それが、全部間違いだった)


 でも、現実は違った。

(あいつのほうが、強かった。きっと、思いの強さも……)


 教会まで案内したい気持ちはあった。けれど、あの人の顔を見たくなかった。


 リオンは、そっとたてがみに手を滑らせ、深く、静かに息を吐いた。



 教会の庭先に出ると、信次郎がきれいな女性と話している姿が目に入った。


(あの人……主教のお嬢様じゃなかったっけ。でも、どういう関係なの? リオンの婚約者……だった、よね?)


 笑顔で談笑する二人。そのとき、彼女が何かを言い、信次郎が笑い返す。


(……鼻の下、伸びてた。あれが、そういう顔なんだ。私には……見せたことないのに)


 さらに、彼女から高価そうな石鹸が手渡される。


(石鹸……なにそれ。もしかして、あの人に会うために、油粕なんて口実で来たの?)


 帰り際、彼女がかけた清潔魔法。そのときの信次郎の顔。


(あの時、気持ちよさそうだった。……私が両手にかけたときとは、違う顔)


(比べたくなんて、なかったのに。そんな自分が、ちょっと悔しい)


(あんな人がライバルだったら……絶対にかなわない。けど、リオンの婚約者だし。ちがう、よね……?)


 帰り道。二人きりの静けさが、なおさら耳にしみる。


(おい、信次郎、なんとか言いなさいよ……おぃ)


 その沈黙の中で、信次郎がぽつりとつぶやいた。


「……これが欲しかったんだ。俺たちの畑には、絶対必要なんだ」

 “俺たちの畑”——その言葉が、胸の奥にじんわりとしみこんだ。


(“俺たち”ってことは、やっぱり、私のこと……考えてくれてるの?)


ユウナは、かすかに笑って小さくうなずいた。


「……うん」


 沈黙。

 気まずさとも、緊張とも違う、何かもどかしい空気。


 ユウナが、ためらいがちに口を開く。

「……あの人、きれいだったね」


「え? 誰?」


「……主教のお嬢さん」


「んー……まあ」


「ふーん……」


「石鹸もらってたね」


「あー……あれ? 石鹸?  ああ、別に……そういうんじゃ……ない、と思う。……俺なんか使ったってしょうがないし……ユウナのほうが、こういうの似合うと思って」


(……嬉しいけど、なんかややこしい。あの人からもらった石鹸なのに)

(私が気にしすぎ? でも、素直に喜んでいいのか、ちょっとわからない)


 数歩進んだところで、信次郎がふと立ち止まった。


「でも、あの人より……ユウナのほうが話しやすいけどな」


「……えっ?」


「なんか、気を使わなくていいっていうか。うまく言えないけど」


 それきり、また前を向いて歩き出す。


(……ん?どういう意味?)


 ユウナは一歩遅れて歩きながら、唇をかすかに噛んだ。


(もう……そういうの、もっとちゃんと言ってくれたらいいのに!)

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