#01 宇宙開拓初心者
超光速航行技術の一つである、高繰り返し空間再設定航行が開発されてより幾百年。
人類は銀河の隅々までその生活圏を広げ、探索の最前線は今や遠方の銀河団にまで達しつつあった。
開拓に次ぐ開拓。ある者は好奇心の赴くままに。ある者は物欲を満たすために。またある者は憧れに突き動かされて。人類は、広大な手付かずの星々を求めて広がっていった。
宇宙開発には金も資源もかかって、それでいて得るものが少ない……などと、昔は言われていたらしいが、まったく想像がつかない。
むしろ、開拓すればするほど溢れかえる資源のせいで、物価が暴落する方が問題になっているというのに。
価格の暴落を防ぐには、資源を使い込むしかないため、結局、人類は開拓し続けているのであった。
……と、ここまで他人事のように語ってきたが。
僕もまた、そうして拡大を是とする人類の1人である。
◆◆◆◆◆
僕の胸は高鳴っていた。
旅に出るための全ての課程を修了し。
旅に出られる年齢になり。
あらゆる面倒な事務手続きを終えて。
僕はいま、あてがわれた小さな個室にいて。
発進の時を、今かいまかと待ちわびていた。
生まれ故郷であるレグルス系外縁の交易コロニーを捨て、最寄りの大銀河、アンドロメダを目指して。
僕が乗っているのは、銀河を超えて航行できる中型船。通称、銀河団周回艇。
全長250km、全幅75km程度の、ごくありふれた銀河間航行艇だ。
ごくありふれてはいるのだが、今の僕にとっては特別だ。
これまで、銀河の中を巡る旅なら何度か経験している。だが銀河の外に向かうのは初めてだ。なにより、二度と戻らぬ旅なのだ。
アンドロメダから始まり、近隣の小銀河を巡りながら知識と資源を貯め、いずれは大空洞を超えて、最前線へと飛び出すのだ。
その最初の一歩が、この旅なのだ。そしてその一歩を歩ませてくれる者こそが、この船なのだ。特別でないはずがない。
さて。
そんな特別な船に乗って、僕がどんな気持ちでいるのかというと。
……ひどく、緊張していた。
「二度と戻らぬ旅、か……」
それを思い出すたびに、僕の体は震え、期待と後悔とが入り混じったような感覚に苛まれる。
いろいろな反応が込み上げてきて、最終的には大きなため息となる。
僕は何度目かわからないため息をつきながら、額に手を押し当てる。
この時のためにずっと準備してきたというのに、いざそれが目の前に来てみれば、こんなものである。猛烈な不安。後悔。この空域で面白おかしく生きることだって可能なのに……などという思考が巡る。
乗り込んだ瞬間は、早く出発してくれなどと思っていたが、時間経過と共に緊張感と気疲れのようなものが膨らんでくる。
僕は首を振り、特大のため息をついた。
この緊張には、名前がついている。
「旅立ち病」。新たな世界に踏み出す時、必ず訪れると言われている現象で、拡大する人々ならほぼ全ての人が経験するのだそうだ。病というより単に気持ちの問題で、病と名付けた人は単にそんな名前を生み出して自己満足に浸りたかっただけなのだろう。
ともあれ、ここで重要なのは、僕もまたその1人だったということだ。そう、それはそうなのだが……。
わかっていても、どうしようもなかった。
どのように考え直しても、結局もとに戻る。
ぐぬぬ……。
気を紛らわそうと、僕は壁の一枚に視線を向けた。
その壁には外の風景が映し出されており、さながらそこから先が解放されているかのようだ。
その風景を注視する。
壁の向こうには、緑に溢れた大地が見える。
この銀河系では珍しい、「外側」が緑化されたコロニー。
惑星級の大きさを持つこのコロニーは、自身の引力だけで空気を引き止められる。そのため表層を緑豊かな大地にすることができたのだと、課程で習った気がする。
この緑ともお別れか……。
今度は寂しさのような感情が襲ってくる。
緊張と期待と寂しさと後悔とで、おかしくなりそうだ。確かに、病の類かもしれない。名前をつけた人、さっきはごめんなさい。
「……はぁ」
またため息が漏れた。
余計なことを考えても、一向に落ち着けそうにない。それならばと、僕は思い切ったことをすることにした。
小さな端末を手に握り、意識を向ける。すると、部屋の全ての壁、天井、床が外を移す画面となった。
全周が風景に変わる。
遥か下方に見える大地。広大な緑の中に、時々青……湖が混ざっている。
大気と宇宙の境目は、僕の部屋の高さより少し上くらいだろうか。そのまま上に視線を泳がせると、コロニー表層からは見ることの難しい、満天の星空。
宙に浮いているような錯覚。
