月めくりエッセー Nov. 麦を食え

山谷麻也

主食交代劇


 ◇麦蒔きとお産


 一一月は筆者の誕生月である。七日に生まれた。星座で言えば、さそり座である。

『異邦人』『ペスト』などで知られるアルベール・カミュ(Albert Camus フランス 一九一三ー六〇)も同じ誕生日だ。

 カミュの父親は農場労働者だった。筆者の生家も農家だった。母親が実家の麦蒔きの手伝いに行っていて、産気づいたと、よく聞かされた。


 昔はどの農家も麦を栽培していた。麦が主食だった時代もある。

そんなことを書いたところ

「知ったかぶりするな。ワシらは麦飯さえ食えんかった」

 というお叱りを受けたことがあった。


 昭和二〇年代中期の生まれでもあり、麦飯を食べた記憶はない。柳行李やなぎこうりの弁当箱に黒い麦がぎっしり詰められていたのは覚えている。おかずは別の柳行李に入っていた。傍目はためにとても食指は動かなかったが、山仕事などに従事していた人はお昼を待ちかねていたことだろう。


 ◇踏まれて強くなる


 長い間、麦飯は貧乏のシンボルとされてきた。

 筆者の生まれる前年(一九五〇)の一二月、当時の池田勇人大蔵大臣が国会で「低所得者は麦、高所得者は米を多く食べる方向に持って行きたい」などと答弁をした。いわゆる「貧乏人は麦を食え」発言である。当然ながら、庶民の神経を、逆なでしてしまった。


 麦は不思議な植物である。

 芽が出てくると、踏みつけられる。麦踏みだ。これをしないと、麦は丈夫に育たない。どこか人の世に通じるものがある。言うまでもなく、再起不能になるまで芽を踏んでしまっては、元も子もないが。


 ◇畑から消えた日


 初夏に金色の麦畑が波打っていた。いつの頃からか、幻の風景になってしまった。

 奥地の農家の証言によれば、38豪雪(昭和三八年)により、麦が全滅し、以来、麦を栽培しなくなったという。


 折しも、昭和三五年(一九六〇)に池田内閣が「所得倍増計画」をぶち上げ、国民は豊かさを実感するようになっていた。

 筆者の周囲では、米の飯に主役は交代し、丸麦は姿を消す。たまに押し麦が米に混ぜて炊かれていた。


 給食は普及していなかった。

 アルマイトの弁当箱を開けると、押し麦が目に入る日もあった。まわりにバレないように、表面の押し麦は家で食べて来たという友人もいた。

 麦には各人各様の思い出がある。


 ◇心配なこと一つ


 麦蒔きの日に生まれた宿命か、けっこう踏まれ、打たれて育った。

 友人たちは、筆者の生命力に驚嘆しつつも、将来に危ういものを感じていたようだ。ある時、親友から、長女誕生の電話をもらった。母子とも健康だという。


「それはよかったなあ」

 カップルの苦労を見てきただけに、心から祝福したい気分だった。

「けど、心配なことが一つあるんや」

 と水を差すようなことを言う。

「それは、何や」

「お前と誕生日が同じや」


 あれから半世紀が経つ。息女がどう育ったか。ゆっくり会ってみたいものだ。

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