第20話 第五試合

町の灯りが遠ざかり、やがて森の闇が俺を包み込んだ。長刀の重みが、手のひらに確かな感触として伝わってくる。その時、背後から複数の足音が聞こえた。追手だ。


「気をつけろ、じぞう。奴らは数が多い」


熊の声が、幻聴のように響いた。いや、これは幻聴ではない。森の木々の間を縫うように走る寺蔵の耳に、確かに熊の声が届いている。


月は欠け

刃は光りて

道しるべ

惑いし闇に

覚悟を問う


寺蔵は振り返らず、さらに速度を上げた。闇に慣れた目には、森の地形が手に取るようにわかる。不意に、前方から人の気配。回り込む間もなく、目の前に現れたのは、松明を掲げた町の自警団だった。


「止まれ!」


一人が叫び、棍棒を振り上げる。寺蔵は長刀を構え、奴の懐に飛び込んだ。刀身が煌めく。だが、切っ先は奴の鳩尾をかすめるだけ。峰打ちだ。鈍い音と共に、男は呻き声を上げて倒れ伏す。


「奴らは引き下がらないぞ。その長刀の血を求めるだろう」


円な瞳の熊のくぐもった声が、警告するように響く。奴の言葉が、寺蔵の覚悟を試しているようにも思えた。


諸刃の剣

我身を削り

進む道

痛みを知りて

強きを選ばん


再び、左右から追手が迫る。寺蔵は重心を低くし、一瞬で距離を詰める。右の男の腕を取り、ひねり上げると、そのまま左の男の顔面へと叩きつけた。二つの呻き声が重なり、森の中に響く。その隙に、寺蔵はさらに森の奥深くへと駆け出した。遠くで、追手の怒声が聞こえる。この長刀が、寺蔵の魂を奪い去ろうとする闇を切り裂く。寺蔵は、もう振り返らない。


暗闇を裂くように、寺蔵は走り続けた。肺が張り裂けそうだが、止まるわけにはいかない。


「逃げても無駄だ。じぞう。お前は、お前の影からは逃れられないよ」


熊の声が、嘲笑うように響く。幻影が、行く手を阻む木々の間にちらつく。


月明かり

差し込む森に

追われゆく

過去を捨て去る

道はどこぞや


突然、行く手が開けた。開けた先に、複数の篝火が見える。野営地だ。自警団の残りが、待ち伏せていたのか。寺蔵は舌打ちし、長刀を構える。


「観念しろ、物の怪!」


隊長格らしき男が叫び、仲間たちが一斉に飛びかかってきた。寺蔵は迷わず、切っ先で男たちの得物を弾き、懐に飛び込む。峰打ち、峰打ち、峰打ち。鈍い音と、男たちの呻き声が重なる。だが、この数ではきりがない。


「その優しさが、お前自身を殺す」


熊の声が、耳元で囁く。その言葉が、寺蔵の躊躇いを打ち砕いた。


背水の陣

捨てたる命

進む先

明けぬ夜なくば

光は射さず


寺蔵は、切っ先を突きつける。しかし、それはとどめを刺すためではなかった。男たちの武器を破壊し、行動の自由を奪う。その隙に、寺蔵は野営地を駆け抜け、さらに森の奥へ。背後からは、もはや追手の気配は感じられない。


だが、安堵は束の間。森を抜けた先に、一人の若者が立っていた。東の都の屈強な若者、七右衛門。月光を浴びたその姿は、まるで仁王像のようだった。

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