最終話 season


俺が律の手を握ると、彼女は少しだけ目を見開いたが、すぐにふわりと微笑んだ。その笑顔は、公園の桜並木に降り注ぐ陽光よりも、ずっと温かくて、そして少しだけ、危うい光を帯びていた。


「なに。どしたの?」


律が小首を傾げる。その仕草すら、俺の心臓を不確かなリズムで跳ねさせた。


「いや、なんでもない」


俺は慌ててそう言った。本当は「好きだ」と、あの冬の日からずっと胸の奥で温めてきた言葉を伝えたいのに、喉の奥にへばりついて出てこない。まるで、自動販売機に硬貨を入れてボタンを押したのに、肝心の飲み物が出てこないような、そんなもどかしさだった。

律は何も言わず、ただ、俺の手を握り返す力を少しだけ強くした。その指先から伝わる温もりが、俺の心にじんわりと染み渡る。このまま時間が止まってしまえばいいのに、と柄にもなくセンチメンタルなことを考えていると、公園のスピーカーから、間延びした声で


「本日の閉園時間は午後17時です」


と告げられた。現実というのは、いつだって、都合の悪い時に顔を出すものだ。

俺たちは肩を並べて公園を出た。夕暮れ時、空には茜色のグラデーションが広がり、やがて訪れる夜の気配が漂い始める。その光景は、まるで俺たちの関係の行く末を暗示しているかのようだった。永遠にも思える時間が、実は短い幻に過ぎないことを。

大学の最寄り駅まで歩く間、俺たちは他愛もない話をした。今日の講義のこと、サークルのこと、そして週末にどこへ行こうか、なんてこと。律はいつものように楽しそうに笑い、俺もそれにつられて笑った。だが、その笑い声の奥には、どこか寂しさが潜んでいるのを、俺は感じていた。それは、予感。晴れた日の午後に、遠くで雷鳴が聞こえるような、不穏な予感だった。

駅に着くと、律は


「じゃあね」


と手を振った。俺は


「またね」


と返すのが精一杯だった。本当は、律の背中を抱きしめて、このままどこか遠くへ連れて行きたかった。しかし、俺の足は、まるでコンクリートで固められたかのように、その場から一歩も動かなかった。

律の姿が改札の向こうに消えた後も、俺はしばらくその場に立ち尽くしていた。ふと見上げると、駅のホームの電光掲示板には、次の電車の到着時刻が表示されていた。その数字が、まるで砂時計の砂が落ちるように、刻一刻と減っていく。そして、その砂がすべて落ちた時、俺たちの時間は、完全に止まってしまうのかもしれない。そんなことを漠然と考えながら、俺は冷たい夜風が吹き抜けるホームで、ひとり、立ち尽くしていた。



さよなら。律。好きだよ。超愛してる。




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なつやすみ the memory2045 @acidfreakkk-yomisen

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