夢見る大阪、春の夜
AYANA
第1話
少しずつ冬の寒さが和らいだ、あの日は確か金曜日やった。
俺は専門学校の帰り道、友達といつものように、居酒屋に寄ったんや・・・。
「今日の課題やけど、意味分かった?」
「いや・・・。なんか自分の好きな食べ物だけ作れるんとちゃうから、いらんことは頭に入ってきいへんわ・・・。春は?」
「・・・俺も・・・。もう俺の頭はお好み焼きの事でいっぱいやわ。」
「そっか・・・。春は東京でお好み焼きやるのが夢やったね。」
「そうやで。まぁ・・・基本は大事やからな。がんばらな。」
「そやな・・・。」
いつもの居酒屋は、金曜日という事もあって、お店の中はガヤガヤと皆楽しそうに会話に花を咲かせておった。
俺の名前平井春。今は調理師の専門学校に通っている。大坂で生まれて、大坂で育って、大坂を離れたのは修学旅行くらいで、この町しか知らないが、いつも賑やかなこの町が俺は大好きやった。
「そうだ・・・そういえば、春はなんで東京に行きたいの?」
親友の隆平が不思議そうに聞いてきた。
「うん・・・。大坂の良さをもっと知ってもらいたいっていうのと、大坂から東京に行った人に懐かしんでもらいたいっていう感じかな・・・?」
「あっ・・・そっか!兄ちゃん東京やったもんね。」
「そうなんよ。兄ちゃんがいつも言うんよ。東京には大坂に勝てるお好み焼きがないって。だから、俺が大坂の味を東京に持って行きたいんや。」
「・・・春は昔から優しいんやね。」
「なんや・・・まぁ身内の願いやからな。」
俺達はそんな会話をすると、お互いに持っていた生ビールを飲み干した。
「隆平は?専門学校卒業したらどうするん?」
「・・・俺は、たぶんおかんの店継ぐかな。」
親友の隆平は少しだけ悲しそうに言った。
「おかんのお店って、小料理屋?」
「うん。おかんも口では言わんけど、それを望んでいるの分かるから。」
「・・・そっか・・・。」
隆平がほんまは、違う料理を作りたい事を俺は知っていたが、あえて口には出さなかった。
「なんか、もう春やね。夜の風も暖かくなってきた気がせえへん?」
俺は話題を変えると、隆平もいつも通りの表情に戻った。
「ほんまやね。俺・・・春の空気めっちゃ好きやわ。」
隆平はそう言うと、にこっと笑った。
「でも・・・春になると恋したならへん?」
「まぁ・・・ね。でも俺彼女おるし。」
隆平は優越感たっぷりにそう言うと、店員さんに二杯目のビールを注文した。
「ええなぁ・・・。俺は全然あかんわ。」
「春はなぁ・・・なんでやろね。好みとかはあるの?」
「好みかぁ・・・顔とか別にどうでもええねん。やっぱりハートやろ。人は。」
「・・・春らしいね。」
恋に落ちるって誰が言いだした言葉なんやろ?
まるで落とし穴に急にはまるように、予期していなかった事が起こる。まさに恋ってそういうものやと思う。頭で考えて、計算して・・・誰かを好きになるなんて絶対に無理や。どんなに好きだと言われても、自分にだけは嘘をつけない。
そう思うと、世の中にカップルが誕生する奇跡ってすごいと思う。そして、その奇跡の裏には、涙を流している人もいっぱいおるんやろうなぁ・・・。
「あっ・・・!!」
俺達がちょうど三杯目のビールを飲みかけているその時やった。
「春?春だよね?」
居酒屋に入ってきたばかりの女子の集団の中の一人が俺に向かって歩いてきた。
「私!私よ。本田美羽。覚えている?」
本田美羽・・・?
酔っ払っているのんもあって、俺の頭の中に?が泳いでいた。・・・本田美羽・・・?
俺は、頭をフルに動かして過去を遡った。
あっ・・・もしかしてあの本田美羽!
