備忘録:長谷川恵と餃子の王将にて
2025年4月12日土曜日。
会社員時代の知人である長谷川恵との会話をここに記録しておく。
滋賀県彦根市の餃子の王将。
東近江の政所町を後にして、せっかくだからと少し琵琶湖を眺めた後、僕と長谷川は夕食をとることにした。
「王将は実家のような安心感あるなぁ」
「いい匂いのする実家だね」
王将のメニューを眺めながら、僕は今回の滋賀取材で分かったことをメモにまとめ直していく。
新人新聞部Kのなんでもお悩み相談室のコラム内の描写にあったような、最近このあたりで学生が亡くなったニュースなんてものはなかった。
おそらく舞台となっているであろう政所町も山奥とはいっても、人里離れたとまでは言えず、そこらにある他の田舎町と特段して変わるところはない。
全体的には予想していた以上のことは何もなかったと言える。
「倫太郎さんはなに食べます?」
「そうだね。極王天津飯にしよっかなー」
「あー、それな。うーん、じゃあうちは極王天津麺にしよかな。餃子は入ります?」
「僕は大丈夫」
「えー、半分こしましょうよ」
「自分だけ食べればいいじゃん」
「はあ。倫太郎さんは、ほんま乙女心がわかってへんわ。憧れの先輩の前で一人バクバクと餃子食べる女がどこにいんねん。自分は餃子食べたいけど、その言い訳を背負って欲しいんです。察しましょうよ」
「ザンギな生き物だね」
「それを言うなら難儀な。どういうボケ? ここは北海道ちゃいますよ」
「たしかに今のは脈絡がないな」
「色んな意味で反省してください」
僕に反省を促しながら、よく通る声で店員さんを呼んで、テキパキと長谷川は注文を済ませてくれる。
厨房が覗ける店内では、雑多な音で溢れかえっているが、不思議と長谷川の声は簡単に聞き取れた。
「それで今日はなんか収穫ありました?」
「いや、あんまり」
「えー、せっかく付き合ったんだから、そこは嘘でもあった言うてくださいよ」
「じゃあ、めっちゃあった」
「じゃあ言うな。嘘隠す気ないやん」
長谷川が笑っているのを横目で見ながら、僕は手元のiPhone12miniでYoutubeを開く。
小さな音で流れ出す、音質の悪い電子音。
僕の画面を長谷川が覗き込むようにする。
「それ、なんです?」
「ミュージックビデオ」
「なんでペンギン?」
「知らない。何でだろうね」
それは“詩人に憧れて”というタイトルの奇妙なMVだった。
動画の内容としては、聞き取りにくいアンニュイな歌声と共に、ソフトビニール製のペンギンが二匹、スケートボードに乗っているだけというもの。
何となくストーリー性がありそうだが、歌詞や映像だけでは詳しく読み取ることはできない。
新人新聞部Kのなんでもお悩み相談室のコラムの中で、このMVのリンクが貼られている場面がある。
おそらく、応募作のためにわざわざこの曲を作曲したのだろう。
しかし、結局この動画が応募作にどういった効果を及ぼしているのかはわからないままだった。
「どっかのバンドかなんかですか?」
「大体そんなところかな」
「って再生数二桁しかないやん。どマイナー」
「まあお世辞にもいい曲とは言えないしね」
「ならなんで見てはるんですか?」
「仕事だよ」
「変な仕事やね」
「ライター業は建設業くらい業が深いんだよ」
「心中お察しします」
改めて動画を見直しながら、僕はまた引っかかりを覚えていた。
“警邏に怯え膝折り顔伏せ慄き泣くけれど、無期に彷徨い道なき道に希を見出すだけ”。
動画内に映し出された歌詞がふと気になる。
警邏。
古風な言い回しだが、警察官や地元のパトローラーのような巡回をする者を指す言葉。
どうしてスケボーに乗ったペンギンが警邏を怯えるのだろうか。
手錠をされているペンギンを思い浮かべて、僕は少し笑う。
「あれ、ちょっとそれ見せてください、倫太郎さん」
「え? いいけど、どうしたの?」
くだらないことを空想していた僕の手元の画面を眺めていた長谷川が、綺麗な一重瞼を不意に見開く。
ちょうど動画は終わったところで、最初は2羽いたペンギンが1羽になってしまったところだった。
「これ、琵琶湖やん」
「え?」
そして長谷川が、ぽつりと言葉を漏らす。
画面に映るのは水平線。
それを見つめながら、彼女は動画を最初から再生し直す。
「最後のシーンと、あと最初のところも、これ琵琶湖ですよ」
「まじで? じゃあこれ、撮影地が滋賀なんだ」
「あ、でもただ。途中の、なんていうかセピア色っぽいところのシーンは、琵琶湖ちゃうな。何を意図してるんかわからんけど、琵琶湖と、あともう一箇所別のどっかで撮影してるみたいですね。琵琶湖スケボー禁止やし」
「さすが滋賀県民。よくこれだけで琵琶湖ってわかるね」
「この白いモニュメントがなんか見覚えあるな思て」
「そうなんだ」
言われてみれば、当然と言えば当然な気もした。
新人新聞部Kのなんでもお悩み相談室は滋賀県を舞台にした作品だ。
そこに挿入されている動画も滋賀で撮影したものだと言うのは筋が通る。
しかし、長谷川によればこの動画はずっと水辺で撮影されているが、全編が琵琶湖を映しているわけではないらしい。
片方が琵琶湖なら、もう一方はどこだろうか。
「この撮影場所って、ここから近い?」
「いや、多分反対側ですね」
「反対?」
「そうです。こっちは東側やけど、このモニュメントがあるのは、確か大津の方の西側やと思いますよ」
琵琶湖の西側。
これまた何か頭に引っかかるものがあったはずだが、この時は結局思い出せなかった。
それはちょうどこのタイミングで、目の前にいい匂いがした天津飯と餃子が運ばれてきたのが理由だと思う。
ここまでが可能な限り思い返して書き残した、長谷川恵との餃子の王将での会話の記録となる。
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