ゾンビ・パンデミック

畝澄ヒナ

ゾンビ・パンデミック

ゾンビ・パンデミックに飲み込まれた日本。しかし、そこから数年で日本の状態は回復した。ワクチンも開発され、誰もゾンビになることはなくなった。そしてまた数年が経ち、再びゾンビ・パンデミックは起こったのである。




ゆい? 帰ったぞー?」


付き合って三年の彼女と同棲している家に無事に帰宅した。リクルートスーツの俺は、七三の髪をいじり、少し吊り上がった目を擦りながら、いつも出迎えてくれる彼女の姿がないことに疑問を覚えた。


「う……うう……」


部屋の奥からうめき声が聞こえる。もしかして、倒れているのか?


「唯! どうしたんだー! 大丈夫かー!」


彼女の名前を呼んでも返事がない。俺は急いでリビングへと駆け付けた。するとそこには、血だらけの彼女の姿があった。


「何があった! 説明してくれ!」


長い茶色の髪、血で汚れた首元に噛み跡、細身にピンクのエプロン姿。身体を揺さぶってみるが反応がない。もう、手遅れなのか……。


「そんな、誰が、こんなことを……!」


俺は怒りに震え、うなだれていると、彼女の身体は急に動き出し、俺を襲ってきた。


「う、うあああ……!」


「な……! やめてくれ! なんなんだこれは……唯は……もしかしてゾンビに……?」


誰もゾンビにならないようにワクチンは打っていたはず。なのに、どうして……。


「くそ、どうしたらいいんだ……」


俺は暴れ襲い来る彼女を必死に抑えながら、一つの結論にたどり着く。


「もうそれしかないんだな」


どうして彼女がゾンビになってしまったのかは分からない。しかし、今までのワクチンでは対処できない、新種だということは明確だ。だから、もう、選択肢は一つしかない。


「唯、ごめんよ」


俺は護身用に持っていた銃を、彼女の頭に突きつけ、思いきり引き金を引いた。




一度ゾンビ・パンデミックに陥った日本の法律は少し変わってしまった。銃刀法はなくなり、自衛隊が正式に認められたどころか、様々な戦闘組織が形成された。パンデミックから回復したはずだった現代では、海外と同じように、一般人の銃や武器の所持、使用が例外なく認められている。


目の前には頭を打ちぬかれた彼女が、静かに横たわっていた。


「唯……俺は、君の分まで生きるよ……」


俺はそのまま家を後にした。街は、パニックになっていた。


「助けてくれ……!」


「いや、いやあああああ!」


各場所から悲鳴やうめき声が聞こえてくる。俺はそんな雑音に耳を塞ぎながら、車で友人の家へと向かった。


友人の家に着くと、ドアが開けっ放しになっていた。恐る恐る入ると、いつも眠たそうな顔、はねた襟足が目立つ友人が何かを見つめ、部屋の真ん中に立ち尽くしていた。


幸次こうじ、何してるんだよ」


「うわあ! な、なんだ、正輝まさきか。お前も逃げてきたのか?」


「ああ、唯はもう、ダメだったけどな……」


俺の暗く淀んだ表情を見た友人は、俺の肩に手をそっと置いた。


「それは、気の毒だったな……。こっちも両親には連絡つかずで、もしかしたらって思ってる」


お互い、大事な人を失う気持ちは、前回のパンデミックで十分に味わっていたつもりだった。しかし、本当に身近な人間がいなくなるということは、こんなにもやるせない気持ちになるのだと実感した。


「……おい、それなんだよ」


友人の手には一本の注射器が握られていた。


「これか? 新しいワクチンだとよ」


「そんなの、いつどうやって手に入れたんだ?」


「横転した車の中に、ケースに入った状態で置いてあったんだよ」


友人の話では、ゾンビに追われ、目の前で事故を起こした車には怪しげな黒スーツの二人組が乗っていたと言う。武器でも探そうと思っていたところ、近くに五本の注射器が入ったケースを見つけたらしい。


