第30話 2-15



 Narrator:[Chihiro Yasaka]


 location:[Thirty's House]




 気がつくと、あたしはサーティの部屋で仰向けになって寝ていた。


 隣を見ると、サーティが気持ちいい笑顔で眠っていた。


 彼女は結構耐性あるのかしら、と思いながら起き上がる。


 黒いサーバロボットがあたし達を見守るかのように、近くに鎮座していた。


 人間ではこんなものね。これ以上やりたいなら機械にならないと。


 あたしは自嘲しながらいくつかのホログラフィックウィンドウを開いた。


 ゲームの世界にずっといたいけど、人間の体だと滞在限界があるし。


 これ以上は、ヒトでなく、道具にならないと。


 思いつつも、あたしはグランファンタジアの開発と運営リーダーであるカランちゃんを呼び出した。


 ウィンドウに、肩ぐらいまでの白髪に赤い目、白い肌の可愛らしい少女が現れた。カランちゃんだ。


<カランちゃん、お疲れさまです。あたしは出ちゃったから、テストの結果分析と感想などのまとめ、保守などよろしく。後で全体会議に参加するわ>


<お疲れさまですっ、マスター。サーバ動作状況、クラウドメッシュの負荷などは概ね許容範囲ですっ。テストは終了しましたが、ワールドはしばらく動作させてそのままβテストを行い、様子を見計らって動作させるワールドをアークシャードなどの全体へと拡大させますっ>


<わかったわ。じゃ、アンケートの収集や、プレイヤーのケアなど、よろしくね>


<はいっ。マスターもお休みくださいっ>


<ありがとう。カランちゃん。じゃあね>


 そう言い交わしてあたしとカランちゃんの業務報告は終わり、ウィンドウは小さな電子音を立てて消えた。


 あたしはほっ、と安堵のため息を付いた。


 どうやらテストは良好のようね。次はしばらくワールドを動かして、安定性の確認などを目的としたテストね。それからワールドの範囲を拡大させて、本格的なβテスト、そして本運用へと。


 コンテンツの作成、バランス調整やサーバの運営などは、全てACがやってくれる。二十一世紀には千人、万人単位で行っていた(VR)MMORPGの作成・運営などが、たった一人でできるようになったのだ。


