『モンスター採用窓口ですが、なにか?』― 異世界ハロワに転職した俺が、面談で適材適所、世界を救う―

縁肇

プロローグ前編 人切り魔と呼ばれた男



 ──こちらが退職届と、守秘義務の誓約書、それと未払い残業放棄の同意書です。お名前と押印をお願いします。


 無機質な会議室。白い壁、蛍光灯の音だけが響く中、佐伯は卓上に三枚の書類を並べ、冷ややかな声音でそう言った。


 スーツは仕立てが良く、皺一つない。七三分けの黒髪は固められ、額に一切の乱れを許していない。痩せた頬と眼鏡の奥の双眸は濁りなく、温度もない。ただ淡々と、次の“処理”を進める業務ロボットのように。


 対面に座る川端は、肩の落ちたスーツに力が入らず、顔色も悪い。目の下にくっきりとしたクマ。彼の手は震えていた。


「……おかしいだろ。昨日まで、何も言ってなかったじゃねえか」


 声は掠れていた。佐伯は書類を整えながら、形だけの微笑を浮かべた。


「“昨日まで”は必要だったというだけです。本日からは、そうではない。それだけの話です」


「ふざけんな……! 営業成績3位だぞ──!」


「“3位”という主観評価は、組織では通りません。……はい、今月の客観的評価票。ご確認を」


 指先で差し出されたのは、A4一枚の紙。赤字で“D”の文字が印刷されていた。川端はそれを握り潰した。


「……妻が……来月、子ども産まれるんだぞ。しかも臨月だ。こんな、今じゃなくても──」


「だからこそ、退職金を上乗せしました。三十二万円。平均より多いです。誠意は尽くしたつもりです」


「三十二万で何ができる!? お前、それでやっていけると思ってるのかよ!」


「さぁ? これは会社の評価ですので、私に言われましても……ねぇ?」


 川端の顔が歪む。こめかみの筋肉がぴくつき、口を開きかけては閉じた。


「……佐伯、お前……“人切り魔”って呼ばれてんだよ、社内で……!」


「あら、知名度が上がって嬉しいです」


「笑ってんじゃねえよッ!! 何人潰してきたか、わかってんのかよ……!」


「もちろん、全員記録しています。進捗管理も得意でして」


「このっ……!」


 そのときだった。佐伯のスマホが震えた。


 彼は一瞥し、画面に指を滑らせる。そこには、未読のLINE通知が赤く浮かんでいた。


《瑠翔が倒れた。救急車で病院へ。至急来て》


 佐伯はその通知をタップするでもなく、長押しして削除した。表情は一切変わらない。背筋を伸ばし、眼鏡を直す。


「……今の、お前の子どもだろ。倒れたって……!」


「勤務時間中に家庭の話を持ち込むのは、業務規律違反です」


「何言って……お前、それでも親かよ……!?」


「ご自分の心配をしては? ああ、貴方もこれから退職するから、家族に心配をかけますねっ」


 冷笑混じりの声とともに、佐伯はふっと息を吐き、皮肉に口角を上げる。顎のラインは細く、痩せた頬に一切の情がない。まるで“他人の不幸”を業務として処理しているだけの男だった。


「ふざけるな……俺の家族を、バカにしやがって……!」


「ご家族をバカになんてしてませんよ。ただ、貴方の馬鹿さ加減を不憫に思うだけです」


 川端は血管が切れそうになるも、堪えた。そして声を低くし、熱を孕ませて訴えた。


「今にも生まれそうな妻がいる。不安定な妊婦だぞ……! なのに、何の前触れもなくこんな紙を突きつけて……!」


「紙ではなく、退職書です。人生からのね」


「……この野郎!!」


 拳が振り上げられた。机の端を越えて、佐伯の頬を直撃する。


 眼鏡が吹き飛び、黒髪がわずかに乱れた。右頬には朱が浮かび、だが佐伯は、血が出ていないことを確認すると、静かに髪を撫で直す。


「……ああ。暴力、入りましたね。録音、完了しています」


 インカムに指を当て、平坦な声で言う。


「至急、会議室三へ。暴力行為の現行犯です。映像と音声、両方記録あります」


「ふざけるなッ……!! てめぇが先に……!!」


「“先に”感情的になったのはあなたです。契約上の問題ではありません」


 すぐにスーツ姿の警備員が扉を開け、川端に手をかけた。


「離せ……! 俺は、こんなやつに……!!」


「どうぞ、大声も録音されていますので」


 川端は暴れるも、押さえつけられながら絶叫する。


「……お前みてぇな冷血人間が、家族を語るな!! てめえのせいで、何人が泣いたと思ってんだよ!!」


 佐伯は、そっと眼鏡を拾い上げ、微笑んだ。


「人が泣くのは、たいてい“自分の責任”に気づいたときです。……よく、お考えください」


 会議室の扉が閉まり、静寂が戻る。


 佐伯はスマホを開いた。

 画面には、再び同じ通知が浮かんでいる。


《瑠翔、意識ありません。病院に来て。パパでしょ?》


 無言でスリープに落とし、ため息ひとつも吐かず、画面を伏せた。


「……ああ、名誉毀損と暴行の件。弁護士に回しておきます」

「あなたの“感情”の代償、きちんと数字にして差し上げますから」


 デスクには、リストが山のように積まれていた。


 ──対象候補:営業部、事務局、情報処理課……


 誰から切ろうか、と視線が滑る。


 その目に、情は一切ない。


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