彼だけが結婚に熱心だった

黒猫子猫

第1話 マリッジブルー

 半月後の結婚式で袖を通すことになる、繊細な刺繍が施された花嫁衣裳を見つめ、ティナはひっそりとため息をついた。

 その眼差しは憂鬱さが混じっていたが、衣装を仕立てた針子の女性は気づかない。式を目前にして、衣装に不備がないのかを確かめるのに余念がなかったからだ。


 最後の試着を終えて、ティナが帰り支度を整えると、女性は笑顔で祝福した。


「準備は完璧だわ。全て順調だし、良かったわね。これからの人生薔薇色じゃない」


 ティナの暮らす地は、頻繁に支配者が変わった。

 近隣一帯を治めていた国が隣国ルーフスに滅ぼされてからというもの、各国が土地を奪い合い、国境線が四六時中変わっていたからだ。戦が絶えず頻発し、不安定な世情ということもあって、結婚は家同士の繋がりが重視された。 

 特にティナは村長の一人娘であることもあって、父親が勿体ぶって中々相手を決めなかったものだから、彼女はもう二十歳を超えていた。


 嫁き遅れの娘と密かに陰口を叩かれていたこともあって、今回の結婚が全て順調に運んでいる事は、ティナの家族や親類はもちろんの事、親しい人々は誰もが喜んでいる。


 だが。

「……そうかしら――」


 ティナは、曖昧に笑って返した。


 婚約者は、元は流浪の末に村にたどり着いた旅人だった。戦火で故郷を焼かれ、天涯孤独の身となったという。このご時世では、珍しくない。


 半年前に彼は身一つでやって来たが、村の男達と比べ物にならないほどの美貌の主だった。

 長身痩躯であるが、痩せ過ぎという訳でもなく、薄い平服の上からでも鍛え抜かれた体がよく分かるほどだ。それでいて、まるで貴族のように所作が洗練されていた。

 物言いは堂々としたものだが、老若男女問わず誰に対しても分け隔てなく優しかった。


 父親の村長はすっかり彼を気に入って、屋敷に留め置いて歓待した。


 彼がティナを見初めたのは、その頃である。熱心に口説かれたティナは、いつも返す言葉に困った。なにしろ婚前に悪い虫がついては困るからと、ことごとく若い男から遠ざけられて育ったからだ。ただ、彼の思慕に気づいたティナの両親は彼に縁談をもちかけた。


 彼は二つ返事で了承し、ティナもまた両親の命に従った。 


 普通ならば彼の方が玉の輿に乗ったと思われるものだが、今のところ逆である。


 婚約が公表されてもなお、あまりの美貌に彼への他の女達からの誘惑は多かったのだが、彼の中心はいつでもティナだった。戦に駆り出されて男が少ない村では貴重な労働力となったが、彼はよく働き、『村長の娘』の婚約者という立場が霞む程だ。


 そして、ティナは顔だちは整っている方だが、飛びぬけて美人という訳ではない。二重瞼に黒の瞳だったが、それだってこの国の人間にはありふれたものだ。

 長い黒髪は艶やかで褒められる事も多いが、その程度である。彼が『ティナが世界中で一番可愛い』と日々連呼してくるが、気恥ずかしくてたまらない。必死で頼みこんで人前では止めてもらったが、家では一日一回は必ず聞く。

 なんなら、朝一番に目が覚めた瞬間に彼は言う。


 涎を垂らして寝ていた人間に蕩けるような極上の笑顔を浮かべながら囁くなんて、正気の沙汰ではない。


 本来は余所者を警戒するというのに、完璧な好青年はあっという間に馴染んで、今や村の中心人物である。


 誰もがティナとの婚約を祝ってくれたし、両親など婚前だというのに一緒に住めと言って、早々に実家を追い出してくれた。子を先に孕んでも良いとまで言ってくる。実の親とは思えぬ台詞だ。


 そんな後押しもあって、村に一軒家を借りて二人で住んでもう一か月ほど経つ。結婚式まであと半月に迫っていたが、既におしどり夫婦のように見られていた。


 ただ、薔薇色の人生が待っていると言われると、ティナは何故か釈然としない。


「――確かに幸せだと思うけど……彼になんの不満もないのに……なんだか、ちっとも気持ちが落ち着かないのよ」

「それは贅沢な悩みね!」


 単に結婚という人生の一大事を前に緊張しているだけだろうと、皆は口を揃えている。いわゆるマリッジブルーというやつだ。


 ティナも初めはそう思った。


 彼は夫として申し分ない男だろう。むしろ、自分などを妻にして良いのだろうかと思うほどだ。

 でも、何だか違和感を覚えるのだ。それは彼と共に過ごす時間が長くなる内により強くなっていた。


 店を後にしたティナは、村はずれの一軒家に一人帰った。その頃には夕方になっていたが、庭先にいた彼はティナの姿を見るとすぐに駆け寄って来て、いつものごとく大事な宝物を扱うように抱きしめてきた。


「お帰り。遅かったな、迎えに行こうかと思った」

「大丈夫よ。だから、あの……そろそろ、止めてくれる?」


 彼は抱きしめるだけでは足りないと、頭の上や頬に何度も口づけている。婚約が成立してからというもの、大義名分を得たとばかりに、彼はよくティナに触れる。やめてと言っても中々聞いてくれないので、家を探す時にあえて辺鄙な場所を選んでいた。


 愛情表現過多な所を人目につきにくくするためである。


 ティナが身をよじったので、彼は渋々といった様子で腕をほどいた。


「式に必要な物は全部揃ったか? 欲しい物があったら言えよ。お前と結婚するまで真面目に働いて稼ぐからな」

「ええ、ありがとう」


 ティナは微笑んだが、やはりまた彼の言葉に何か引っかかりを覚えた。


 ――あなた、結婚したら働かないつもりかしら。


 我ながら捻くれた見方とも思えたが、彼が結婚を急いでいるようにしかみえないせいか、どうも疑り深くなっている。両親や人々の懐に入り込むのが早すぎる上に、何事も上手くこなし過ぎるのだ。


 でも、小さな村の長の娘の持参金などたいしたものでは無いし、ティナは嫁き遅れ寸前の小娘である。

 両親は人の恨みを買うような者ではないが、さりとて人から尊敬を集める程の者でもない。いわゆる平凡だ。

 

 彼一人だけが、この結婚に熱心だった。

 ティナはその理由が分からずにいる。

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