永遠に咲く花を

星月紗那

第1章 若き花は紅く燃ゆ

プロローグ

 ある日、昔の夢を見た。


 幸せな夢だった。お父様もお母様も生きていて、皆が笑っていて、祖父も祖母も優しく抱きしめてくれた。


 そんな幸せな夢は、一瞬で悪夢に変わった。


「危ない!!」


 誰かの叫び声が響く。振り返ると、三本の矢が私に向かって放たれていた。気づいた時には、矢はもうすぐそこまで迫っていて、その先端に血と毒が塗られているのが見えた。


 殺される____


 そう思った次の瞬間、母が私の目の前に現れた。


 矢の一本は私を庇った母の腹を貫き、もう一つは母の頭を掠め、私のすぐそばへ刺さった。母は倒れ、その頭からは鮮血が流れた。


 その後のことは覚えていない。私の足にももう一本の矢が掠っていたようで、毒によって気を失ってしまったから。


 あの事件で、母がお腹にいた妹とともに死に、父は豹変してしまった。


 母を殺した犯人を探すことだけに没頭し、調査に明け暮れて精神を病み、最終的には酒に溺れた。私たち兄妹には、父の精神を支えてやることはできなかった。


 父は半年も経てば善悪の判断もつかなくなり、父と向き合い支えようとした兄にすら刀を向けた。


 その後のこともまた、私は鮮明には覚えていない。ただ、愛する父が愛する兄を傷つけたことに、腹の底から湧き上がるような怒りを感じたことは覚えている。


 次に気がついた時には、父の部屋は血にまみれ、大量に出血した父は息絶えていた。その時、なぜか自分も抜刀していて、その刀が父の血に濡れていたということだけは、記憶の一ページに深く刻まれている。


 両親が死に、世界は豹変した。


 なぜなら、私の父と母はこの世界の皇帝と皇后であったから。


 他者の血肉を欲する、不老長寿の異端の異能者・愚者ぐしゃが大陸に進出し、戦争が始まり、街は数日で火の海と化した。皇族は王族と結託して愚者と戦ったが、統治者である皇帝のいない軍隊はなかなかまとまらず、劣勢なのは確かであった。


空磨くうま水月すいげつゆい、どうかお前たちだけでも生き延びてくれ。龍二りゅうじくん、君に我が孫とこの世界の未来を託そう。我々は皇族として、最期まで戦い抜くことにするよ。子どもたちをどうかよろしく頼んだ」


 祖父のあの言葉は、今でも嫌というほどに耳にこびりついている。父の側近・龍二に見ず知らずの扉へ押しやられ、その先に広がっていた全く知らない別の世界で暮らさねばならなくなったことも。


 長い間ぎゅっと大切に握りしめていたはずなのに、ある日突然見知らぬ誰かによってむごくも開かれたその手からこぼれ落ちた幸せと希望。


 絶望しながらも、その手に残った僅かな幸せで描いた儚い夢ですら、瞬く間に掻き消された。




◆◇◆◇◆




「……なんて嫌な夢」


 夢にしては鮮明な悪夢から目を覚ました一人の女の子は、ふとそんなことを呟く。


 彼女の部屋の窓から柔らかな朝日が覗き、小鳥が庭の木々で戯れている。嫌な夢を記憶から追い出すためか、彼女はそれをしばらくぼーっと眺めていた。


 数分後、彼女の部屋の扉がノックされた。


「水月、起きろ! そろそろ見回りの時間だぞ!」


 扉の奥で、兄の声がした。どうやら迎えに来てくれたらしい。


「今起きたわ、着替えて行くからちょっと待って頂戴」


 ひょいっと寝台から降り、衝立の奥へ向かった彼女は、“龍月組りゅうげつぐみ”の紋印もんじるしが堂々と書かれた袴を綺麗に着付けた。鏡をじっと見て一度深呼吸し、そのまま部屋の一角の棚に飾られた二つの遺影に向かう。そっと目を閉じ、両の手を合わせた。


「行ってきます、お父さま、お母さま」


 柔らかな笑みをふと浮かべた水月は、狐面きつねめんで顔の上半分を、ヴェールで顔の下半分を隠し、部屋を出る前に淡い桃色の羽織を手にした。


 亡くなった父から受け継いだ宝、“龍月組”を背負った彼女は、強い決意を胸にその部屋を出た。

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