第6話 意地悪な顔で笑った

これほどまでに明日が待ち遠しいと思った事はない。

自転車がそろそろ修理を終えて帰ってくるという恐ろしい現実すら、明日の朝のことを考えると忘れてしまいそうだ。

寝坊なんてすることの無いように早めに就寝しようと、寝床に倒れ込む。

息を吐く...吸う...吐く...吸う...。

明らかにいつもとは違う香りがする。洗剤か香水かは分からないが、なんというかフローラルな香りがするのだ。

そこで今日のことを順番に振り返ってみると、彼女が今僕が寝ている寝床にうつ伏せになっていたことを思い出した。

そっと起き上がり、その香りの元を見つめて考える。

他意は無いし、自分の寝床で寝ることの何が悪いのかと納得し、そのままベッドの端によって眠りについた。


翌朝

アラームよりも早い時間に目が覚めた。しかし二度寝をしたらきっと遅刻してしまうだろうし、早起きは三文の徳ということで顔を洗い、髪を整えてからそれとなく体操をして制服に着替えた。

朝ごはんを食べていると、母親から帰りに自転車を受け取りに行くように言われた。

嫌だなと思いながら返事をし、リュックを持って家を出る。

少し急ぎ足でいつもの分かれ道、待ち合わせ場所に歩いて行くと彼女は既に待っていて、こちらに気が付くと大きく手を降っている。

「おはよう」

「おはよー!今日も暑いねー」

合流してから二人で歩き出す。人の歩幅に合わせるというのは未だに慣れず、歩き方がぎこちなくなってしまう。

「自転車ってまだ治らないの?」

唐突にそんなことを聞かれて足を止めてしまった。

「今日の放課後、自転車屋に受け取りに行くことになってる」

言い終わるにつれて段々と声のボリュームも小さくなってしまう。

「わかった。どこの自転車屋なの?ここら辺だと私の家の方向のところ?」

「そこ」

「じゃあ今日は分かれずに帰れるね」

「まだ登校もしてないけど...」

「それもそうだね」

夏休みを一ヶ月後に控えた高校生活では、文化祭についての計画なんかが始まりだしている。

そんな話ポーッと聞いていて、ついには放課後になってしまった。


「さぁ自転車屋さんにレッツゴー!」

「ついて来るつもりなの?」

「あたぼうよ」

「なんのドラマから影響受けたのさ」

あいも変わらず周りの視線は痛いけれど、彼女と会話をしている間はそれを感じることも少なくなった気がする。一緒に昇降口まで歩き、いつもの帰り道を二人で歩いていく。

「自転車が返ってきたら一緒に登下校もおしまいかぁ」

そう彼女が呟き、僕は足を止める。

「自転車登校、やめます」

僕の少し前を歩いていた彼女も足を止めて振り返った。

「どうして?」

とても意地悪な顔をしながら聞いてくる。

僕は少し間をおいて答えた。我ながら本当に意気地なしだと思う。

「歩いたほうが健康的だし...」

「そっか」

彼女は歩き始めて、僕はその後を追った。その足取りは何処と無く軽やかで、早足でやっと追いついて隣を歩いた。

そして待ち合わせ場所から同じ方向に二人並んで歩いていく。違和感もするし変な気持ちがするけれど、歩く距離が長くなったことに嬉しさを感じる。

しばらく二人で歩いて、自転車を受け取り、来た道を戻リ始めた。

「でさー、その子が思いっきり転んじゃってね」

「この前の僕とどっちが酷い?」

「圧倒的に君」

「そ、そんなにか...」

少ないながらに二人の思い出話をしたり、返ってきたテストの話だったり、他愛のない話ばかりだけれども、それがとても楽しく感じられる。

待ち合わせ場所の少し手前で彼女が足を止める。

「私の家ココだから、時間になっても来なかったら...」

と何かを言いかけたところで、スマホを取り出して近付いてくる。

「LINEやってる?」と聞かれた。


お風呂上がりに横になってスマホのトーク画面を眺める。

家族や公式以外の友だちは極わずかで、特に高校に入って二ヶ月程度で人数が増えるとは思ってもおらず、ひとりニヤけてしまう。

するとメッセージが届いた。

『もしも私がズル休みをする時は連絡するから、頑張って一人で登校してね』

『ズル休みは良くない』

『君にそれを言う権利はありません!あと一緒にズル休みをしようとか考えちゃダメだよ。あとは、私の部屋に勝手に入ってきたりとか』

『おやすみ』

スタンプを追加で送り、スマホを閉じる。

通知には、『まだ夕方でしょ』だとか、大量のスタンプが来ていると表示されている。

もう一度画面を開くと、スタンプの嵐が止まった。

『また明日ね』

最後に親指を立てている猫のスタンプが送られてきて、静かになった。

『また明日』

それと、初期スタンプを一つ送って僕らの初チャットは幕を閉じる。

寝っ転がって天井を見つめていると、“自転車通学をやめる”と伝えた時の彼女のニヤついた、意地悪な顔を思い出す。あれはどういう意味なのだろうかと考えていたら、いつの間にか寝てしまった。

この日、すぐに眠りにつく事ができたのは何故だろうか。

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自転車通学やめました 烏蝿 五月 @Iyou_Itsuki

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