今日はあめ、明日ははれ

やまこし

今日はあめ、明日ははれ

何だか服を着る気になれず、裸のままシーツに包まれてぼんやり外を眺めていたら、雨が降ってきた。そっか、あんなに暗かったのは、雨が降るからだったのか。


「雨、降ってきちゃったね。帰らないで、ずっとここにいたら?」


レイは恥ずかしげもなくそんなことを口にする。もうとっくに服を着ているのに、本心を口にすることができるその強さに、今でも新鮮に驚かされる。あたしは、裸の時にしか本当のことを言わないのに。


「何言ってんの。帰らせてもらうよ、傘借りて」

「でもさ、うち傘ないんだ」

「うそつき」

「ほんとだって」

「玄関に3本立てかけてあった白い物体はなんなのよ」

「なあんだ、見えてたか」


レイは嘘が下手すぎる。嘘で何かを隠そうとしたことがないたぐいの下手さだ。下手さが、レイのまっすぐさをよりくっきりと浮き上がらせる。


「なんか、お腹すいた」

「ん?あーえっとねえ、ラーメンあるよ?いつものやつ、作ろうか?」

「うん、食べる」


レイは立ち上がって冷蔵庫の中身を見にいく。ハム、卵、ネギ、まるでもともとあったかのような口ぶりだけれど、買ってきたに決まっている。何かの映画で見たようなラーメンの具材。都合よく冷蔵庫に入っている方が不思議だ。


「ラーメン食べたら、雨上がるかも」

「そうだね。そしたら駅まで送るよ。ちょっと待ってて。作ってくる」


あたしは冷たくなってきた足先をちょっと撫でてから、脱皮するようにシーツから出てくる。床に散らばった下着や服を一つずつ集めて、人形遊びみたいに丁寧に自分に着せていく。テレビをつけたら、夕方のニュースが流れていた。突然降ってきた大雨に困って、駅の改札で立ち尽くす人々が映し出されている。


「そいつ、どこで出会ったって?」

レイがキッチンから聞いてくる。さっきも聞いてきたくせに。耳の奥に、ぐっと届くような声で聞いたくせに。

「取引先」

まるで初めて聞かれたかのように答える。

「どこに惚れたのさ」

「優しいところ」

「なんだそれ」

水の音で何を言っているのか聞こえない。どうせまた面白くないことを言っている。


レイには黙って入籍しようと考えていた。相手は取引先の年上の男性。もう付き合って3年になる。彼のことは好きだし、一生を歩むパートナーになりたいという気持ちがあって、しかもそこに同意があった。でも、レイだけがくれる感情があることも確かだった。そんなレイに何も言わないで、あたしだけ名字が変わるのはなんだかアンフェアな感じがして、そりゃあ伝えた方がいいのだよな、などとぐるぐる考えているうちに入籍の前日になってしまった。

「あした、名字が変わります」

それだけメッセージを送ったら、すぐに既読にはなったけれど、返事は来なかった。結局5分後に返事が来たのだが、その5分が永遠に思えた。レイと見た映画のセリフが頭の中で響いて、レイが好きな魚が目の前を泳いでいって、レイがあたしの胸に優しくキスしたときに感じるぴりぴりとした快感が脳に伝わってきて、思わず目を閉じたら手元で携帯が震えた。

「そう、おめでとう」

たった8文字があたしたちの人生の間に大きな亀裂を作った。もうこれは、元に戻らない。世界中の言葉をかき集めても、あたしたちの関係を修飾する言葉は見つからない。そんなチープで唯一の関係だったけれど、もうこれで、おしまいなのだ。

「最後に、会いたい」

体が勝手に返事を打っていた。おしまいは、けっこうあっけなくくる。一番お祝いしてほしい人は、一番お祝いしてほしくない人でもある。入籍日の前日、昼だというのに暗い。あたしは、レイの家に向かった。


「ねえ、幸せになってよね」

水場の音とテレビの音で聞こえなくても不思議じゃないのに、はっきりと聞こえてきた。ただ、聞こえてきたことを認めたくはなかった。

「なに?」

わざとらしく聞き返す。

レイは、水を止めてキッチンから出てくる。

「だからさ……明日って、大安?」

「いや、仏滅」

「なんか……縁起悪そ」

吐き捨てるように言ったセリフに張り付いた笑顔は、今まで見たどんなレイの笑顔より下手くそだった。あたしも随分、下手くそな笑顔をしていたのだろう。

さっきからつけていたテレビでは、天気予報がはじまった。

「明日は全国的に、晴れるでしょう」


(了)

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