魔王軍の中間管理職と南の島
鴎
***
ここは南の島だった。
晴れ渡る青い空、どこまでも続く白い砂浜、雲が浮かび、爽やかな風が吹いている。
砂浜にはぽつんと小屋が立っている。真っ白な板張りの小屋。
ひさしがあって、その下には木のリクライニングチェアがある。
そこには一人の美女が寝ころんでいた。
白いワンピース姿でナイスバディ。白い髪で頭には角が生えている。
彼女は中間管理職だった。
『姫様、姫様、応答願います』
さっきからひっきりなしに魔法通信が入っている。
魔王軍の配下のものたちからだ。
彼女は魔王軍の西の軍勢『豪拳のアドメレク』の配下、五竜将『両翼のレーン』だった。
『姫様! みな驚いています、応答願います』
通信をよそにレーンはトロピカルドリンクをストローですする。
「もう嫌ですわ」
そしてレーンは言った。
『は? 姫様、嫌とは?』
「もう、アドメレク様と配下の板挟みで胃痛に堪えるのは嫌ですわ。飛び交う怒号、私を不満に思う配下、次々と出世していく同期。もう、そんな生活が嫌になったんです。なので私は今全てを放り出して南の島にいます」
『なにをおっしゃるのです姫様! 姫様なくして軍は統率をとれません』
「心配いりませんわ。私がいなくなればラーズあたりがすぐにでも軍を指揮するでしょう。もう嫌なんですわ。全部嫌になりましたの」
『自暴自棄にならないでください姫様。お戻りください!』
「嫌ですわ。ワタクシはもうずっとここにいるんですの。この夢みたいな、人間たちが言う天国みたいな景色の中でずっと暮らすんですわ。のんびりと」
『お父上が悲しまれますよ!』
「もう、もうそういった一切合切が嫌なんですのよ! ああ、戻りたい。あの、なにも不安に思わずに済んだあのころに。こんな毎日薬師に調合させた胃薬の飲み比べをする生活なんてうんざりですの」
『出世はどうされるのです、姫様なら必ずや」
「自分の能力は自分が一番わきまえていますわ。私には将としての能力はありません。他の者を回すのが良いでしょう」
『姫様! お戻りください!』
「お世話になりましたわセワスチアン。思えばあなただけが私の見方でした。遠くから幸せを祈っていますわ」
『姫様!』
そこで通信は途切れた。
レーンは再びトロピカルドリンクをストローで吸い上げる。
「ああ、なんて穏やかな景色」
目の前にあるのはなにもない景色だった。
人も居ない、魔族もいない。ただ、海と空と風だけがある。
レーンは深く息を吐き出した。
「もう、うんざりですわ。なにがうんざりって自分の人生に」
思えば、ずっと身の丈に合わないことをし続けてきた。ずっと若干キャパオーバーなことを押し付けられてきた。性根のやさしさに付け込まれて貧乏くじを引かされ続けてきた。
何度、上司に叱責されたか。何度同期に出し抜かれたか。何人の兵士が自分の下が嫌だと言って辞めていったか。自分に能力がないのは分かっている。だが、それにしたってあんまりではないか。
きっとレーンは選ばれなかった人間で、選ばれなかった人間に権利などなくて、本当は死ぬまでひぃひぃ言いながら生きるしかなくて。
でも、そういった一切合切が嫌になったのだ。
もう自己嫌悪に埋もれるのも、能力のなさに罪悪感を覚えて必死に努力するのも、なんとかして立派な上司になろうとするのも。上の期待に応えようとするのも。
全部うんざりだったのだ。悩むのも頑張るのも、落胆するのも喜ぶのも、そういったあそこで起きる良いことも悪いことも全部嫌になったのだ。
だから、こうして逃げてきた。
「ああ、良い風」
レーンの髪を穏やかな風が撫でた。
ここは静かだった。静かで、のんびりしていて、何も考えなくて良かった。
「ずっとこうしていたいですわ。でも、お金は.....」
ふと財布の中身を思い出しかけたがレーンはすぐに脳内から消し去った。
今は、今だけは、せめてこの安らぎに身を委ねていたかった。
魔王軍の中間管理職という重責から解き放たれたいまだけはせめて。
「ああ、どこまで行っても現実は追いかけてくるのですが。でも」
レーンは水平線を見る。それはとても遠くにあるようで、でも近くにあるようで、眺めているだけで心が癒された。
癒された。それだけで良かった。
「少し泳ぎましょうか」
そう言ってレーンはワンピースを脱ぎ捨て水着になる。
そして、タタっと走って砂浜に足跡を付ける。
夢中になって海に飛び込んでいくレーン。
それは、いつか子供だった頃の無邪気な時間と同じだった。
青い空と強い日差しがひと時穏やかに過ごすレーンを見下ろしていた。
魔王軍の中間管理職と南の島 鴎 @kamome008
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