スターチスの愛

蒼本栗谷

変わらぬ愛

 五月二十一日。藍里あいりが死んだ。酔っぱらいの男に車で跳ねられて——即死だった。

 二週間後には俺達の五年目結婚記念日が控えていた。いつものようにお互いプレゼントを買って渡す。ただ、それだけのなんてことはないことだったのに。

 きっと藍里は俺に渡すプレゼントを買いに行っていたのだろう。こんなことになるなら、こんな約束をしなければよかったと俺は後悔した。だけど、後悔した所で藍里は帰って来ない。もう、会えない。

 

 ある日、買った覚えのない箱が家に届いた。

 そんなものを買っていない! と俺は配達員に言おうとした——だけど、言えなかった。

 何故なら、箱には妻の、藍里の名前が書いてあったのだ。そんなものを見て、いらないなどと言えるはずがなかった。

 

「藍里、何を買ったんだ」


 俺は恐る恐る箱を開けた。——黄色の花が入っていた。

 何の花か分からなかった俺は花をスマホで読み取り、検索した。——スターチス。と検索欄に出てきた。

 何故こんな花を? 俺は花の知識なんてものはないので、スマホでスターチスを調べて、驚いた。

 『変わらぬ心』『愛の喜び』。黄色のスターチスにはそんな花言葉があった。

 俺はスターチスを掴む。——乾燥している。これはドライフラワーなのだと分かった。


「藍里……。……?」


 かさり。紙のような音が聞こえた。

 音の方へ目を向けると、箱の中に一枚の紙が入っていた。どうやら花で隠れてしまっていたらしい。俺は紙を拾い上げ裏返す。そしてまた驚いてしまった。


『結婚五周年! これからも貴方と未来を歩めますように!』

「……藍里の字だ」


 俺は紙を持ったまま箱に書かれている店名を調べた。ヒットしたのは近くの花屋。そこは藍里が死んだ場所を通った先にある店だった。

 紙を持って、俺は家を飛び出す。店主に、聞きたかった。死ぬ前の藍里の様子を、藍里がどうしてスターチスを選んだのかを。


 店について、俺は店主に問いかける。


「二週間前、ここに祥月藍里しょうつきあいりが来ていないですか!!? この、紙の持ち主の!!」

「は、はい……花を予約しにこちらに来ていましたけど……もしかして、藍里様の旦那様でしょうか?」

「ああ、そうだ、なぁ教えてくれ、藍里はどうしてスターチスを買ったんだ」

「え? ……藍里様が『私の気持ちはずっと変わらないって証明できる花が欲しい』とおっしゃっていたので、スターチスをお勧めしました」

「――そう、なのか」


 店主の言葉に嬉しさと、悲しさ、そして寂しさが俺の心を埋め尽くした。

 沢山の感情が俺を埋め尽くしていき、体に力が入らなくなって俺はなさけなく座り込んでしまった。


「お、お客様!?」

「はは、は……いや、すま、ない、気にしないでくれ」

「そうと言われましても……」

「びっくりしただけなんだ。気にしないでくれ」


 これ以上情けない姿を見せない為、俺は無理やり体に力を入れ立ち上がった。

 そして店主に感謝の気持ちを伝え、店を出た。そして俺は藍里が死んだ場所へ向かった。

 沢山の花が置いているのを見て、俺は情けない気持ちになった。一緒に行ってやれば、守れたのに。

 虚しい気持ちで苦しくなり、紙を握りつぶした。

 そのまま現実逃避したくなった俺は家に帰ろうとして、視界に何かが映った。


「——藍里?」


 一瞬目の前を横切った藍里のような姿。気のせい、気のせいだ。藍里はもういないんだ。

 きっと疲れて変な幻覚でも見たのだろうと、俺は速足で家に帰って、食事もとらずに眠りについた。




 気が付くと俺は、見知らぬ花畑の中にいた。

 ああ、これは夢なんだな。と思っていると、誰かの声が聞こえた。


隆二りゅうじ~!! こっちだよ~!!」

「は……その、こえ……藍里!?」


 死んだはずの藍里の声、俺は声のする方へ走った。——これは一時の夢なのに、目が覚めれば辛い現実が待っているのに。それでも、止まることは出来ない。もう一度、俺は藍里に会いたい。

