第9話 吸血鬼は眠りにつく(2)
レンカは
クッションを枕に横たわったシルヴェストルは、「寝心地が悪い」と文句を言った。
櫃の長さは、シルヴェストルがぎりぎり入るぐらいである。
横幅も腕をわずかに広げられる程度しかなく、端から見ても窮屈そうだった。
「ごめんね。寝台を使ってもらいたいのは、やまやまなんだけど」
「べつに、おまえの責任ではないだろう。僕が吸血鬼である以上、仕方あるまい」
シルヴェストルは身じろぎし、レンカから目をそらした。
「……だが、二百年も眠りつづけるなど、可能なのか? いくら吸血鬼といえど、そんな話は聞いたことがないぞ」
「それについては心配しないで。どうすればいいのか、ちゃんとわかっているから」
怪訝そうなシルヴェストルに、レンカはほほえんだ。
「それじゃあ、ゆっくり休んでね。また二百年後に会おう、シルヴェストル」
「……まあ、おまえのことを覚えていたら、会ってやらなくもない」
彼らしい返答に、思わず笑い声がもれた。
レンカはしゃがみこむと、シルヴェストルの頬にそっと手を添えた。
目を丸くし、硬直した彼の耳に口を寄せる。
「わたしが櫃を開けるまで、眠りつづけなさい」
命令を発した瞬間、シルヴェストルは目を閉じた。
寝息はない。胸も動かない。
青ざめた彼は、こうして見ると、やはり死体にしか見えなかった。
ひんやりとしたシルヴェストルの頬に口づけると、レンカは彼の姿を心に焼きつけるように、じっと眺めた。
(二百年後のあんたも、絶対に救ってみせる)
改めて決意すると、櫃の蓋をしっかりと閉めた。
不意に、室内が真昼のように明るくなった。
レンカが目をしばしばさせているうちに、光は弱まりながら、白鳥の形になった。
「ありがとう、レンカ」
「いいえ、わたしの意志でやったことですから。……それにしても、シルヴェストルを眠らせたのがわたしだったなんて、なんだか不思議な気分です。わたしのこと、あいつは覚えていないみたいだったし」
隣に現れた白鳥は、やや沈んだ声で言った。
「恐らく、大火を引き起こした衝撃で、記憶が曖昧になってしまったのだと思う」
「……そうでしたか」
けれども、まるっきり記憶を失ったわけではないのだろう。
初めて会ったとき、『どこかで会ったことがあるか?』とたずねてきたのだから。
「そうだ。ずっと気になっていたんですけど、この城には、どうして誰もいないんですか?」
「シルヴェストルを守るため、火事の幻覚を見せて、城の管理人や衛兵を追いだしたから。あとは城に目くらましを掛けて、誰にも見つからないよう、隠したの」
「あれ? でもわたしは、二百年後、ここまでたどり着きましたよ」
「あなたは紅血の指輪をはめているから、特別。指輪同士の引きあう力が、まやかしを打ち破ったのね」
「じゃあ、わたしを追いかけてきた騎士たちは」
「一時的に目くらましが利かなかったから、城に侵入できたのだと思う。それ以降は、誰の姿も見かけなかったでしょう?」
「なるほど」
アーモスですらチェルヴィナー城の存在を知らなかったのは、そういうわけだったのか。
「じゃあ、城がきれいだったのも、
「シルヴェストルが眠る城を、蜘蛛の巣まみれの廃墟にしたくなかったから」
「おかげで、掃除の手間がだいぶ省けました。ありがとうございます」
レンカが頭を下げると、白鳥はくるりと首を丸め、うなずいた。
「さあ、ここでなすべきことは終わった。元の時代に戻りましょう。あの子の近くまで送るわ」
蹴られた脇腹の痛みが、急に鋭さを増した気がした。
それが顔に出ていたのか、白鳥はこちらを安心させる口ぶりになった。
「大丈夫。もう、あなたが捕まるような事態にはならない。危険がまったくないとは言えないけれど」
「……わかりました」
レンカは深呼吸し、腹に力を込めた。
「お願いします、末葉守さま」
途端、指輪から、爆発するように光があふれ出した。
反射的に目をつむると、突如として、よどんでいた空気が変わった。
肌に突き刺さるように冷たく、同時にすがすがしい。
まぶたを開けると、辺りは海に沈んだように、瑠璃色に染めあげられていた。
左手の空が、ぼんやりと明るい。夜が明けるところだろうか。
まばたきして目を慣らせば、眼前に、斜面が広がっているのがわかった。どうやら、丘の中腹にいるらしい。
レンカはさらに状況を確認しようとして、氷が割れたような音を耳にした。
足元を覆うのは、氷ではなく、溶け残った雪だ。
周りを見わたして、ふと、もしやと思いついた。
左手を顔の前に持ってくる。
薬指にはめた指輪は、よく見ると、石の部分にひびが入っていた。
「壊れてる」
レンカが見つめているうちに、ひびは全体に広がり、しまいには砕け散ってしまった。
「あなたの持つ主の指輪と、シルヴェストルが持つ下僕の指輪。このふたつが引きあう力を利用して、時を超えたの。極限まで力を使ったから、耐えられなかったのだと思う」
足元にいた白鳥が、そう説明してくれた。
「……そうでしたか」
この指輪をはずすため、どれだけ苦労したことか。それを思うと、これほどあっけなく壊れたことに、ひどく複雑な気持ちになった。
「これであなたは、シルヴェストルの主ではなくなった。あなたを縛るものは、もうなにもない。……故郷へ帰るのも、ここに残るのも、あなたの自由よ」
「故郷には帰りません」
レンカはきっぱりと言い切った。
「主従とか関係なしに、わたしはシルヴェストルを助けたいんです。あいつと一緒でなければ、アルテナンツェを離れるなんてありえません」
「……そう」
白鳥の相づちは、どこか嬉しそうだった。
「ありがとう」
「こちらこそ。助けていただき、ありがとうございました」
「あのね、レンカ」
白鳥はためらうように間を置いた。
「……いえ、やっぱりいいわ。気をつけてね。また会いましょう」
「はい、また」
そう返してから、レンカは首を傾げた。
(末葉守さま、まだなにか用事があるのかな?)
しかし、たずねようと思った時には、白鳥は
夢でも見ていたかと思うほど、なんの痕跡も残っていなかった。
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