第14話 攻撃の狼煙

ネクリアの森を抜けた先、曇天の下を、黒く染まった一団が進んでいた。


その中心にいたのは、漆黒のローブを纏った骸骨の魔術師――リッチ。そして、そのすぐ後ろを、フードを深くかぶった一人の男が歩いていた。


ルトス・クロヴァン。


第三界の主にして、滅びの序章を刻む者。


「……意外と、静かなもんだな」


ルトスがぽつりと呟くと、前を進んでいたリッチが律義に応えた。


「はい。生者の軍とは異なり、我が軍勢は命令以外の音を発しません。行軍における士気や疲労の概念も存在しないため、最短の効率を維持できます」


「……兵士って言葉が空しく聞こえるな」


ルトスは空を仰いだ。雲は低く垂れ込み、風の流れも重たい。まるで空が、この行軍を拒んでいるようだった。


死霊兵の数、およそ千五百。

腐敗の進んだ死霊兵達の肉体は鉄のように硬く、骨には魔術による補強が施されている。

斧や剣、槍を持った個体もいれば、素手のまま両腕に鋭い骨刃を生成しているものもいた。


そのすべてが無音で動き、まるで森そのものが歩いているかのような気味悪さを周囲に漂わせていた。


「村まであとどれくらいだ?」


「2時間以内には接触圏内に入ります。最短で村を包囲し、殲滅可能です」


ルトスはそれを聞きながら、何かを確かめるように息を吐いた。


「これが……最初の戦いになる。そうだな、リッチ」


「はい。『第一回対外戦略演習』と記録いたします」


「記録か……記念すべき初戦が“練習”ってのも、皮肉なもんだ」


ルトスはフードを取り、顔を上げた。

その眼差しには、憐れみも、迷いもなかった。

ただ――冷たい、確信だけがあった。


「……ここから先は、滅びるまで終わらない戦の始まりだ」


風が吹いた。


その言葉に応じるように、死霊たちが一斉に足を止めた。

リッチが手を掲げ、霧の中に闇魔法を発動する。


次の瞬間、村の方向に向かって、黒き霧が滑るように伸びていく。


「標的補足。死霊軍、展開開始」


ルトスの口元が、わずかに歪んだ。


「行け。見せてやれ、俺たちの存在を。人間にも、魔族にも……“第三界”が目覚めたってことをな」


***

月が真上に登った頃、死霊の軍勢は標的の村を視界に捉えた。


「……あれが村か。防壁は低いな。柵のような木の壁か」


ルトスが丘の上から見下ろす。小さな集落。カレス帝国の辺境に点在する、供給拠点とも呼べない程度の防衛力しかない村だった。


リッチが一歩、前へと進み出た。


「攻撃開始。門を破壊します。主よ、後方にてご観察ください」


「……わかった。好きにやれ」


ルトスは木の陰に身を隠し、静かに見つめる。


リッチが、骨の指先を空へと掲げ、低く呪文を唱え始めた。


「闇よ、槍となりて道を穿て――《ダークランス》」


空気が震えた。黒く、瘴気を孕んだ魔力が凝縮し、漆黒の槍を形作る。

その闇の槍は、音もなく飛び、村の正門へと一直線に突き刺さった。


――ズンッ!!


重く鈍い破砕音と共に、木製の門が吹き飛び、粉々に砕けた。


村の中から、叫び声が上がる。


「敵襲!?何だ今の音は!?」


「門が……門が消し飛んだッ!」


「魔族か!?いや、違う……何だあれは……ッ!」


混乱と恐怖が、村の狭い通路に充満する。


そして――死霊たちが動き出した。


先頭に立つのは、牙の欠けたゴブリンの死体。骨と肉が半ば露出し、片目は落ち、片手には錆びた刃を握っている。

その隣には、背が低く、犬のような顔を持つコボルトの死体。口から垂れた唾液は既に黒く変色していた。


後続には、筋肉の膨れたオークの死体兵。皮膚はすでに緑を失い、皮が剥げた箇所からは骨が露出している。

中には、かつて人間だったであろう者たちも混じっていた。

半壊した鎧を身に着けたまま、白濁した目を光らせ、もはや言葉も理性もないまま、足を引きずりながら歩いてくる。


「……おぞましい、な」


ルトスは呟いた。だが、視線は微塵も揺れていなかった。


死霊軍が村に踏み込む。


叫び、悲鳴、金属音。だがそれも長くは続かなかった。

死霊たちは痛みも疲労も感じず、逃げ惑う村人を淡々と追い、斬り、踏みつけ、沈黙へと変えていく。


反撃はあった。斧を持って立ち向かう農夫、槍を手にした若者、命知らずの兵士――

だが彼らの攻撃は、血の通わぬ体に対して、ほとんど意味をなさなかった。


「見ているか、人類。これが“死”を用いた戦争だ」


ルトスはただ、見ていた。

理性を焼き切られるような惨状の中で、それでも目を逸らさず、胸の奥に刻み込んでいた。


一人の死霊兵が、村の中心で倒れていた少女に気づき、近づいていく。


「……やめろ」


ルトスが小さく声を漏らした。だが、命令を下したわけではない。


リッチが小さく首を傾げただけで、死霊兵は少女の死体を回収し、その場を離れた。

ルトスは、ほんの少しだけ息を吐いた。



やがて、村の火の手が上がり、声なき死者たちが広場に集う。


「回収完了。目標地点の抵抗勢力は殲滅。構造物の破壊率、約六割。再死適応個体数、約七十二体。次の命令を」


リッチの報告に、ルトスは目を伏せることもなく答えた。


「……遺体を全て運べ。森に戻る。第二段階に備えるぞ」


ルトスは、村の焼け跡を最後まで見つめていた。


そして――その瞳に、かつての優しさや正義の名残は、もうなかった。

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