月めくりエッセー Oct.夜長の候

山谷麻也

つれづれなるままに

 ◆つるべ落とし

 

 昨年九月から一二月にかけ、当地(経度133.8518 緯度33.9335)では日照時間は次のように変化した(maplogsによる)。

[年 月 日]   [日の出]   [日の入り]  [日照時間]

24年09月01日  05:15:34  18:13:40   12時間58分5秒

24年09月30日  05:38:26  17:30:11   11時間51分45秒

24年10月01日  05:39:15  17:28:42   11時間49分26秒

24年10月31日  06:06:29  16:49:17   10時間42分47秒

24年11月01日  06:07:30   16:48:14   10時間40分44秒

24年11月30日  06:36:58  16:29:21   9時間52分22秒

24年12月01日  06:37:54  16:29:09   9時間51分14秒

24年12月31日  06:56:11  16:38:03   9時間41分52秒                   


 一か月間に、九月は一時間六分二〇秒、一〇月は一時間六分三九秒、一一月は四八分二二秒、一二月は九分二二秒、それぞれ短くなっていった。「秋の日はつるべ落とし」とは、よく言ったものだ。


 ◆提灯点けて通学


 現住所は生家のあった村よりは、かなり山を下った地域にある。 比較的平地にしてこうだから、山奥の村では日常の行動も大きく制限された。

 ある生徒は一〇キロあまりの道のりを登校していた。彼女の話では、日が短くなる季節は、提灯を点けて家を出る。道が明るくなると、提灯を消して、そばの木の枝に架けておく。下校してくる頃には日が暮れかかる。再び提灯に灯を入れて家路を急いだという。


 余談ながら、彼女はよく学校を休んだ。

 担任が家庭訪問し、通学の大変さを身をもって知ったらしい。彼女が遅刻・欠席しても、とがめなくなったという話が伝わっている。


 ◆農家のDNA

 

「夜なべ」という言葉がある。あった、というのが正しいかもしれない。「夜なべ仕事」などとも言っていた。

 筆者が物心ついた頃、すでに戦後の困窮期は脱していた。祖父や両親が夜なべをしている光景を目にした記憶は、あまりない。煙草を栽培していたので、乾燥させた葉を手でのす作業はよく手伝った。もしかして、あれは夜なべ仕事だった可能性もある。


 昔の人は時間を有効に使った。雨天で野外の仕事に出られない日など、納屋でわらを打って縄をったり、むしろを織ったり、いくらでも仕事はあった。DNAを律儀に継承しているのか、筆者も藁を与えられると見事な縄に完成させる自信がある。


 ◆田舎の闇は濃い


 それでも、半世紀余におよぶ都会生活で、田舎の環境に対応する能力は低下した。Uターンするに際して、実家はすでにないため、姉の嫁ぎ先に相談に行ったことがあった。


 姉は山の中腹に住んでいた。急に道が狭く険しくなった。ドライバーに気を遣って、タクシーを帰したことを後悔した。月明かりさえない夜だった。もとより、懐中電灯など準備していない。

「田舎の闇はこんなに濃かったのか!」

 う這うの体で姉の家にたどり着いた。


 筆者の少年時代なら、あの時間帯でも、多くの家が起きて明かりをともしていた。提灯を片手に、誰かが通りかかることも期待できた。しかし、最近では過疎化が進んで、村は消滅を待つばかり。村から人工の明かりは消えようとしている。


 ◆母さんの手袋


 夜なべという言葉に馴染みがない人でも、『かあさんの歌』(窪田聡作詞・作曲)は口ずさんだことが多いだろう。

「木枯らし吹いちゃ 冷たかろう」と、夜なべして「せっせとあんだ」というから、歌の一番は今の季節と思われる。


「いろり」「わらうち仕事」「小川のせせらぎ」などと、農村の原風景を見る思いだ。季節感は薄れても、せめて「夜が長くなってきましたね」と、時候のあいさつくらいは忘れないでいたいものだ。

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月めくりエッセー Oct.夜長の候 山谷麻也 @mk1624

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