プロローグ その2

「ここか……」


 ポルクの森を抜けてから、リカード街道の一本道をひたすら進んで数刻。

 ゲル爺は、ようやく老女の目的地へと到着した。


 それがあったのは、遠目からでも目視できるぐらいの大木の下。中々立派な木造建築物が二軒、二階部分の渡り廊下を挟んで堂々と構えていた。

 いや、実際には二軒の背後にも何かあるのだが、蒸気を吹き鳴らす左の建物が邪魔でよく見えない。


「……よっこらせっと」


 荷馬車を道の傍らに止め、ゲル爺は背後の小窓をノックしてから、荷台に乗っている老女を呼びに行く。

 被さっていた緑色のほろを荷台の後ろからまくり上げると、老女はうたた寝をしていたのか、ビクッと体を強張らせた。


「ほれ、着きましたぞ」

「ん……あぁ、着きましたか」


 毛布にくるまっていた老女は、寝惚ねぼまなここすりながら立ち上がる。

 早朝だから無理もない、とゲル爺は老女を気遣った。ゲル爺は職業柄、この時間帯の気候などにも耐性があるが、一般人にとっては堪える寒さだろう。


「大丈夫ですか……?」


 頭巾を被り直し、木の手提げかごを持った老女は、覚束おぼつかない足取りで荷台から降りてきた。

 そして、目先の店を確認すると納得したように頷き、慈母のように微笑んだ。


「ええ、おかげさまで。何事もなくここまで来れました。これも全てあなた様のおかげです。何とお礼を申してよいやら……」

「先程も言いましたが、私は偶然通りがかっただけの商売人に過ぎません。ただ、私のがさつな運転で満足いただけて何よりでした」

「ふふふ、本当に謙虚な方ですね。やはりそういう性分でないと、商売人は勤まらないのでしょうか」

「いえ、ただ褒められたりすることに不慣れなだけですよ。こう見えても恥ずかしがり屋なものでね」


 ははは、と自嘲じちょう気味に笑うゲル爺。その横顔を微弱な陽光が照らし出す。

 東の空を仰ぐと、赤い太陽が顔を出しているのが見えた。朝が近い。


「もしよろしければ、ご一緒に店まで行きませんか? 色々な雑貨が置いてあって、見るだけでも面白いですよ?」

「いえ、私はそろそろ仕事があるので……」


 ゲル爺が語尾をにごすと、老女は笑みを崩すことなく静かに頷いた。


「ああ、そうでしたか……。それは失礼しました。では、ここでお別れですね。今日していただいたご恩は決して忘れません。また出会えることを切に願います」

「はい、私もです」


 言い終えて、二人は握手を交わした。

 ゲル爺の分厚い手が、老女の小さな手をすっぽりと覆ってしまう。しかし老女の手は、ゲル爺の手の中で確かな温もりを持っていた。

 温かい、とゲル爺は老女の手を離す。


「それでは」

「ええ。道中お気を付けください」


 それだけ言うと、老女は店の方へと歩き始めた。

 老女の後ろ姿を見送り、ゲル爺も荷馬車の方へと戻る。


「はぁ……。まったく、柄にもないことを。そもそもあの御婦人は、こんな肌寒い朝っぱらから何を買いに来たんだ? ……まぁ、ワシにはもう関係のないことじゃが」


 独り言のように呟き、再び荷馬車をリカード街道のレールに乗せた。

 最後にもう一度だけ、ゲル爺は店に視線を投げる。


『便利の旗印:何でもお道具店・LIBERA』


 視界の端で捉えた立て看板には、カラフルな模様を添えてそう書かれていた。


「『LIBERA《リーベラ》』、か……」


 次にここを寄った際は、一度入ってみよう。


 ゲル爺は再び走り出す。我知らず笑っていることにも気付かずに。

 リカード王国に向けて。今日も、行商人としての生業を全うするために。


「五年――いや、もう十年はいけそうじゃのう」



 眩い光が、ゲル爺の荷馬車を吸い込んだ。


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