「分かった!」
俺は店内に響く大きい声で叫ぶと、周りにはくすくす笑声が響いた。
「思い出した。いやぁん懐かしいね。」
美羽は数年前と変わらない笑顔で笑った。
「・・・誰?」
隆平は俺に耳打ちをした。
「うんとな、中学の時の同級生。てゆうても一年生の終わりに転校してしもうたんやけどな。」
俺は思い出した事を言うと、美羽も嬉しそうに隆平に会釈をした。
「美羽です。よろしくお願いします。」
「隆平です。春の専門学校の友達で。よろしく。」
「えっなんの専門学校?」
美羽はすぐに話しに食いついてきた。
「まぁじゃあ一杯飲みながら話そうや。友達に一言言うてきたら?」
俺が美羽にそう言うと、美羽ははっとした顔になって友達の所へ走って行ってしまった。
「美羽ちゃん、かわええやん。」
隆平はニヤニヤしながら、小声で言った。
「まぁな・・・。昔も学校のマドンナやったんやで。」
「そうなん?」
「俺も一時好きやったしな。」
隆平の言うとおり、数年ぶりに会った美羽は、驚くほどに可愛くなっていた。
髪は今時のボブにデニムのワンピースを着てショートブーツを合わせていた。背が低いのでそういう格好が似合うのかもしれん。
「おまたせ。」
美羽は笑顔で戻ってくると、早速俺の隣にちょこんと座った。
「じゃあ、久々の再会に。乾杯。」
四杯目のジョッキを高く上げると俺達は乾杯した。
「美味しい~。」
美羽は美味しそうにビールを飲むと、笑顔で話し始めた。
「ねぇ。そんでなんの専門学校に行っているの?」
美羽は瞳をキラキラさせながら聞いてきた。
「うん、俺らは今調理師の学校行ってんねん。」
「あっ・・・!そうか春、お好み焼き屋さんになりたいって言っていたもんね。」
「・・・よう覚えとるな・・・。」
「うん。覚えているよ。」
美羽は少しだけ切なさそうな表情で言った。
「ほんで?美羽は今何してんの?」
「私・・・?私はね、ほら東京に引っ越したでしょ?色々あって今は派遣会社の事務をしているよ。」
「そうなん?」
「そうなの。」
・・・確か美羽が引っ越した理由は両親の離婚やったとその時に思い出した。
「そっか。頑張ってんやな。」
俺は、美羽が家族の為に頑張っているのが分かって、その言葉を選んだんやと思う。
「まぁね・・・。」
「ほんで?今日は何しに大坂きてん?」
「あぁ。東京の友達が大坂行きたいって言うから、皆で観光だよ。明日は神戸に行くんだよ。」
「そうなんや。楽しみや。」
「うん。ありがとう。」
その時俺はまだ知らなかった。美羽が大坂にきた本当の理由を。
俺は昔好きやった子に会えて、何となく浮かれとったと思う。あんなにも明るくて、優しい美羽が、こんなにも重い荷物を抱えて俺のところに来た事。その時はまだ・・・知らなかったんや。
「ほんじゃまたね。」
五杯目のビールを飲み終えると、美羽と番号交換をして店を出た。
店を出ると、少しほろ酔いの俺達に、暖かい春風が頬を掠めた。
「おもろかったね」
隆平はそう言うと、上機嫌に煙草に火をつけた。
「ほんまやね。まさかあんな偶然があるなんて!」
「なんか二人ええ感じやったやん。」
「・・・そうかぁ?」
「なんか楽しくなってきたね。」
隆平は、自分の事のように、ニコニコしながら言った。
春の夜は、俺達に優しく、少し新鮮な空気が俺達を包み込んでは、一時幸せを感じていた。
「僕の夢」
僕の夢は将来、お店を開くことです。
僕の家は、お母さんが仕事をしています。
お母さんは、時々ご飯を作れない時があります。
そんな時は僕とお兄ちゃんで、お好み焼きを焼きます。
僕達のお好み焼きは、お母さんの好きなキャベツとネギをたくさん入れて、おたふくソースをかけて食べます。
お母さんが帰ってくると、僕達は三人で、一緒にお好み焼きを食べます。
お母さんは、僕達の作ったお好み焼きを、美味しい、美味しいといつもいっぱい食べてくれます。そして、食べ終わった後に、いつも優しく抱きしめてくれます。
僕はお母さんの笑った顔が大好きです。
お母さんが、春の作ったお好み焼きは人をしやわせにすると言ってくれたので、僕はみんながしやわせになるお好み焼きを作りたいです。
平井 春
幼い頃、ただ純粋に母ちゃんの喜ぶ笑顔がみたくて、お好み焼きを焼いた。作っている最中も楽しくて、毎日が冒険みたいやった。
