スサの追放

あおい

「スサよ」


 こちらの名を呼ばわった声は、ひどく重々しいものだった。


わたしはそなたを追放せねばならん」


 スサは後ろ手に縄を受け、屈強な男神おがみに両脇を挟まれるようなかたちで、神殿の床に引き倒されていた。


 そんなスサを、感情の浮かばない凍った表情で見下ろしているのは、アメノ高原タカハラを主宰する最高位の天神アマツカミであり、スサの姉神でもあるアマテである。


「くそっ、なんのつもりだよ、アマテ……!」


 スサは抵抗し、アマテを睨み据えた。


 だが、アマテは表情を動かさなかった。


「スサよ。これ以上そなたを天原に置いてはおけぬ」


「はあっ?! なに言ってんだ、あんた!」


「そなたがここにおれば、争いや混乱の種を生む。アメノ高原タカハラをあずかる者として、わたしは、決断せねばならなかった」


「ははっ、なんだそれ? アマテ、が、お偉い姉神さまよ! どんなにもっともらしいこと言ったって、結局、あんた、俺が怖いんだろ? いつか俺が、あんたのその地位を脅かすと思ってる。だから、そうなる前に、追い出しちまえってかっ?!」


 くそったれが、ふざけんな、と、スサは美しい姉神に向かって口汚く吐き棄てた。


 アマテは、そこではじめて、ちら、と、ちいさく眉根を寄せた。


「何とでも申すがよい、スサよ。どうにせよ、そなたは今この時を以て、この地を追われる」


「は……どこへ墜とされるってんだ。まさか、兄貴のところか?」


 スサの問いに、アマテはゆるくかぶりを振った。


「そなたがゆくのは、ネノ堅原カタハラではない。ナカノ葦原アシハラだ。――わたしの決断は覆らぬ」


 アマテが宣告し、手を振って合図すると、スサを押さえ込んでいたふたりの男神が今度はスサの身を無理矢理に起こさせた。


「くそっ、なんで俺が……っ!」


 スサは抵抗しようとした。


 いつもなら、男神のふたりくらい、軽く投げ飛ばすことが出来ただろう。それほどにスサは強い。


 だが、ことここに至ってみれば、そのスサの並外れた力をこそ、アマテは疎んじていたのだろうことが窺われた。だからなのだろう。ご丁寧に、いまスサにかけられている縄は、スサの霊力を抑えこむ働きがあるもののようだった。


 うまく力を出すことができない。おかげでスサは、不本意ながらも、男神たちに引き摺られるようにして歩まされるよりほかなかった。


 扉がある。


 千年檜の一枚板の、立派な門扉がぽかりと浮かんでいる。


 ぎりぎりぎりぎり、と、重厚な音と立てて、触れもせぬのに門扉は開いた。


 扉の向こう側には雲海が彼方かなたまで広がっている。


 そして、扉のところには、あまの梯立はしだてが架かっていた。


 雲がくと、遙かな下に大地が見える。


 鬱蒼うっそうたる森、黒々とした土、火を吹く山、うねる川。


 きらびやかな神殿が並ぶアメノ高原タカハラとはまるで違う、ナカノ葦原アシハラ――……そこは、人間ひとと草木と鳥獣とが数多さわにいて、荒ぶる地祇チノカミうごめく場所だ。


「なんで、俺が追放なんて……!!」


 往生際悪く、天の梯立の縁に立たされたスサは、再び呟いた。


「なぜ、か……我が、末の弟よ。そなたがその問いに答えを得たときには、我ら姉弟きょうだい、また再びあい見ゆることとなるやもしれぬな」


 アマテは言って、また、合図を送るように軽く手を振った。薄い布でできたうつくしい領巾ひれが、アメノ高原タカハラの主宰神の動きに合わせて揺れる。


 スサを抑えつけていた男神ふたりは、スサの身体を門扉の外へ押し出した。


 それと同時に、扉は再びぎりぎりと音を立てながら、ゆっくりと閉じ始めた。


「アマテ! 覚えてやがれよ!」


 スサは、扉を隔てて姉神を睨み、叫ぶように言った。


「俺は必ず戻ってくる! その時には……お前を、倒す! お前からすべてを奪って、俺こそがこのアメノ高原タカハラの支配者になってやろう! そのときを、せいぜい首を洗って待っているんだな、我が、親愛なる、姉神さま」


 覚悟しておくがいい、と、スサは奥歯を噛みしめつつ、最後にそう吐き棄てた。


 アマテは静かな眸でじっとスサを見据えていた。


 やがて、千年檜の巨大な扉が、ぎりり、と、無情な音を立てて締まりきった。

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