第34話 そののち


 翌朝分かったのは、滝川は泥酔者として警察署の保護房へ収監されたらしいということ。


 万衣子の弁護士は離婚届けに署名した日の大貝が撮っていた動画と義妹の録音、そして丸田屋が保管してくれていた監視カメラの画像を提出し、二度と近づかないよう申請した。

 滝川の両親や現妻とその家族から抗議の電話などが来たらしいが、これも弁護士事務所に対応を任せることによってやがて静かになった。


「そもそも万衣子ちゃんの優しさのおかげで不貞行為の慰謝料請求を免れていたのに。馬鹿なの? 馬鹿なのよね」


「いやいや。こちらとしては温情…というか、アタオカと関わる時間が惜しいから様子見していただけであって、試合終了じゃないのよ。舐め腐って、寝た子を起こすなんてね。上等じゃん。売られた喧嘩は買わないとね」


 万衣子の部屋で、大貝と姉が悪い顔をして笑いあっている。

 


 弁護士曰く、滝川の雇った探偵は万衣子の住まい探し出せず、米屋で待ち伏せしていたのは偶然だったと判明したそうだ。


 たまたま通りかかったケーキ屋を見て、万衣子はここが好きだったなと思って外から眺めていたら、まさに万衣子がショーケースの前に立っていて、思い出のモンブランを一つだけ購入して出てきたので、こっそり後を付けたらしい。


 一つ、ということは独り暮らし。

 運が向いてきたように思えた。


 しかしいつ声をかけようか迷っているうちに米屋に入り、様子を伺うと万衣子がほんのり笑っているのを目にしてしまった。


 許せない。

 自分は笑えない毎日を送っているのに。


 機嫌を損ねた滝川が目を背けたほんの少しの間に万衣子は消えた。

 探し回ったが後の祭り。


 それからしばらく滝川は団地内をうろついて探し、見つからないのであの夜酒を飲んだ。



 なぜ迷惑行為をしたのかという聴取に対し彼の第一声は、『一緒に食事をしたかった』だという。


 それから家庭が上手くいっていないことを説明したのち、自分勝手な望みをぽつぽつと供述したそうだ。


 自分と別れたのに、楽しそうにしていて文句を言いたくなった。

 ちょっとくらい話を聞いてもらうくらいいいだろうと思った。

 もう一度、万衣子の作った料理が食べたかった。


 それから、それから…。



 何もかも捨てて、元に戻りたかった。




「男って、なんで別れた女が自分のことをいつまでも好きでいてくれると思うんだろうね」


「だいたい、不倫モラハラ強姦未遂とか嫌われることしかやっていないのに、元に戻るもクソもないよね」


 紅茶とケーキでまるで深夜に飲んだくれているような様子の二人に、万衣子は苦笑する。


「まさかのモンブランかあ。そこからだったなんて迂闊だった」


「ほんとよ! そういうとこよ万衣子!」


 美女二人がきっと目を吊り上げた。


 藪蛇だった。


 万衣子はちいさく首をすくめた。



「ごめんなさい。気を付けます」


「まったくもう…」


 それでも二人は万衣子のそばにいてくれる。

 なんでありがたいことだろう。






「マジでざまあだわ」


 洗濯ものを取り込むためにベランダへ出ている万衣子の背中にぼそりと明菜は呟き大貝も頷く。


「ほんとうにね」



 姉たちは供述内容の中で一つだけ万衣子の耳に入れないことにした。


『モンブランをたった一つ入れた箱をまるで宝物を扱うように、そろりそろりと歩く万衣子はとても可愛かった』


 可愛くて。

 愛しくて。

 そんな万衣子の姿をいつまでも見ていたいと思った。



 これを目が覚めた男の懺悔ととるか。

 それともストーカーと化した男の背筋も凍る告白ととるか。

 本人を含め人それぞれ見方は変わる。



 もちろん彼女たちの見立ては後者だ。

 これを知っては気持ち悪いだけだし、万衣子はもう二度とどこにもケーキを買いに行けないだろう。

 とりあえず秘密にしておこうと話が決まった。



「そもそも。万衣子が可愛いのは、もともとなんだから。今更遅いのよ」


 シスコンの明菜は今日も妹を愛でる。



 滝川は結局妻たちに連れ戻された。

 警察沙汰になったことで外聞を気にした彼の両親も後を追うらしい。

 

 今後どうなるかわからないが、接近禁止の有効期間の間に滝川が万衣子を忘れてくれることを祈るのみだ。



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