「どうしてワクチンだって分かるんだよ」


「ケースに書いてあったんだ。『NEW POLONOID』ってな」


POLONOIDポロノイドとは、前回のパンデミック終息の際に使われたワクチンの名前だ。これを打てばゾンビになるのを防ぐことが出来る。


「いつの間に開発なんか……まるで二度目が起こることを知っていたみたいじゃないか」


「実際そうだと思う。テロ目的で作られた新しいウイルスが、意図せず流出したと考えるべきだろう」


迷惑な話だ。こんな奴らのせいで俺の彼女は……唯は……。


「それ、打つのか?」


「打つよ。お前は……前回のことがあるからやめとくのか?」


前回のこととは、別の友人がPOLONOIDを打った時、副作用で心臓発作を起こし、そのまま亡くなってしまったのだ。だから、俺は今回のワクチンを打つのが怖い。


「どっちがいいんだろうな。副作用で死ぬか、ゾンビになって死ぬか」


「そんなこと言うなよ。こっちまで怖くなるだろ」


「大丈夫、俺もお前も前回のワクチンを打って、ここまで生き延びているんだ。確かに新しいワクチンは何も分からないけれど、打つことは確実に生きることに繋がるはずだ」


俺たちは覚悟を決めた。ケースに入っていた五本のうちの二本を取り出し、同時に腕に注射を刺した。


「なんともないか?」


「今のところは……大丈夫みたいだ」


二人でそっと胸を撫でおろした。安心したのも束の間、後ろからうめき声が聞こえてきた。ついにこの家にもゾンビが入ってきてしまった。




「おい、お前は武器持ってるのか?」


「護身用の銃が一丁、そっちは?」


「車の中で見つけたライフルが二丁だ。あとは、まあ、気休め程度だが包丁もある」


ゾンビの弱点は頭。脳はもちろん機能していないが、本能で動いていることには変わりない。その根幹を潰せば、ゾンビは動かなくなる。


「分かった、俺が一発で頭を撃ち抜く」


「ちょ、ちょっと待て!」


「何だよ」


友人が俺を制止した。黒髪にたれ目、リクルートスーツを着た小柄な女性。ゾンビをよく見てみると、それは会社の後輩だった。


「あれは間違いなく小雨里奈こさめりなだ。俺たちの大事な、会社の後輩だぞ……」


「だからって何もしなかったら俺たちが殺されるだけだ!」


「そんなの分かってる! 一つ思いついたことがあるんだ、それだけ試させてくれ」


友人はケースから注射器を一本取り出し、針のカバーを外す。


「まさかお前……」


「もしかしたら効くかもしれない。悪いが、一瞬だけでいいから相手に隙をつくってくれ」


「仕方ねえ。一つ貸しだからな」


俺はゾンビに銃を向ける。一度は頭に照準を合わせるが、すぐに数センチずらして後ろの花瓶を撃った。するとゾンビはそっちに反応し、一瞬の隙を見せた。


「ありがとよ」


友人がダッシュでゾンビに近づき、首元に注射を打つ。暴れ出したゾンビに友人は吹き飛ばされた。


「大丈夫か?」


「ああ、これでどうなるかだが……」


ゾンビはしばらく暴れた後、急に倒れた。そして、むくりと起き上がる。


「あ、あれ? ここはどこですか?」


「小雨!」


「正輝先輩……? それに幸次先輩も……」


小雨里奈はゾンビから人間に戻ったようだ。なんという奇跡だろう。


「よかった! とりあえず説明は後だ。ここから逃げるぞ!」


「え、あ、はい!」


俺は後輩の手を引っ張り、友人、後輩とともに車に乗り込んだ。




車を走らせること数時間、俺は自分の変化に気づいていた。


「ああ、おあえ……」


「正輝先輩? 何言って……」


「おえいおああああいんあ」


言葉が上手く喋れない。


「もしかしたら。ワクチンの副作用かもな。小雨はなんともないか?」


「わ、私は大丈夫です。幸次先輩は?」


「俺も大丈夫だ。正輝、もう少し何か喋ってみてくれ」


そんなことを言われても、上手く喋れなくてムズムズする。


「あうええうえ」


「『たすけてくれ』って言ってるのか?」


「うん」


友人はなぜか俺の言葉が分かるようだ。仕方がないから、通訳をしてもらうことになった。




さらに数時間走ると、田舎の町に着いた。俺たちは車を降りて、人を探してみることに。


「誰もいないな」


「こ、幸次先輩……! ゾンビです……!」


うお、おんあおいいくそ、こんなときに


俺たちは湧き出てくるゾンビを倒しつつ、古い病院へとたどり着いた。中には数十人の避難者が一つの部屋に集まっていた。俺たちはここまで来た経緯を長老に話す。


「これはこれは、仲間を集めながらゾンビを倒してここまで来られたとは、尊敬以外にありませぬ。どうか、我らをお救いくださいませ」


なんだか希望を持たれてしまった。ただ、ゾンビの量が非常に多く、この病院ももうもたない。俺たちは町にあったバスを借り、避難者を全員乗せ、町を後にした。




数時間走り続けていたが、さすがにガソリンが足らず、俺たちは全員歩きになった。


「いやあ! ゾンビよ!」


「助けてくれ!」


もちろん全員を助けられるはずがない。数人が犠牲になる。その混乱の中、何かにぶつかり、俺は顔からやわらかいものにダイブした。


「おい、てめえ、うちになにしてくれてんだあ!」


ぶつかったのは巨乳で美人の女ヤンキー。あろうことか、胸に顔を突っ込んでしまっていた。


いい……!ひい……! おえんああい!ごめんなさい!


なんとかヤンキーを説得し、共にゾンビと戦う仲間になった。




俺たちは歩き続けた結果、ある研究所に着いた。そこでは元々POLONOIDの研究をしていたらしい。避難していた研究者が何人かおり、残っていた二本の新しいワクチンから増産をお願いした。


数か月が経ち、軍人ばりに俺たちは強くなっていた。しかし、事件は起こる。


「何あのデカいゾンビ……!」


ヤンキーが叫び、危険を知らせる。


あんあお、ういああんなの、無理だ……」


俺は意気消沈し、諦めかけていた。しかし、友人と後輩は、そんな俺の心を叩き起こした。


「いつだって協力して倒してきたんだ。やるしかないんだよ」


「そうですよ! 私たち、最強の仲間ですから!」


そうだ、俺たちは、このゾンビ・パンデミックを終わらせるんだ……!


決死の覚悟で巨大ゾンビに挑んだ。腕を切り落とし、目を突き刺し、頭をボコボコに潰した。




ゾンビ・パンデミックから一年が経った。ワクチンの増産が完了、日本からゾンビは消え去った。あの時の巨大ゾンビを倒した俺たちは、英雄として日本中に名前を轟かせたのだった。

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ゾンビ・パンデミック 畝澄ヒナ @hina_hosumi

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