思わぬ収穫だ。普通なら落ち着ける気のしないこのような風景が、今の僕にとっては一番落ち着くものとなっていた。
あちこちに視線を飛ばしていると、不意に船内放送が鳴り始めた。
「ご案内申し上げます。本船は、間も無く発進に向けた最終確認に入ります。乗客の皆様は、お席にお戻りください」
途端に、緊張が最高潮になる。
後悔も寂しさも、期待までもが、緊張に満たされてどこかに行ってしまった。
とりあえず水を出力して、僕は思い切りあおった。
「ブフォッ! こほっ、かはっ……」
……激しく咳き込んだ。
「……発進の際は、休憩室や展望台を使用することはできません。従来型ペット同伴の方は、専用のケースが必要となります。まだお受け取りになられていない方は……」
咳き込んでいたのと、緊張していたのとで、あまり内容は理解できない。
そんな僕にはお構いなく、放送は進んでいった。
「……高度思考ペット同伴の方は、ペット専用席をお手元の端末より出力ください」
咳がおさまり、やっと耳に入ってきたのは、こんな放送だった。そんな席を出力できるのか。
意識してみると、目の前に、人用のものとそれほど変わらない外見をした椅子が現れた。
……よく見ると、手足を拘束するための枷が付いている。なるほど、ペット専用席というのはこういうことか。
高度思考ペットというのは、最近よく見かけるようになった、人型に近い形状を持つ人造生物である。
大抵は何らかの動物と人間のあいのこのような姿となっており、思考能力は人間と同等。人間を絶対的な主人と認識し、命令に必ず従う。そんな生物群である。そんなわけで高度思考ペットと呼ばれている。
……心を落ち着かせるために、がんばって余計なことを考えてみたわけだが、心臓はバクバクしているし、呼吸の方法も忘れそうになるし、……なにを考えていたんだっけ。
「……ただいま、乗客の皆様全員の着席を確認いたしました。まもなく発進となります。今しばらくお待ちください」
放送が鳴り終わると、鈍い振動とともに低周波の音が響き始めた。主機関の起動準備が始まったのだ……!
再び、船内放送が鳴り始めた。
「主機関起動の際に発生する振動により、不快感を覚える場合がありますが、航行及び生命に問題はありませんのでご安心ください。また、ご気分の優れない方は、鎮静剤をご利用いただけます。お手元の端末から出力し、使用方法を確認の上服用ください。また、ペット用の鎮静剤もございます。操作方法の詳細は、お手元の端末より検索ください。起動は1分後となります」
僕はといえば。
緊張と興奮と期待のせいで、結果としてはひどく不快になっている。だから、鎮静剤は要らない。いや、要るか……?
「起動5秒前。3、2、1、0」
ずん、と、物質的ではない、独特な不快感を伴う振動が発生した。
さっき飲んだ水が逆流しそうになる。
僕にはこの吐き気が、振動のせいなのか、緊張のせいなのか、わからない。
いや、きっかけはこの振動で間違いないのだが、これまでに乗った船では、こんなに吐き気を伴うことはなかったはずだ。
そう、この振動は、主機関起動時に必ず発生する振動で、これまでに乗ったことのあるどの船でも体験していたものだ。
なんなら、コロニー上でも、港の船が出航する直前に、微かに感じたことはあった気がする。
今回のがこれほど強烈なのは、船、あるいは主機関が大きいから、と言うことなのだろうか。
……そういえば、この振動について、なにか忘れているような……。
不意に、もう一度、ずん、という振動。
1回目よりも大きい。
……先ほど飲んだ水が本気で逆流しそうになり、僕は慌てて口を押さえた。
そうだった。振動は2回あったのだった……。
もう振動は感じないのに、不快感はしっかり残っている。今回は間違いなく、緊張のせいではない。というより、不快感のあまり緊張がどこかに行ってしまった。
「発進します。ご注意ください」
今度は、物質的な振動。船はコロニーから切り離され、上昇を始めた。
加速度を感じる。場を制御することでかなり抑えているらしいが、下に向けて押しつけられるような感覚がある。
大気の境界は下方に沈んでゆき、緑は見えなくなっていく。
大気から完全に離れた後、船は船首を外宇宙へと向けた。その先には、ぼんやりと輝く雲‥‥アンドロメダ。
船内放送が流れる。
「これより、空間再設定航行を開始します」
次の瞬間、別れを惜しむ間も無く、故郷は視界からかき消えた。
そして、暗黒の宝石箱が、視界いっぱいに広がったのである。
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