幼い頃に決めとった夢は、今もまだ続いている。俺は、東京で喜んでもらえるお好み焼き屋さんをやる。
母ちゃんが、専門学校に行かせてくれた。女一人でここまで俺を育ててくれた母ちゃん。いつだって太陽みたいに明るくて、人の事を絶対に悪く言わない優しい人。
俺はそんな母ちゃんに、少しでも楽をされてあげたい。
俺の夢はいつしか、俺だけの夢じゃなく、家族全員の夢になってたんや。
「今日の夜暇?」
美羽と番号交換をしてから、数日後美羽からメールがきた。
「おぉ!まだ大坂おったんや。今日の夜、大丈夫やで!」
「ありがとう。じゃあまた夜に連絡するね。」
美羽からのメールに少しだけ、ドキドキを感じた。
中学時代、俺は野球部に入っていた。マルコメみたいな頭に、背も小さくて、そんなに目立つ方じゃなかった。それに引き換え美羽は、学年一の人気者で、誰もが美羽を好きやったと思う。
美羽はいつも楽しそうに皆に囲まれとった。俺は恋愛で、美羽を好きだったというよりは、美羽の人望に憧れていたのかもしれない。
水曜日の道頓堀は、週末に比べると人もまばらやった。
串カツが食べたいという美羽のリクエストで俺達は串カツ屋の前で待ち合わせした。
「お待たせ!」
約束通りの時間に美羽は小走りでやってきた。
今日は、シフォンのワンピースにデニムのジャケットを羽織っていた。
「遅刻やで!」
俺がふざけてそう言うと、美羽は舌をペロッと出して笑ってみせた。
「ほな、入ろうか!」
「はぁい!」
こんな風に女の子とデートするんはいつぶりやろ・・・?
たま~に、告白されたり、デートに誘われたりするけど、本間に好きな子以外あまり興味が持てなくて、何となく断ってしまう。隆平にはもったいないってよう言われるけど、これが俺だから仕方ない。
「大坂と言えば串カツ!」
美羽は嬉しそうに、席に着いた。
「生ビール二つ下さい。」
店員さんに注文すると、美羽はメニュー表を楽しそうに見始めた。
「どれも美味しそう!迷う。」
「おすすめは、プチトマトやで!あと下手やけどアスパラ!」
「じゃあ、それにする。」
素直な美羽は俺のおすすめと、大好きだといううずらの卵を注文した。
「じゃあ乾杯!」
俺達は軽く乾杯をすると、黄金色のビールをぐいっと飲んだ。
「うまい~!」
学校帰りの俺の喉が一気に潤った。何かの後のビールは本間にうまい。
「あの春が、ビール飲めるようになったなんて・・・。ねぇ・・・?」
「美羽の知っている俺はマルコメやったからな!」
「今じゃ、こんなにイケメンになって。相当モテるんじゃない?」
「・・・そんな事ないよ。マルコメの時と何も変わってへんよ。」
俺がそう言うと、美羽は少し安心したような顔をした。
「春は今彼女いるの?」
「・・・今はおらんよ。」
「そうなの?」
「おったら、美羽とこうして飲んだり出来ないでしょ。」
「・・・そっか。」
「なんやその反応。」
「いやっ・・・なんでもないよ。じゃあ早速頂きます。」
美羽はそう言うと、揚げたての串カツをソースにつけて口いっぱいに頬張った。
「うわぁ・・・!美味しい。」
美羽は満弁の笑顔になってピースした。
「せやろ?プチトマト絶品なんよ・」
自分が勧めたもんを美味しいと言ってもらえると何だかとても嬉しい気持ちになる。
「春、ありがとう。」
美羽は、幸せそうに笑うと、今度はうずらの卵に夢中になった。
「そういえば、今日はどうしたん?てかいつまで大坂におるの?」
「・・・・うん。」
「・・・・?」
俺が質問すると、美羽は急にテンションが下がってしまった。
「言いづらい事なん・・・?」
「・・・・うん。私ね、大坂に好きな人を追ってきたの。」
「・・・えっ・・・?」
「友達はね、もう帰っちゃったの。今は私一人で、誰も知り合いもいなくて・・・。」
「好きな人って?」
「うん。その人は、元々東京の人で、仕事の都合で今大坂にいるの。」
「・・・そうなんや。」
「・・・でもね、その人結婚しているの。」
「はっ・・・?」
「彼、単身赴任でこっちに来たの。だから私も彼を追いかけてここに来たんだけど・・・。」
「・・・。」
「もう、自分でもどうしていいか分からなくて。彼は私を受け入れてくれるんだけど、もちろん一緒に暮らせないから、たまに会うくらいしか出来なくて・・・・。」
美羽の話に、何の言葉も発する事が出来なくなっていた。
中学時代の輝いていた美羽が不倫・・・?
