編集済
せんじょうの天使への応援コメント
戦場の線上と扇情ですね。
でも扇情的というよりも、命がとても軽い感じがして、何というか凄惨な戦場を強く感じます。
作者からの返信
🔨大木 げんさん
その通り。戦場において人の命はとても軽く扱われます。まるで捨て駒です。クソみたいな銃器の前に儚く散ってゆくのです。どうせそんなに儚く散ってゆく運命ならば、目の前の煽情的な天使に溺れて儚く散ることも選んだって構わないだろうと言うものです。
また、戦場におけるもう一つの儚い命を詠んでおりますが、そこまでは語りません。
戦場なんて正気で立てるものではないでしょう。ならば異常なまでの情欲に酔い痴れ、耽溺することも良いのではないかという、とてもお粗末な世界観です。
せんじょうの天使への応援コメント
トカレフとカラシニコフはソビエト時代の安価で大量生産できる粗悪品。
安全装置もないから、味方の兵士がそれで亡くなることも多い。
最前線の兵士の命は数だけで。
名前もあって、誰かの息子で。
今も作られて流れていくわけで。
そんな夜にバイオリンの音がして、それだけが良心を呼び覚ます。
なのに、G線が切れてしまった。変わりは持ち合わせてない。
明日からはどうなってしまうのだろうか。
そんな悲しみを感じました。
作者からの返信
おしたしさん
トカレフとカラシニコフは安価に手に入る耐久性に優れた殺戮兵器。誰にでも扱えて、組み立ても簡単、修理も簡単、威力は十分。アメリカ製のアサルトライフルは暴発ばかりでしたが、カラシニコフの信頼は兵士たちには絶対でした。今でも現役で悲しい活躍を続ける殺戮兵器。人を殺した数だけならどんな兵器にも負けないかも知れません。こんな武器が十一歳の少女も持って戦っていると言うのです。
戦争なんて合法的な大量殺戮に過ぎません。防衛するにしても人を殺す大義名分が生まれるわけです。戦場に立つものが悪い者とは限りません。価値観や考え方の相違だけで人が憎み合い、殺し合うのです。
このお話に明日なんてありません。せめてその一時の甘い時間を、生きていた甘美な時間を、その魂に刻んでやりたかったのです。G線は二人のメロディ。でもいつかその主旋律も終わるのです。
悲しいお話ではありますが、戦争なんかで死ぬよりかは、自分で死に方を選べる(つまり生き方を選べる)方がよほど良いと思ったのです。コメントを有り難うございますm(_ _)m
せんじょうの天使への応援コメント
ひらがなで「せんじょう」とあり、トカレフとかカラシニコフの文字に、ハードボイルド?と思いました。
でも、ちょっと違うか?ともう一度読み・・
皆さんへの返信を読ませて頂きよく分かりました。
戦場は命のやり取りの場、悲惨でむごたらしい、そんな中にも天使は舞い降りる?
命が消える前に天使に会わせてやりたい。
読み手である私が上手く理解できていなくてスミマセン
作者からの返信
ローバちゃん
戦場へは行ったことのない私です。しかし大量の資料を読んでいると、その内容の不毛さ加減に腹が立ってきました。人間の愚かさは群を抜いています。
戦場に向かうのは若い兵士が多いです。血気盛んな年ごろでしょう。ならば精力も異常なまでにあるわけで、どこの戦場でも被害に遭うのは女性たち。どちらも精神的には振り切れた境地でしょう。どちらも命の遣り取りをしていると言えます。悪いのは兵士でも兵器でもありません。戦争そのものであり、政治家であり、人の欲そのものと言えるでしょう。
そんな戦場で不毛な殺し合いに命を使うくらいなら、一時の煽情に乗るのも一興。それに命をかけるなら不毛ではなく本望でしょう。
そんな儚く空しい命の無常をしたためたものでございます。