27club
やまこし
27club
目が覚めたら、ゴミ箱に頭を突っ込んでいた。
くさい。生ごみのニオイがする。しかし、不快感は不思議と少ない。一体どのくらいこの姿勢でいたのだろうか。冷静になると、ゴミ箱に頭を突っ込み、昔見た映画みたいに足だけがピンと張っている自分の姿が想像でき、滑稽に感じてきた。じたばたと体をうごかすと、どしんとゴミ箱ごと倒れて、久しぶりに頭が外の空気に触れる。目を開ける。あらためて大きく息を吸う。そこは、夜の街だった。
変な姿勢で意識を失っていたはずなのに、体は痛まないしだるさもない。ただ、ゴミ箱に沈んでいた頭はゴミがへばりついていて汚い。最悪だ。早く家に帰らないと。どうして自分はここにいるのだろうか。地面に座り込んだまま、目をつぶって思い出す。えーと、こうなっているということはたぶん酒を飲んでいて……
いや。何も思い出せない。
そんなに飲むほどいやなことやつらかったことがあった記憶もない。都合よく酒で忘れたのだろうか?一緒に飲んでいた人に薬でも盛られたのだろうか?いやいや、誰かと飲む約束があったようには思えない。
「ちょっと、お客さん?」
その声で我に返る。
「店の前で寝ないでよ、迷惑だから」
「すみません」
「飲みすぎたの?」
「ぼくは……飲みすぎたんでしょうか?」
「はあ?よくわかんねえけど、ちょっとここからどいてくれる?店の前だと邪魔なんだよね」
飲み屋のマスターみたいな風貌の人は、明らかに迷惑そうな顔をしてぼくを追い払うしぐさをした。
マスターは「27club」という小さな木の看板が掛けられた扉をくぐって店に戻っていった。
27club。ロックンローラーは27歳で死ぬ、とかいうやつか?スマホでウィキペディアでも見ようかと思ったが、スマホはバキバキで電源が入らない。どこで壊したのだろうか?全く記憶にない。
たしか、カート・コバーン。ジャニス・ジョプリン。あと実はジャン=ミシェル・バスキアなんかも入っている。もうロックンローラーじゃなくても、27で死んだらここに入れるんだろうか。というか、ここはかの「27club」なのか?それはつまり、俺は死んだのか……?
「お兄さん、ちょっといい?」
店の前で座り込んで考えていると、背中からなんだか聞き覚えのあるあたたかい声が聞こえた。
「あ、ごめんなさい」
顔をあげると、大好きなロックバンドのボーカルが立っていた。
「え、タイガさんですか……?」
タイガは驚いて、そして困ったような顔をして、よくわからない感情のすえ出てくる笑顔をつくった。
「弱ったなあ。だれも俺のことを知らないところに来たつもりだったんだけど」
「ご、ごめんなさい」
「君も、ここに用?」
「い、いや、どうなんだろう、わからないんですけど、あの、タイガさん」
「なに?」
「この前のライブ、ガチでよかったっす」
「あ、君、本編最後の曲でステージダイブしてた子か?!」
「ごめんなさい」
「大丈夫。飛び慣れてるよね、なんだか」
「はい、別のバンドではよく飛んでるんですけど、」
「俺らのとこでは初めてだったか」
「はい、誕生日だったんで」
「そうか、おめでとう」
「ありがとうございます」
「いくつになったの?」
「ああ……27歳です」
「タメじゃん!」
じゃあ一緒に行こうよ、とタイガは俺の手を引いて「27club」の看板を突破しようとする。
ところが、鍵がかかっていて扉は開かない。ふと目をやると、入口のドアの左手には小さな窓があった。ここがどうやら受付らしい。
「ごめんください」
ていねいな言葉でたずねるタイガの姿がまぶしかった。自分の辞書に、ごめんくださいは載っていない。
「あのお!すみません!」
クラブの中では大きな音で音楽が鳴っていることがわかる。胸に響くキック。鼓膜をそれごと揺らすベース、暗闇を切り裂いてこちらへ届きそうなギターリフ。どんなバンドがライブをやっているのだろう。小さな受付の窓越しに中を覗こうとしていたら、急にその小窓が開いた。
「なに?何の用?」
「ゲストに載ってない?タイガっていうんだけど。こいつは」
「マサキ」
「マサキだ。載ってないか?」
長い髪をきれいな金に染めた受付の女性は、ゲストリストをけだるそうにパラパラと見る。同い年くらいだろうか。
「誰のゲスト?」
「誰のとかあんの?」
「あるよ、誰に呼ばれてきたの?」
「いや、そういうのは……」
「ないなら君はここに用ないね。そっちの君も。バイバイ」
「まって」
タイガは引き下がらない。
「なに?今日なんか人多くて忙しいんだけど」
確かに、クラブの中は人がたくさんいるようで、ステージの様子がわからない。
「君は、誰のゲストで入ったの?」
