第7話 はづき、そして骸の縁
そして、寺蔵が意識を取り戻した時、彼はまばゆいばかりの光と香りに包まれていた。遊郭の最上階。隣には、麻実の面影を残しながらも、さらに奔放な美しさを放つ、はづきが身を寄せていた。絹ずれの音、甘い酒の香り、そしてはづきの甘やかな吐息。寺蔵の意識は、とろけるような快楽に沈んでいく。彼の目に映るはづきの笑顔は、もう麻実の憎悪に歪んだ幻ではない。爛れた欲望の先で、寺蔵はかつての自分を置き去りにした。彼が求めた復讐の果てに、残されたのは苦く、そして甘い虚無だった。
寺蔵の指先が、はづきのなめらかな肌を滑る。かつて長刀を握りしめ、血塗られた道を歩んだその手が、今はただ、目の前の享楽に溺れるばかりだった。遊郭の最上階を吹き抜ける風が、ほのかに甘い香りを運び、彼の五感をさらに刺激する。麻実を失い、復讐に生きた日々は、まるで遠い悪夢のよう。しかし、その悪夢こそが、寺蔵をこの爛れた楽園へと誘ったのだ。
はづきがくすりと笑い、寺蔵の頬に柔らかな唇を押し当てる。その温もりは、凍てついた寺蔵の心に、微かな熱を灯す。しかし、それは決して愛情ではない。ただ、渇ききった魂が、刹那の潤いを求めているに過ぎない。彼の瞳の奥には、変わらず底知れぬ闇が潜んでいる。復讐の炎は消えたが、その灰の中から、新たな虚無が芽生え始めていた。
「どうなされたのです、寺蔵様。お顔色が優れませんわ」
はづきの声が、寺蔵を現実へと引き戻す。彼は曖昧に笑い、はづきの髪を梳いた。指に絡む艶やかな黒髪は、かつて麻実のそれと寸分違わぬ色をしていた。その瞬間、寺蔵の脳裏に、鬼の頭の言葉が蘇る。
「復讐に囚われた骸め。お前のような存在は、この都の闇に蠢く、掃いて捨てるほどの塵と何ら変わらぬ······」
鬼の頭は、寺蔵の復讐心を嘲笑った。しかし、その言葉の真意は、寺蔵がただの復讐者ではないことを知っていたからではないか。この虚無こそが、鬼の頭が寺蔵に仕掛けた罠だったのか。憎しみが消え去った後、より深く、より甘美な絶望が寺蔵を蝕んでいく。
夜が更け、遊郭の喧騒も収まりつつある。寺蔵ははづきの隣で、薄暗い天井を見上げていた。かつては復讐という明確な目的があった。それが消えた今、彼には何もない。生きる意味も、求めるものも、全てが空っぽだった。この快楽も、やがては色褪せ、彼をさらなる虚無へと突き落とすだろう。
はづきが寺蔵の胸に顔を埋める。その吐息は温かく、寺蔵の心をわずかに揺らす。だが、彼の中に麻実の笑顔が、そして憎悪に歪んだその顔が交互に浮かぶ。彼は知っていた。この甘い虚無の先にあるのは、真の救済ではないことを。それでも、この瞬間だけは、彼はただ身を任せるしかなかった。外はまだ闇に包まれている。寺蔵は、終わりなき退廃の淵に、ゆっくりと沈んでいくのだった。
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