第29話 壊れた心
三年前、俺がこの豪邸に襲撃して、真っ先に見つけた朝比奈海を倒した。正直言えばこの男に関してはどうでも良かった。俺の目的はヴェール本人であって、それ以外に時間を割くなんて行為全てが無駄だと思っていた。
久留間に関しては、この豪邸の離れで暮らしていたため何かあった時には既に遅いのだ。
でも、その時の俺は今と比べものにならないほど、速く、強く、賢く、冷徹であった。だから俺は邪魔者を全員潰して、そのあとに彼女が苦しみながらゆっくり命から遠ざかっていく時間を楽しもうと決めたため、まずは別の部屋にいた朝比奈宙を先に殺そうとした。
けれど俺は朝比奈宙を見つけるより先に、この部屋でメフィレス・ヴェールを発見してしまった。それが俺の過ちだった。
扉の隙間から中を観察していると、黄金色をした髪の毛の女がベッドで寝転がっていた。
だが、明らかに異変を感じた。彼女は初めて見たときよりも明らかにやせ細っていて髪の毛の艶が失われており、見間違えてしまいそうなほど変わり果てた姿になっていた。
いつ死んでもおかしくなかった彼女に、俺の心が狼狽した。
部屋の中に入った瞬間、ヴェールは俺に気付いたようだった。
「あなた………ダーリンじゃない?」
娘と同じ瞳だけど、目に魂が宿っていなかった。
「……なんだよこれは、昔のお前はどこに行った?」
「昔……ああ、あなた。星光くん、大きく……な、なったわね」
「何が……どうなってんだよ」
ベッド横のサイドテーブルには、大量の薬が乱雑に置かれていた。
「サインバルダ、ソラナックス……うつ病か?」
「ねえ、なつは?」
「……なつ?」
「知らないの………宙の弟よ」
俺の知る限りでは、朝比奈家は三人家族で朝比奈宙に弟なんて存在しなかった。ここを特定するまで何年も情報を集めた俺の情報が間違っているわけがなかった。
なぜなら、俺は今まで仕事で貯めた大金を使って、先生に三人の戸籍を調べて貰ったのだ。
それにこの豪邸に潜入してから一度も、その弟の私物を見た記憶は無い。
そして、この大量の薬から分かること。
「お前は息子を殺されたから精神疾患を患った。そうだろ」
俺がそう断言し、部屋の中を物色することにした。
だがほとんど物は置いておらず、あるのは化粧台と机だけ。その机の上には偽名の保険証や病院の診察券だらけで、病の重さがうかがえる。
俺はとりあえず引き出しを開ける。そこにはピンクの手帳があった。
最初のページを開けば、こう書いてある。
『7月10日。今日は、可愛い天使ちゃんがワタシたちのもとにやってきてくれた♡
世界でいちばん自由で何もかもを包むこの子の名前は☆宙ちゃん☆』
朝比奈宙が生まれた日に、書かれた日記だった。
それからパラパラ捲っていけば、彼女との思い出の日々が記されていた。初めて寝返りをうった日、初めて立った日、初めてパパママと言葉を発した日。
ここの世界では、彼女はお母さんだった。
後ろにいくと、あるページがグチャグチャになっていた。
そのページにはたった一言。
『────────宙ちゃんの弟』
なんとヴェールには二人目の子供が生まれる予定があったのだ。
「流産したのか」
貶してやりたい気持ちを押し殺して、俺は続けた。
「お前も家族が死んだら人並みに傷付くんだな」
彼女の顔を眺めながら言った。
それに反応する気力は今の彼女は持ち合わせてなく、心はずっと虚空に揺られている。俺は何も考えずに次のページを捲った。
『ごめんなさい。ママが悪い人と戦ったせいで、無謀なことをしたせいで、なつくんがいなくなっちゃった。ごめんなさい。あなたは、ごめんなさい。ワタシがわるいの』
その文字を見た瞬間に、今の今まで抑えていたものが器を壊してドバっと溢れた。持っていた手帳をヴェールに投げつけたが、顔面に当たってもほとんどリアクションがなかった。
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