第8話 鬼の頭、再び
夜明け前。
遊郭の最上階を突如として嵐が襲った。障子が吹き飛び、甘美な香りを纏った空気が一変、血の匂いを孕んだ砂埃が舞い上がる。寺蔵は瞬時に跳ね起き、隣で眠っていたはずのはづきが、いつの間にか虚ろな目で宙を見上げていることに気づく。その細い首筋には、まるで細い糸で絞められたかのような紅い筋が浮き出ていた。
「復讐に囚われた屑め。この虚無こそがお前の終着点だ」
冷厳な声が、薄闇の中から響き渡る。寺蔵が振り返ると、そこには漆黒の装束を纏った鬼の頭が立っていた。その手には、月明かりを反射して鈍く光る長刀が握られている。遊郭の絢爛な装飾が施された部屋は、瞬く間に死の舞台へと変貌した。
「貴様ァ……!」
寺蔵の喉から、低く唸るような声が漏れる。虚無に沈んでいたはずの瞳に、再び獰猛な光が宿った。彼は身を翻し、枕元に置いてあった己の長刀を掴み取る。鈍色の刃が、はづきの亡骸から目を離さないまま、鬼の頭に向けられた。
金属が擦れ合う甲高い音が、静寂を切り裂く。鬼の頭の長刀が、稲妻のように寺蔵の頭上から振り下ろされた。寺蔵は紙一重でそれを躱し、流れるような動きで反撃に転じる。刃と刃が激しくぶつかり合うたび、火花が散り、部屋中にけたたましい音が響き渡る。それはまるで、死を奏でる不協和音のようだった。
寺蔵の脳裏には、麻実の笑顔と憎悪に歪んだ顔が交互に浮かぶ。そして今、はづきの死が、彼の心に新たな炎を灯した。それは復讐の炎とは異なる、純粋な怒りだった。彼は己の虚無を嘲笑った鬼の頭に対し、全身全霊を込めて斬りかかる。
鬼の頭は、寺蔵の猛攻をいとも容易く捌きながら、嘲りの言葉を投げかける。
「哀れなピエロめ。お前の絶望は、私にとって最高のデザートだ」
その言葉が、寺蔵の理性を焼き尽くした。彼は長刀を両手で握り締め、渾身の力を込めて斬りつけた。鬼の頭がわずかに体勢を崩したその隙を、寺蔵は見逃さない。彼の刃が、鬼の頭の装束を切り裂き、その腕から一筋の血が噴き出した。
だが、鬼の頭は怯まない。その瞳の奥には、冷酷な光が宿っている。彼は寺蔵の攻撃を受け流し、一瞬の隙を突いて寺蔵の脇腹を斬りつけた。熱い痛みが寺蔵の全身を駆け巡る。血が噴き出し、彼の白い着物を赤く染め上げる。
それでも寺蔵は刀を離さない。彼の戦いは、もはや復讐のためではない。虚無に抗い、己の存在を証明するための戦いへと変貌していた。
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