第5話 浮舟
東の都に足を踏み入れた寺蔵は、闇夜に紛れて人目を避けるように進んでいた。しかし、彼の放つ独特の殺気は、都の地下に蠢く者たちの耳目を集めるには十分だった。彼の行く手を阻むように、二つの影がぬっと路地裏から現れる。
「あんたが寺蔵か。首魁の仇、若衆一番隊、赤番頭だ」
男は、その名の通り、全身に血のような赤い着物を纏い、無骨な鉄扇を構えている。その隣には、濃紫の装束に身を包んだ女が立つ。顔は布で覆われているが、覗く瞳は醒めている。
「同じく若衆一番隊、不知火葉影。あたしたちの邪魔をするなら、ここで終わりだ···!」
葉影の言葉と同時に、赤番頭が咆哮と共に鉄扇を振りかざし、寺蔵に襲いかかった。風を切り裂くような一撃を、寺蔵は寸前でかわす。次の瞬間、葉影が隠し持っていた鎖分銅を寺蔵の足元に投げつけ、動きを封じようとする。しかし、寺蔵の反応は常軌を逸していた。彼は鎖分銅を紙一重で跳び越え、一瞬で赤番頭との距離を詰める。
長刀の一閃。赤番頭は鉄扇で辛うじて受け止めるが、その衝撃で体勢を崩した。その隙を逃さず、寺蔵は葉影に向けて刃を走らせる。葉影は素早く身を翻し、攻撃を避ける。二人の刺客は、まるで呼吸を合わせるかのように、寺蔵に連係攻撃を仕掛ける。都の路地裏に、金属音が響き渡り、血飛沫が舞った。
激しい攻防の中、寺蔵の長刀が、赤番頭の脇腹を浅く裂く。
「くそっ…!」
赤番頭が呻きながらも、葉影が放つ手裏剣が、寺蔵の顔を掠める。その一瞬の隙を突き、赤番頭の鉄扇が寺蔵の頭部を狙って振り下ろされる。しかし、寺蔵の長刀が、その一撃を完璧に防いだ。
「まだだ……まだ終わらん……」
寺蔵の口から、熱い息が漏れる。彼の瞳には、更なる憎悪の炎が燃え上がっていた。
その頃、東の都の外れにある饐えた遊郭の一室で、退廃的な笑みを浮かべた遊女が、虚ろな眼差しで夜空を見上げていた。その名は、はづき。麻実の妹だった。
東の都の闇に、新たな血の匂いが混じり合う。赤番頭を瞬時に地獄へ送り込んだ寺蔵は。再び無言で歩を進めていた。彼の足取りは、都の喧騒とは無縁の、ただひたすらな業の道を進む鬼のそれだった。彼の全身から放たれる凍てつくような殺気は、都を覆う夜の帳すらも震え上がらせるかのようだった。
路地裏の片隅で、寺蔵は微かな気配を感じ取った。それは、先ほどの戦いから逃げ去った葉影の気配だった。彼女は闇に紛れ、寺蔵の動きを観察している。だが、寺蔵は彼女を追うことはしない。もはや、彼の眼中に葉影のような小物はない。彼の標的は、より深い闇に潜む、この都の支配者たちへと移りつつあった。
寺蔵が都の奥へ進むほど、空気は澱み、人の怨念が渦巻いているのが肌で感じられる。そこには、光の届かない場所で蠢く、新たな「団々そぼろ」のような組織が存在するに違いない。復讐は終わったはずなのに、彼の心は満たされない。失われた命が戻るわけではない。だからこそ、彼は歩き続ける。この虚無を埋めるため、あるいは、さらなる深淵へと堕ちていくために。
数日後、寺蔵は都の最も賑やかな一角に足を踏み入れた。煌びやかな提灯の光が夜空を彩り、人々の笑い声が響き渡る。だが、寺蔵の目には、その輝きは虚ろに映るだけだった。彼の求めているものは、ここにはない。彼は、人混みを縫うように進み、一軒の老舗料亭の前で足を止めた。そこから漏れ聞こえる声は、この都の裏社会を牛耳る者たちのものだろう。
寺蔵は迷わず料亭の扉を開いた。中にいた者たちは、突然の闖入者に一瞬にして静まり返る。彼らの視線が寺蔵に集まる。その中には、強欲な顔つきの商人、冷酷な表情の用心棒、そして、見るからに悪辣な気配を放つ男たちがいた。彼らは、寺蔵の全身から放たれる尋常ではない殺気に、明らかに動揺していた。
「貴様、何者だ」
きな臭い声が響いた。それは、奥の席に座る、厳つい顔つきの男から発せられたものだった。男の眼光は鋭く、その体からは並々ならぬ威圧感が放たれている。彼こそが、この都の闇を統べる者の一人、「鬼の頭」と呼ばれる男だった。
寺蔵は、鬼の頭の問いに答えることなく、ただ静かに長刀の柄に手をかけた。彼の瞳には、新たな標的を見据えた、獲物を捕える光が宿っている。
「ほう……なるほど。無言か。ならば、力で語るしかないようだな」
鬼の頭の言葉と共に、料亭の用心棒たちが一斉に寺蔵に襲いかかった。だが、彼らは寺蔵にとって、まるで赤子同然だった。長刀の一閃、二閃。舞い散る血飛沫。寺蔵の動きは、もはや人間業ではなかった。それは、血と狂気に彩られた、真の鬼の舞だった。
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