統合異能捜査局の日々について

技術コモン

概要

情報生命体仮説序論

「異能は誰のものか――情報生命体仮説序論」


2038年1月/中央異能理論学会冬季総会基調講演より

アーレン・メイフラウ 異能情報構造理論研究室 主任研究者


諸君、私たちは異能パンデミックと呼ばれる社会混乱より「異能」という現象を、

人間の内面から生まれる“力”として捉えてきました。

それは意志の発露であり、あるいは個性の拡張として

―― つまり“ヒトのもの”であると。


だが、もしそうでないとしたら?

もし、異能とは“外部から我々に宿るもの”であり、そしてそれ自身が生きているとしたら?


私が本日提唱する仮説を、こう呼びます

―― 異能情報生命体仮説(Exo-ability as Informational Organism Hypothesis)。


この仮説は、

異能を「宿主に依存しつつ、自らの拡張と保存を目的とする情報構造体」と位置づけます。

異能は意志ではなく構造であり、力ではなく生存戦略なのです。


3つの基本前提を述べましょう。


第1に:異能は感染する。

その感染は物理的接触によらず、知覚――とくに視覚による情報伝播を経由して行われる。

つまり、私たちが異能による作用を「見た」瞬間、異能は情報として“伝わっている”。


第2に:異能は選ぶ。

我々が異能を得るのではない。異能が我々を選ぶのです。

自己保存に有利な“宿主”にのみ、異能は発現する。

それは意志ではなく、適合という冷徹な選択。


第3に:異能は変異する。

感染・保存に加え、異能は進化します。

自らの一部を変化させた異能を感染させ、多様性を獲得する。

これはまさに、遺伝子と同じく、情報生命体の本質的戦略であります。


では問おう。

「異能を持つ」とは、何を意味するのか?

それは、“異能という生命体に宿主として選ばれた”という事実にほかなりません。

そしてその宿主は、異能の意図を反映し――ときに変質し、ときに行動を変えられる。


つまり我々は、異能を制御しているのではない。

異能が我々を通じて、自己を保存し続けているのです。


結語としましょう。


異能は力である。だがそれは、ヒトの力ではない。

私たちはいま、人類史上初めて、

「自律的な情報生命体と共に生きている」という現実に直面しているのです。


私の仮説が正しいならば

―― 異能とは、私たちの中に宿る異なる種族であり、

それを制御することは、単なる“技術の問題”ではなく、

共生の設計という、未踏の倫理課題なのです。

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