 なんて素晴らしい世の中になったのだろうか。


 そんな事を思っていると、


「う、うん……」


 隣で声がして、何かが動く音がひとつした。サーティが目覚めたのだ。


 サーティはムクリと起き上がると、


「スライムはもうコリゴリだよ……」


 そう寝ぼけ眼で言った。どうやら相当スライムにトラウマができてしまったようだ。


 これは医療用ACに頼んで、トラウマ治療を頼まないと。


「サーティ、おはよう」


「ん、チヒロ、おはよう。先にログアウトしてたの」


「うん、ちょっと活動限界が来ちゃって。テストはどうだった?」


「楽しかったけど」サーティは少し苦笑した表情を見せながら言葉を続けた。「スライムはあんなに強くしないで~。お願いだよ~」


 そう言って心の底からの困り顔を見せた。本当にサーティってば。


「わかったわ。開発陣にはそう言っておくから」


 あたしがそう応えると、


「本当!?」


 キラキラと目を輝かせてサーティが立ち上がった。そして、両手を広げてくるくると廻ると、


「良かった~! アタシ、安心してグランファンタジアプレイできそう!」


 そう言ってから、下着入れを開けてからしばらくなにやらごそごそして、そして閉じてからドアの方へ歩き出した。


 彼女はシャツやスポーツブラジャー、パンティを手にしていた。


 そして、あたしの方へと振り返ると、


「じゃ、なんだか汗かいたから、お風呂に入ってくるわー」


 そう言って彼女は部屋を出て行った。


 自動ドアが閉まる音を聞き届けるとあたしは、ふふぅ~。と深い溜め息をついた。


 まったく、可愛い子ね、サーティって。


 そんなサーティに、あたしは。


恋している。


 寂しい。あたしはこの星に来て、寂しい。この星で人間二人ぼっちというのは、寂しい。


 だからといって太陽系には帰りたくはないけど。一人で自由にやれるのはいいけど。恋さえできないなんて、寂しい。


 だから、サーティと、ひとつになりたい。手をつないでも、足りない。足りない。


 一緒に、いたい。


 そう言えば。


 サーティ、ここに来てから寒いからお風呂に入るようになったと言っていたわね。


 太陽系にいた頃はシャワーで済ませていたらしいけど。


 ふふっ、お風呂の素晴らしさに目覚めたのね、サーティってば。


 そんなサーティで、癒やされたい。


 サーティと心が、通じあえたら。


 それにサーティの体を上から下まで、隅から隅までもっと良くじっと見てみたい。


 サーティの裸を、一度でいいから見てみたい。


 彼女と、ひとつになりたい。


 そのサーティが、お風呂に入ったということは。


 ここは、チャンス、かな。


 あたしもお風呂に入ろうか。


 あたしは持ってきたスポーツバッグを開け、そこから下着類やタオルなどを取り出すと、立ち上がった。


 サーティの部屋を出て、洗面所兼脱衣所へと向かう。


 足取りが軽く感じられる。心がウキウキしてくる。


 サーティ。ふふっ。


 そしてあたしは洗面所の扉の前へとやってきた。ナノマテリアル製の白い扉があたしを威圧する。


 でも負けない。息を大きく一つ吸い込んで、それからドアのボタンを押した。


 ドアは横滑りに小さな空気音を立てて開いた。


 よしっ、入るぞ。


 あたしは一歩踏み出し、洗面所の中へと入る。


 洗面所は明かりがついていて、透明なガラス風プラスチック戸を隔てた浴室にも、白い明かりがついていた。


 その向こう側から、水が絶え間なく流れてくる音が響いてくる。


 あたしの背中でドアが閉まる。


 今のうちに。


 手早く洋服を脱ぎ、下着に手をかけた瞬間だった。


 不意に、シャワー音が止まった。


 続けて中から、ちょっとびっくりした様子の声が飛んできた。


「え、チヒロ?」


 その疑問に対し、あたしは下着を脱ぐ手を休めずに、


「そうだけど」


 一言、部屋の中に入るのと同じような軽さで応えて、自分のパンティを洗濯かごに放り込んだ。


 青いレースのパンティだった。なんでこんな説明してるのかわからないけど。


 ヴィーナスの誕生と同じ姿になったあたしは、浴室の扉の開閉ボタンを押そうとした。すると。


「ちょっ、ちょっ、待った待ったたんまたんま。なんでなんでなんでなんで~っ!?」


 そう、悲鳴にも似た叫びが浴室中に響き渡った。


 心の準備、ね。


 あたしは首を傾げた。そして小さく微笑んだ。


 そんなもの、与えてやらない。


 逡巡せず、あたしは扉の開閉ボタンを押した。


 扉がシュッと開かれる。


 湯気が脱衣所へと、一気に雪崩のように押し寄せてできた。


 その湯けむりの雪崩をかき分けてあたしは浴室へ、一歩、また一歩と踏み入れた。


 湯けむりの隙間から見えてきたのは。


 サーティの真っ白い裸身だった。頬を真っ赤に染めて非常に慌てた表情の、彼女の裸身が。


 あたしはサーティの一歩か二歩手前で立ち止まった。


 あたしとサーティは見つめ合った。しばらく、そのままでいた。


 背中越しに、自動ドアの閉まる音が聞こえた。


 それを合図にするかのように、サーティが、今の思いを口にした。


「なんで、入ってきたのよ? なんで?」


 その言葉も、表情も、困惑、の一言そのものだった。


 貴女の困惑、なんでだかわかる?


 それはね。


 あたしは口を開いた。


「貴女はあたしをこの星に来て初めての朝日を見に誘った時、言ったわよね。『アタシが貴女の特別になってあげようか』って。だからあたしも貴女の特別になってあげるだけよ。それにね」


 あたしはそこで息を一度切った。


 サーティが何かを思い出した様子で、口を開け、目を大きくする。


 それをちらりと見つつ、あたしは言葉を続ける。


 寂しい気持ちになりながら。


 いつの間にか、あたしはうつむいていた。


「それに?」


「あたしは喫茶トネリコで言ったわよね。あたしは人間しか愛せないの。道具であるACとかと恋愛するなんてまっぴらごめんだわ。この星で恋するなら、貴女しかいないの」


 サーティは何かを言おうとして、何も言えずにいた。口に出せずにいた。


 だからあたしは言葉を続ける。


「寂しいの。あたし、寂しいの。でも太陽系には帰りたくない。このままずっとここにいたい。だから」


 サーティはいつの間にか、体をあたしの方へと向けていた。シャワーヘッドがタイル床に落ちる重い音が、ひとつした。


「だから、あたしは、サーティとひとつになりたい。一緒に、いたい。いたいよ……!」


 心の中から何かが溢れていた。わけがわからなくなっていた。


 どうすればいいんだろう。寂しい、寂しい。寂しいよ。ここにずっといたいのに。帰りたくないのに。


 なんで!


 いつの間にか、あたしの両眼の端から流れるものがあった。


 そんなあたしにサーティはそっと近づいて、あたしの体を抱きしめた。


 そして、耳元で囁いた。


「そっか。寂しかったんだね。一人っきりで。でも大丈夫。あたしがいるから。あたしがそばにいるから。だから、寂しいなんて、言わないで」


 そう言って背中に両腕を回し、強く抱きしめてくれた。


 その両腕の強さに、


「うっ、うあっ……! あっ……!」


 泣くしか、なかった。泣き声を上げるしかなかった。


 何も考えずに、しばらく泣いた後、サーティが耳元でまた囁いた。


「じゃ、体が冷えちゃうから、シャワー、浴びよっか」


 そう言ってあたしから腕を外して離れて、シャワーヘッドを拾って、笑顔を見せた。


 その顔が、天使、いや、輝ける天上の女神に、あたしには見えた。


 彼女は笑顔のままあたしに背を向けると、シャワーの蛇口の栓を捻った。


 そして、そのまま勢いよく振り返り、


「ほおらこのシャワーで、涙を流してあげちゃうよ~!」


 全開のお湯をかけてきた。


「きゃっ!」


 ち、ちょっと!


「そ、そんな……!」


 そんなに勢いよくかけちゃ嫌だってば!


 あたしの抗議にお構いなく、サーティは楽しげに熱湯をあたしの顔から全身へとかけてきた。


 もう、まったく。


 前言撤回、しちゃおうかな。


 嘘だけど。



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