第18話 第三試合

幼き日の拙者の目の前に、朽ちかけた秘密基地があった。

厳しい父の道場から逃げ出して、拙者はここにいた。麻実と蜂平と、それから村の子供たちが集まって、無邪気に笑い合っている。拙者はただ、その輪の中にいるだけの存在だった。

父の言葉が、脳裏をこだまする。


「殺気を消せ、と言っておろう。さもなくば、命取りになるぞ」


あの時、拙者は何を考えていたのだろう。父を殺そうとしたのか?いや、違う。ただ、父の強さの片鱗に触れたかっただけだ。でも、拙者にはその資格すらなかった。

ふと、膝元に、あの"熊"が擦り寄ってきた。言葉を解する、不思議な熊。そいつは、拙者の心の内を見透かすように、じっと拙者を見つめている。あいつは知っているのだろうか、拙者が何を失ったのかを。

拙者は、みんなの笑い声から切り離されたように、一人取り残されていた。この秘密基地は、いつしか拙者にとって、自分自身の居場所のなさを突きつけられる場所になっていた。少年時代という名の、あやふやな季節。拙者は、その中で何を手に入れたのだろう。そして、何を失ったのだろう。父の道場、あの木刀、そして何より、無邪気だった頃の拙者自身。

あの夏の風は、遠くで響く麻実と蜂平の声と一緒に、拙者の心に深く刻み込まれている。それは、二度と戻らない、あの頃の残像だ。拙者は、もうあの頃の拙者には戻れない。あの夏の日に、拙者の中の何かが、確かに死んだのだ。


········寺蔵は、われに返る。


気が付くと夜になっていた。

どうやらうたた寝をしていたようだった。

地面が、ざらついて不快だな、と思った刹那、気配を感じた。

幼少期に、たった一度出会った、言葉を理解する"熊がそこにいた。


「またお前か。今さら何しに来たんだ? 食いもんはねぇぞ」


熊は、寺蔵を見据え、鳴き声を発さず、ピクリとも動かない。


「おい、熊。生きてんのか?」


「寺蔵。助けに来たよ」


「······ッ?!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る