第17話 初陣
ネクリアの森、深部に潜むダンジョン第五層は、静かな熱気に包まれていた。
「死霊兵、完成体数二千。うち、千体をここに残し、防衛用として展開済みです」
リッチの報告に、ルトスは頷いた。淡く光るマップ上には、第五層の各通路に均等配置された死霊兵の陣形が示されている。
「防衛線は強固に。ここは落とさせない。……そして、残りの千体は、攻撃部隊として連れていく」
「はい。主が御命じになるまでもなく、準備は整っております」
戦慄の静けさ――それが、いまの第五層に漂っていた。
その空間の一角、研究室の隅には、グラザルドの巨体が静かに佇んでいた。
灰褐色の皮膚に魔力の層をまとい、目を閉じたまま深く呼吸する姿は、まるで火山の噴火前の静けさを思わせる。
「グラザルド。……起きろ。出番だ」
ルトスの呼びかけに応じて、巨躯が重く動いた。
「主の命に応じよう。命ずるまでもなく、従おう」
その声に、研究室の空気が一変する。
この存在は、支配されているわけではない。ただ、在るべき場所としてルトスの側に立ち、世界を睨んでいるだけだ。
***
ネクリアの森、夜明け前。
霧が立ち込める暗い木立の中に、重苦しい空気が漂っていた。
グラザルドを先頭に、リッチが編成した死霊兵千体が森の闇に飲まれるように進軍していく。
「……音を立てすぎるな。森は我々にとって有利だが、油断すればすぐにこちらの位置が割れる」
リッチが小声で軍全体に指示を飛ばす。
死霊兵たちは無言で頷くように動き、配置を修正していく。
***
グラザルドは振り返らず、その巨体を静かに揺らして進む。
通常のオーガでは不可能な静かな動き。それは、知性を持つ新種ゆえの所作だった。
リッチはルトス様は今回の戦場に来ていないがこれは戦場を任されており、必ず襲撃を成功させることを決意し、死霊兵はたちに襲撃の合図を送る。
突如、空間が裂けるような魔力の波動が広がり、周囲の木々がざわりと揺れた。
「……なに、今の?」
見張りに立っていた魔族の兵士が、異様な気配に眉をひそめる。
その瞬間、森の影から、異様な「何か」が現れた。乾いた骨の軋み。腐肉をまとった異形の兵士たち。一体、二体、十体、百体――やがて、視界を埋め尽くすように、それは姿を現した。
「し、死体が動いている……!?なんでこんな数が……!?ば、化け物だ……!」
悲鳴と共に、外周の魔族兵が叫ぶ。
そして次の瞬間、轟音が大地を揺るがした。
「――ッ!?」
森の影から飛び出してきたのは、一体の巨人。
身の丈三メートルを超える灰褐色の肉体、岩のような拳、赤く輝く双眸。
グラザルド――ルトスが生み出した灰の巨兵が、ただ一撃で砦の外門を破壊した。
轟音と共に、木造の門が吹き飛び、見張り塔の一つが崩れ落ちる。
「侵入者だァァァ!!総員、迎撃態勢を取れ!!」
怒号が飛び交い、砦中が慌ただしく動き出す。
しかし――死霊兵たちは止まらない。
整然とした歩調で砦内になだれ込み、骨の剣を振るい、魔族兵と衝突する。武器を手にした魔族兵たちが応戦するが、死霊兵の圧力は凄まじかった。
「く、来るなァ!!」
剣が骨を砕く。だが、それでも死霊は動きを止めない。
ただ主の意志のままに突き進み、敵を斬り裂く。
「や、やばい、これは……普通のアンデッドじゃねえ……!」
そして、その死霊兵の中を突き進む、もう一体の異形がいた。
ローブの裾をなびかせ、周囲の死者を魔力で操る死霊使い――リッチ。
その両手からは瘴気がほとばしり、倒れたばかりの魔族兵の死体を瞬時に死霊兵へと変換していく。
「戦場で補充できる兵力。それこそが、我が戦術の核です」
リッチの魔力によって、新たに五十体の死霊兵がその場で生成される。死体が死体を産み、戦場は黒と赤の地獄へと変わっていく。
砦中央、本陣にたどり着いたグラザルドと死霊兵を待ち構えていたのは、砦長を務め、20年以上に渡り人類と戦争を繰り広げてきた魔族将校、ガルネス。
「死霊の群れと、巨人……お前たちが、森の異変の元凶か」
ガルネスの全身から魔力が溢れ出す。
漆黒の鎧をまとい、大剣を背負うその姿は、歴戦の猛者の風格を纏っていた。
「だが俺たち魔族は、こんな小細工には屈せん!魔軍の誇り、ここで見せてやる!」
咆哮と共に、大剣が唸りを上げる。
魔族兵たちが一斉に反撃へと転じた。
だが、その瞬間――
灰の巨兵が前進する。
その巨拳が、大地を揺らしながらガルネスに迫る。
「来いッ!!貴様のような化け物、俺が止める!!」
刹那の交錯。大剣と拳が激突し、衝撃波が砦を覆う。
だが――次の瞬間。
「がっ……あああああああああ!!」
グラザルドの拳が、ガルネスの大剣を砕き、胸から上を弾き飛ばした。
圧倒的な筋力、強化された反応速度。
魔力ではなく、物理による暴力の極致。
ガルネスはその場に崩れ落ちた。
「……これが、主の望んだ力」
グラザルドが静かに呟き、砦の本陣を破壊する。残された魔族兵たちは、恐怖に支配されていた。
「ひ、退却しろ!!全軍、森の外へ逃げろ!!」
しかし――逃げ場は、すでにない。
リッチが全方位に瘴気を放ち、砦を囲む死霊兵が次々と道を塞いでいく。
「これは……戦術ではありません。ただの……処理です」
リッチはガルネスの死体を破壊しないで欲しかったと思いつつそう呟いた。その言葉の通り、数分後、砦に生き残る者はいなかった。
戦が終わって4時間後、リッチとグラザルドがダンジョンの研究室に戻ってきた。
ルトスは2人が無事なことに安心した。
「……終わったか」
「はい。砦内の生命反応、消失を確認。戦闘は完了しました」
「死霊兵の損耗は?」
「七十二体。すでに新たな素材を回収済みです」
「上出来だ。……グラザルドも、よくやった」
「我、主の意志に応じただけです」
その言葉に、ルトスは静かに微笑んだ。
「あの砦を破壊したら魔族は容易にネクリアの森を調査できないだろう。次は森に近い人類の砦を破壊する。」
「了解しました。では私は、死霊の配備を進めます」
「グラザルド、お前は……この地の象徴になってもらう。敵が見た瞬間に絶望するような、な」
「……我が姿が敵の心を砕くのならば、それもまた主の意志と心得る」
夜風が、燃える瓦礫の間を抜ける。
かくして、第三界は世界に牙を剥き、
最初の一撃を大地に刻み込んだのだった。
――この世界が、まだ知らぬ“第三の勢力”の名を。
ルトス・クロヴァン。その名とともに。
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