第一章『転入と止まらない雑踏』(01)

「……ふぅ、今の、ほんとに効いたんだ」

 学園の正門へ戻る途中、瑚都は袖で額の汗を拭いながら言った。まだ少し息が上がっているが、その表情は達成感に満ちている。

「お前の歌声、音響特性が面白い。倍音がすごく綺麗で、しかも安定してた。抑制に特化してるタイプか?」

「倍音? うーん、あんまり難しいことは考えたことないけど、音楽は小さい頃から好きだったの。ピアノも少しやってたし」

「ピアノ……納得だな。空間に響く音の組み立て方、直感的に理解してるっぽい」

 亮太は分析的な口調で言いながら、さりげなくデバイスの記録を保存する。歌声の波形、反響点、〈ノイズ〉の音圧変化。全てが彼の“研究対象”だ。

「でもね……」

 瑚都は、少しうつむいた。

「今日みたいに、人を守るために歌ったの、初めてだった。今までは、もっと舞台で歌うとか、オーディションで歌うとか、そういうのばっかりで……」

「だから震えてたのか。最初の一音だけ」

「うっ、バレてた……」

「でも次の瞬間には、抑え込んでた。すごい集中力だったよ」

 言いながら、亮太は不意に足を止める。二人の前には、さっきまでと同じはずの正門が見えていた。だが門の前には、十数人の生徒と数人の大人たちが集まっており、ざわめきが起きていた。

「なんだ……?」

「理事会関係者かも。たぶん、今の〈ノイズ〉の件で調査に来たんだと思う」

「理事会って、学園の運営母体?」

「うん。星唱学園って、表向きは“音楽教育機関”ってことになってるけど……あまり大っぴらにはされてないけど、“音響異能”の研究と訓練もしてるの」

 亮太は一瞬だけ視線を鋭くした。

「……つまり、君たちは知ってるわけだ。〈ノイズ〉は、自然発生じゃないってこと」

「……うん。でも、言っていいことと、まだ言えないことがあるの。亮太には、もうちょっとこっちの生活に慣れてからでもいいかな」

「なるほど。合理的だ。俺も、まずは観察から入るタイプだし」

 瑚都が少し微笑んだ。二人の間に、ようやくわずかな“呼吸”が生まれ始めていた。

 そのとき、ひときわ大きな声で指示を飛ばしていた年配の職員がこちらに近づいてきた。

「君たち、今の異常音響に関与したかね?」

「はい、わたしが対応しました」

「わたし“たち”です。僕が反響支援用のドローンを出しました。記録データもあります」

 亮太が端末を掲げると、職員は少し驚いたような顔をした。

「君……転入生か?」

「はい。今朝の便で来ました。大森亮太です」

「そうか……。これは“共鳴適性”の報告に値するな。入学前にノイズ鎮静に関与した例は稀だ。記録しておこう」

 そう言って職員が立ち去ったあと、瑚都がぽつりとつぶやく。

「……やっぱり亮太、すごいな。入学初日で、“共鳴”の片鱗を見せるなんて。しかも即応で動けるなんて、普通じゃできないよ」

「普通じゃないのは、お前の歌声の方だよ」

 亮太は思わず口に出した。自分でも、少し照れるような響きだった。

「えへへ、ありがと」

 笑う瑚都。その笑顔の裏で、彼女の胸の内には、一つの確信が芽生えかけていた。

 ——この人と、組めたら。

 ——もっと先まで、音を届けられる気がする。

 その直感は、まだ言葉にならなかったが、確かに彼女の中で響いていた。

 亮太もまた、次の問いを心の中で繰り返していた。

 この学園に何があるのか。〈ノイズ〉はなぜ発生するのか。誰が、何のために、音の力を使っているのか。

 すべては、始まったばかり。

 雑踏の中に響いた音の記憶が、二人の共鳴の始まりを告げていた。

(第一章・完)

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