「ん?エイミー」
「エイミー?」
「そう、エイミー・ワインハウス」
俺たち二人は目を丸くした。そして、この建物に入れないことを悟った。
それと同時に、俺たちはすでに死んでいることも悟った。
「ちょっと気づいてたんだ。でも気づかないふりをしてた」
タイガはポケットから煙草を出して、火をつけた。
「心当たり、あるんですか?」
「おい、タメだろ?やめようよ、敬語なんて」
「そ、そうだよね」
「おう」
「心当たりは」
「あるよ、俺自殺したんだ」
「え」
足から全身が凍る。そこから先の言葉が出てこない。
「うつだったんだよ。もう5年前から。この前はちょっと症状がひどくてな。入院しようかって言われて、病院から帰るときに電車を使ったのが失敗だった。切符を買うのも精いっぱいだったのに」
タイガのそんな様子が想像できなくて、相槌すらできない。
「なあ、知ってるか?線路ってのは、時に魅力的なんだ。落ちてしまえば、すべてが終わる。くそ喉乾いてるときに見る、きれいな川みたいに、キラキラしてやがる」
「でも、あのライブの時」
「死ぬなって言ったよな。あれ、俺に言い聞かせてたんだよ」
下ろした手から煙草の灰が、タイガの足の上に落ちる。それでもタイガは気にしていない。もしかして、感じていないのかもしれない。
「毎日死にたくて仕方なくて、でも誰かに死ぬなって言ってほしくて、でも死ぬなって言われたらウソみたいに腹たって、全然意味わかんなくてさ、ああ、おかしくなりそうだった」
「でも俺も、結局死んでしまいました、いや、死んじゃった」
「そうだな、じゃあ意味ないな」
気まずい空気を少しでも甘くしようと、目に入ったものについて口に出す。
「隣のバーなら、誰でも入れそうですよ?酒飲みませんか?」
「でも俺、薬、あ」
「酒、飲もうよ」
不思議なことに、死んだ俺は、死んだタイガと一緒にバーで乾杯をした。
そこはスポーツバーみたいなところで、隣の「27club」の中継をしていた。今はどうやら、カート・コバーンが「Smells Like Teen Spirit」を演奏していて、めちゃくちゃ盛り上がっている。シロウトが考えたみたいな「27club」の景色に、なんだか笑えてくる。
「なんだ、見られんじゃん」
タイガは拍子抜けした顔で大きなモニターを見つめる。
「俺でも漫画にできそうな景色だなこれ」
タイガも同じことを思っていたようだ。
「んで?マサキ、お前はなんで死んだんだ?」
「いや……」
実は俺はさっきからずっと考えていた。どうしてタイガは自死だとはっきりわかっているのに、俺は自分が死んだことすらわからないのか。そしてどうして、縁もゆかりもないはずだった27clubの前にいたのか。頭に浮かぶ「なぜ」「どうして」を、ビールの泡の上に浮かべていく。しかし一向にそのなぞは解けないし、溶けない。
「ま、いっか」
タイガはそう言って、「ニッ」と歯を出した。
「俺たちはどっちも、ロックンローラーなりそこないだったってことだ」
「なりそこない」
「ああ、27clubで門前払い。バンドメンバーに言ってやりたいよ。俺たちまだまだだからなって」
「俺は、バンドなんてやってないし」
「お前、俺のバンド見てて”バンドやってること”がロックだと思ってたのか?」
「いや、違うよ、生きざまが」
「ロックなんだよな。お前はけっこうロックだったってことだ。四捨五入でロックだったんだ」
「でも、あそこには入れなかった」
「あそこには入れちゃったら、パブリックビューイングしてるの知らないままだっただろ」
「それはたしかに」
見上げたモニターでは、バスキアがライブペイントをしているところが映し出されている。これまた安い、ステレオタイプの「27club」だ。
「これもこれで、いいじゃんか」
タイガの顔は、何だか清々しい。俺の思っていた「うつ病」の姿とは違う。もう死んだから、病気からは解き放たれたのだろうか。
そんな俺の疑問が聞こえたかのようにタイガは続ける。
「俺、うつとさよならするぞー!ってしてるうちに、"まぁいっか力(ぢから)"が上がったんだよ」
「はあ」
「でも最後まで、まぁいっか、をやりきれなかったな」
「いまそう言えるだけで、俺にはカッコよく見える」
「そう?ありがとう」
「うん。俺にとっては、ロックンローラーだよ」
「隣のバーのロックンローラーも、悪くないかもね」
俺には「まぁいっか」が遠く聞こえた。ここで酒を飲んでいたらいつかそう言える日がくるのだろうか。
(了)
27club やまこし @yamako_shi
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