砕心一途、マリア・グランツ

 マリア・グランツ――27歳、フィルゼン帝国が誇る名うての傭兵。黒髪ショート、鋭い目元には深い刀傷、引き締まった褐色の体を露出度高めの戦士装備に包むその姿は、魔物討伐隊の中でも一目置かれる存在だった。傭兵仲間からは「マリア姐さん」と呼ばれ、荒れた前線のまとめ役。だが今、舞台中央に立つ彼女の肩は、不自然なほど震えていた。


「う、うちは……その……あのさ……」

 マリアは顔を真っ赤にして、視線を泳がせ、指先をぎゅっと握ったり開いたり。普段の「ゴルァ!」や「腰抜けどもが!」の強気な口調は完全に消え失せ、乙女のようにモジモジと小さく震えていた。


「えっと……だ、だからさ……その……好き……いや、違う、愛し……いや、いや違くねぇけど……その……!」


 頬をさらに真っ赤にし、頭を抱え込むように一瞬下を向く。


「こんなんじゃ……だめだろ、うち……!」


 ぐっと顔を上げ、鋭い眼光を取り戻す。深く息を吸い込み、拳を握りしめた。


「好きだ!惚れちまったんだ!見みてくれ、シンジ!これがマリア・グランツだ!」


*******


 昔、まだ十代だったころ。マリアは村の近くで魔物討伐を請け負う小さな傭兵団に身を置いていた。幼なじみのリーナは、唯一の親友であり相棒だった。


「マリア、右のワイバーンは任せた!」

「おうよ、リーナ、油断すんなよ!」


 ふたりは肩を並べ、魔物の群れを相手に戦った。村を守るため、仲間を守るため、剣を振り続けた。夜営の焚き火で疲れた体を休めるとき、リーナはよく言っていた。


「なあマリア、うちらさ、強いとか弱いとか関係なく、誰かのために戦ってるんだよな。……いつか、ちゃんと見てくれる人、現れるかな」


「ば、ばか……そんなこと……戦えりゃいいだろ……」


「でもさ、マリアなら、きっと見つけられる。うちの中で一番強くて、一番優しいやつだもん」


 そんなリーナが、ある討伐任務で命を落とした。マリアの腕の中で、最後まで笑っていた顔が忘れられない。あのとき、マリアは誓ったのだ。自分はただの剣じゃない。誰かに胸を張って、心をぶつけられる人間になるんだと。


 そして今、目の前に現れた異世界の男、シンジ。一目見た瞬間、胸が熱く、痛いほどに締め付けられていた。


(……リーナ、見てろよ……うち、やるからな)


*******


 目を瞑り、ゆっくりと息を整える。深く息を吸い、マリアは静かに目を開いた。次の瞬間、彼女は瞬く間に舞台の端まで疾走し、流れるように剣を抜いて構え、そのままシンジを真っすぐに見つめた。


「ロック!ハァート! ブレイクッ!!!」


 舞台中央の大地が轟音とともに隆起し、岩盤が割れ、巨大な岩塊がせり上がる。まるで大地そのものの怒りを象徴するかのような質量と存在感。観客たちは息を呑み、ステージは一瞬で戦場へと化す。


 マリアはすでに剣を構えていた。

 風の魔力を纏った刃が、空気を切り裂きながら唸りを上げる。


 軽やかに跳躍――そのまま、宙に浮かぶ巨岩へと突進する。


 一閃。


 風の斬撃が唸りを上げ、岩の角へと鋭く刻み込まれる。

 そこから始まる連撃は、まるで職人の彫刻のように繊細で、そして正確だった。


 二撃、三撃、さらに四撃――


 マリアの剣は情熱そのものとなって舞い、♡型のカットラインを岩に刻み込んでいく。ファセットのような面が次々と削られ、岩肌はもはや“宝石”へと生まれ変わる予感を孕んでいた。


 最後の一太刀が放たれた瞬間、岩塊は静かに地上へと降下する。


 ドォンッ――!

 着地の衝撃で魔力の余波が舞台全体を包み、紅色の風が観客席まで吹き抜けた。


 マリアは無言のまま、その頂に立つ。


 両手を胸の前で構え、ゆっくりと魔力を集中させていく。

 その姿勢はまるで祈りを捧げるようで、同時に、自らのすべてを捧げる覚悟にも見えた。


 次の瞬間、彼女の身体から紅蓮の魔力が爆発的にあふれ出す。


 焔のような魔力が渦巻き、舞台上空まで吹き上がる。

 岩塊全体に赤い光が滲み、ひび割れのような発光が幾筋も走る。


 舞台が熱を持ち始める。

 ♡の切断面が光を吸い込み、まるで心臓のように明滅を始める。


 そして――


 閃光。紅蓮の結晶化。

 巨岩はついに真紅のルビーへと完全に姿を変えた。


 空間全体が赤く染まり、光が乱反射し、あらゆる角度から虹色の輝きが舞台を包む。

 それは、観る者すべての心を撃ち抜くほど、まっすぐで、力強い輝きだった。


 その頂で静かに立ち尽くしていたマリアの身体が、わずかに揺れる。


 限界だった。


 ふっと力が抜けるように――彼女はその場に崩れ落ちた。



――実況席。


「いやー!これが名うての傭兵・マリア・グランツの全力です!告白魔法名『ロックハートブレイク』、巨岩生成、風の刃による精密カッティング、そして結晶化……この一連の流れを短時間で高精度にやり遂げるのは並大抵じゃありません!」


「はい、特に最後の結晶化は、内部構造まで魔力を浸透させる必要があります。一つ一つは突出した魔法ではありませんが、それを連続で高水準に実行できる精神力と集中力、そしてすべてを出し切る思い切りの良さ……これが彼女の強さですね!」


「公式ガイドブックの情報によると、彼女は数百戦の実戦経験を持つ熟練の傭兵で、特に集中力と一撃の威力に定評があるそうです。今回も見事に、その力を愛の形に変えましたね!」



―――――――


 ゆっくりと目を開けたマリアは、見慣れない天井にしばし視線を泳がせた。空気は静かで、どこか消毒の香りがして、肌寒い布団の感触が現実を知らせてくる。


「あ、れ……ここ……」


「おはようございます、マリアさん。無事、終わりましたよ」


 そばにいた看護師が優しく声をかける。白衣の下からのぞく首筋に、控えめな魔力の揺らぎがあった。


「……終わった……?」


 自分の声がかすれていた。マリアは跳ね起きかけて、頭を押さえる。


「魔法……! うち……ちゃんとやりきれたのか……?」


 あの巨大な岩。あの結晶化。意識が薄れる寸前、確かに何かが完成した手応えはあった。だが最後のあれは――ぶっつけ本番だった。


「覚えてねぇんだ……最後の……」


「大丈夫です。あなたの魔法、とても綺麗でした。ハートの形もばっちりでしたよ。舞台が、少しの間静かになるくらい、みんな見とれてました」


 マリアは、そっと胸のあたりを押さえた。少しだけ震えている。


「そっか……やれたんだ、うち……」


 思わず込み上げてくる安堵に、まぶたが熱くなる。でも、それだけじゃない。あの瞬間、あの魔法は――誰かのために放った。


「ちゃんと届いたかな……」


 呟くようにこぼした声に、看護師はふっと微笑んだ。


「ええ、届いたと思いますよ。あの人、ずっと、あなたを見てましたから」


 マリアは、何か言いかけて、言葉を飲み込んだ。そして、顔を真っ赤にして布団をかぶった。


「……やっぱ死ぬ」

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