第2話 届かない想い

 中学三年生の春、私は人生で初めて恋をした。


 相手は同じクラスの花崎稔はなさきみのるくん。背が高くて、いつもにこにこしていて、誰に対しても優しい人だった。体育祭では応援団長をやっていたし、文化祭では実行委員として活躍していた。クラスの中心にいるような、まばゆい存在。


 私なんかとは正反対の人だった。


「おはよう、神林さん」


 ある朝、教室に入ったところでちょうど稔くんと鉢合わせ、稔くんが私に声をかけてくれた。その瞬間、心臓が止まりそうになった。これまで話なんてしたこともなくて、挨拶でさえろくに交わしたことがなかったから。


「お、おはようございます」


 私は慌てて返事をしたけれど、きっと顔は真っ赤になっていたと思う。稔くんは困ったような笑顔を浮かべて、すぐに他の友だちのところへ行ってしまった。


 それから私は、稔くんのことばかり考えるようになった。


 朝起きると、今日は稔くんと話せるかな、なんて思うようになった。学校に行く前は、鏡を見ながら少しでも可愛く見えるように髪を整えた。でも結局、鏡に映った自分の顔を見て、やっぱり無理だと思って絶望した。


 こんな私が稔くんに話しかけたら……きっと迷惑に思われてしまう。


 授業中も、稔くんの後ろ姿をじっと見つめていた。時々、振り返って笑顔を見せてくれることがあったけれど、それは私に向けられたものじゃなくて、私の後ろの席の友だちに向けられたものだった。当然のことなのに、そのたびに胸が痛んだ。


 放課後、図書室で一人で本を読んでいると、稔くんがやってきた。


「神林さん、いつもここにいるよね」


「あ、はい。静かで……好きなので」


「俺も本好きなんだ。今度、おすすめの本教えてよ」


 稔くんはそう言って、私の隣の席に座った。こんなに近くに稔くんがいるなんて夢みたいだった。それと同時に、自分の醜い顔を見られているという恐怖で体が震えた。緊張と嬉しさと怖さ……全部の感情で手に汗がにじむ。


 それでも私は、稔くんと会話を続けようと声を振り絞って聞いてみた。


「ど、どんな本がお好きですか?」


「冒険小説とか、SF小説とか。神林さんは?」


「私は……恋愛小説を読むことが多いです」


「へえ、そうなんだ。今度読ませてもらおうかな」


 稔くんはそう言って微笑んだ。その笑顔があまりにも優しくて、私は胸が苦しくなった。

 この人が私のことを好きになってくれることなんて、絶対にない。

 そんな当たり前のことを、改めて思い知らされた瞬間だった。


 それからしばらくして、稔くんに彼女ができた。


 同じクラスの高橋栞菜たかはしかんなちゃん。長い黒髪にぱっちりとした目、すらりとした体型の美人だった。二人が廊下を歩いているのを見かけるたびに、私の心は針で刺されるように痛んだ。


「お似合いだよね、あの二人」


 クラスメイトがそんなことを言っているのを聞いて、私は胸が張り裂けそうになった。確かにお似合いだった。稔くんと栞菜ちゃんは、まるで少女漫画から抜け出してきたような美しいカップルだった。


 私は自分の醜さを呪った。


 もしも私が栞菜ちゃんのように綺麗だったら、稔くんと付き合えたかもしれない。手を繋いで歩いたり、一緒にお弁当を食べたり、放課後に二人で帰ったりできたかもしれない。


 でも現実は違った。


 私は一人で図書室に通い続けた。稔くんはもう来なくなった。栞菜ちゃんと過ごす時間の方が楽しいに決まっている。

 放課後、図書室の窓から、校門を出ていく人波を眺めていると、稔くんと栞菜ちゃんが笑い合いながら帰っていく姿が見えた。

 胸がズキンと痛む。それでも……例え彼女がいても、私が稔くんを想う気持ちは変わらない。


 卒業式の日、私は稔くんに告白しようと思った。


 栞菜ちゃんがいるのだから、どうせ振られるのはわかっていたけれど、この想いを胸に秘めたまま卒業するのは嫌だった。せめて、自分の気持ちだけでも伝えたかった。


 なのに結局、私はなにも言えなかった。


 稔くんの前に立った瞬間、自分の醜い顔を見られているという恥ずかしさと、絶対に振られるという恐怖で、足がすくんでしまった。


「神林さん、なにか用?」


 稔くんは優しく声をかけてくれた。でも私は……。


「いえ、なんでもありません」


 そう言って逃げるようにその場を去ってしまった。

 後悔は今でも残っている。


 あのとき、勇気を出して告白していれば、少なくとも自分の気持ちを伝えることはできた。結果がどうであれ、振られてスッキリしたかもしれない。


 私は、自分の醜さを理由に、大切な想いを伝えることすらできなかった。勇気がなくて、逃げてしまった。


 高校に入学して、環境が変わっても、当然、私の容姿は変わらなかった。相変わらず鏡を見るのが辛いし、人の視線を感じるのが怖い。

 笑われているんじゃないか、嫌がられているんじゃないか。そう思うと誰かに声をかけることもためらってしまい、私はいつも一人で過ごしている。


 ただ、高校生になって、一つだけ変わったことがあった。

 父が私にスマートフォンを買ってくれたのだ。


「高校生になったんだから、連絡手段は必要だろう」


 父はそう言って、真新しいスマホを私に手渡してくれた。私は生まれて初めて、自分専用の携帯電話を持った。


 最初は電話とメールしか使えなかったけれど、だんだんいろいろな機能があることを知った。インターネットで調べ物ができるし、アプリもたくさんある。


 そしてなにより、SNSというものの存在を知った。


 顔を知らない人たちと、文字だけでやり取りができる。アニメや漫画の話で盛り上がることができる。自分の顔を見られることなく、好きなことについて語り合える。


 これは私にとって、新しい世界の扉だった。


 もしかしたら、この世界でなら、私も誰かと普通に話せるかもしれない。容姿を気にすることなく、本当の自分を出せるかも知れない。

 誰かと親しくなって、友だちが出来るかも知れない。


 そんな淡い期待を胸に、私はスマホの画面を見つめた。


 稔くんへの想いは、まだ心の奥にしまったままだった。でも今度は、この新しい世界で、なにか素敵な出会いがあるかもしれない。


 そんな希望を抱きながら、私は新しい高校生活をスタートさせた。

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