 走って、俺は藍里を見つけた。白いワンピースを風に揺らす姿は、初めてのデートの時に藍里が着ていたものだ。


「隆二! おっそいよ!! もう!」

「あい、り……っ藍里!!」

「わわわっ!! 隆二、どうしたの?」


 嬉しくて、俺は藍里に抱き着いた。夢なのに藍里の体は温かった。

 驚いている藍里の様子に、俺は少しだけ申し訳ない気持ちになった。だけど、離れるつもりはなかった。もう、離れたくなかった。離したくない。


「隆二、どーしたの?」

「……藍里、藍里なんだよな」

「隆二ってば、何言ってるの? 私は私だよ?」

「……藍里……」

「ね~~~何なの~~??」


 藍里は困ったように笑っている。

 俺はただ涙を流すことしか出来ない。二度とこんな夢は見れないかもしれないのに、藍里に伝えなきゃいけないことがあるのに。俺は藍里の名前を呼ぶことしかできない。

 

「隆二」

「……ごめん、ごめん」

「隆二、謝らなくていいよ」

「……?」

「笑って? 貴方の悲しんでる姿は見たくないなぁ。私は笑顔の隆二が大好きだから」

「…………今は、むりだ」

「そっかぁ」


 いつも通りの藍里に俺は応えることが出来ない。それどころか段々と眠気がやってきて、夢が終わってしまうことに危機感を覚えてた。

 伝えることがあるのに、言葉が出ない。言わなきゃ、いけ、ない……のに。


「……さようなら、隆二。愛してるよ」

「あい……り」


 藍里の寂しそうな言葉を最後に俺の意識はなくなった。



 目が覚めると、そこはいつもの部屋の中。ああ、現実が来てしまったんだ。と虚しくなっていると、ぱさっと毛布の上から何かの音が聞こえた。


「なんだ……?」


 起き上がって、何かを見た。——スターチスだった。

 ばらばらにされ、模様のように散らばっている花に、俺は驚いた。寝る前にはこんなものはなかったはずだ。

 何が起きているのか、分からない。混乱してしまう俺に、カタンとリビングで音が聞こえた。

 

「なんなんだ、さっきから」


 混乱している中、俺は音の正体を確認しに行った。——紙があった。


『愛してる』

「文字が、増えてる……?」


 『結婚五周年! これからも貴方と未来を歩めますように!』の紙に、昨日まではなかった文字が増えていた。

 その字は藍里の字で、俺はどうなっているんだ? と更に混乱してしまった。だが、すぐに理解してしまった。


「……藍里、きて、たんだな」


 いたずらっ子な藍里が、幽霊になって俺を励ます為に来たのだろう。藍里ならそんなことをしても可笑しくない。と俺は変な考え方をしてしまった。

 その時、ふわり。と香水の匂いが俺の鼻を掠った。——藍里がつけていた香水の匂いだ。

 ……どうやら俺の考えは当たっていたらしい。

 いたずらが成功したことが嬉しいのかくすくすと聞こえる笑い声を最後に、香水の匂いは消えた。


「……俺も、愛してるよ」


 夢で言えなかった言葉を俺は伝える。近くにまだ、藍里はいると信じて。



 その日から、俺の部屋にスターチスのドライフラワーを置くようにした。

 それがあるだけで、藍里はずっと俺の傍にいる。と思えて藍里に会うまで頑張れるような気がしたから。

 俺が向こうに行った時、藍里には沢山の話を聞かせよう。そしてまた、来世で幸せになろう。

 その日まで——俺の心は変わらない。

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スターチスの愛 蒼本栗谷 @aomoto_kuriya

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