「私・・・今誰も相談できる人いなくて、春に会えて本当に嬉しかったの。」
「・・・それでこれからどうするの?」
「うん。彼がホテル代を援助してくれているから、当分こっちにいるつもり。仕事もね、今異動届を出して、申請待ちなの・・・。」
彼に対する本気を見たような気がした。いくらなんでも、そこまでするなんて。
「まぁ俺には美羽の気持ちはようわからんけど、たまに飲み行ったりするくらいは大丈夫やから、また誘ってや。」
俺は少しだけ突き放した言い方をしたのに、美羽は嬉しそうに、
「ありがとう!そう言ってくれて嬉しい。」
そう言った。
さっきまでの美羽を見る目と、少しだけ変わっている自分に引いてしまう。美羽は美羽で、苦しんでいるのが痛いほど伝わってきたから。
「やっぱり春って優しいよね。昔から。」
「えっ・・・?」
「私ね、春の事が好きだったんだよ?」
「えっ・・・?」
「クラス違ったけど、野球部でいつも頑張っている春を見るのが好きだったの。」
「そうなんや・・・。」
あのマドンナの美羽が俺の事を見ていてくれたなんて・・・今日は美羽に驚かされてばかりだ・・・。
「やっぱり気付いてなかったんだ。」
「ようわからんわ。だって俺マルコメやったし・・・。」
「うふふ・・・春らしいね。でも懐かしい。」
美羽はそう言うと、最後のアスパラを頬張った。
「今でも・・・春みたいな人を好きになれたら幸せになれるんだろうなぁ・・・。」
美羽は少し切なげにそう言った。
「まぁ俺もようわからんけど、恋って自然と好きになってしまうもんやから、しゃーないよ。」
「うん・・・。本当にそうだね・・・。」
もしも自分の好きな人に、彼氏や旦那さんがおったら俺はどうするんやろ・・・?
美羽の立場になって考えてみたら、気が遠くなるほど切なかった。自分以外の人の所に帰るなんて・・・。俺には無理な話や・・・。
美羽はどれだけ苦しんできたのか・・・。そしてそれでも、彼を諦める事の出来ない切なさ・・・。
そういう叶わない恋だからこそ、人は熱くなってしまうものなのか・・・?
「彼はどんな人なん・・・?」
俺は美羽が話したがらないのを承知の上で、質問してみた。
「・・・うんとね・・・、なんか動物みたいなの・・・。」
「えっ・・・?」
「くまみたいに暖かくて、とにかく優しい。いつも、いつも美羽を抱きしめてくれるの。」
「へぇ~・・・」
美羽の意外な答えにびっくりだった。もっと悪代官みたいな奴かと思っていたから。
「あとね、たまに甘えてくるんだ。そこも可愛くて・・・なんかね・・・あぁ・・・やっぱり大好きなんだなぁ・・・。私。」
美羽は自分の発言で自分の正直な気持ちに気付いたようだった。一人ごとのような会話をしていた。
「でもね・・・毎日葛藤しているよ。諦めなきゃ。他に好きな人見つけなきゃって・・・。」
美羽は淋しそうに微笑んだ。
「そうやな・・・。まぁ美羽なら大丈夫やろ。」
俺は何の根拠もなく言った。
「もう!春ってば適当なんだから!」
美羽は笑いながら、俺をどつくと、少し元気を取り戻したようだった。
「ほな、またね!」
あっという間に美羽との時間は過ぎていった。明るく笑う美羽も、切なそうに微笑む美羽も・・・・全部が印象的だった。
「本当に、また誘ってもいいの・・・?」
去り際に美羽は少し淋しそうに言った。
「もちろんええに決まっとるやろ。遠慮なんかせんでええからまた誘ってや。」
俺がそう言うと、美羽は嬉しそうに笑った。
「ありがとう。じゃあまたね。おやすみなさい。」
今日はびっくりする事が多い日やった。
俺は電車に乗りながら、しみじみと今日の事を振り替えっとった。
美羽の「春の事が好きだったんだよ。」その言葉が何度も何度も頭をよぎる。そして・・・少し苛立ちを感じてしまうのは、嫉妬しているからなのか・・・・。
しかし酔った頭では、答えを見つけられるはずもなく、俺はぼんやりと外を眺めてみる事にした。
・・・春に色々な事を話してしまった。
私は春とバイバイした後、何だかやりきれない気持ちを抱えていた。
不倫しているなんて・・・・誰だって引くよね。でも・・・春には嘘をつきたくなかった。
私は無性に彼に会いたくなって、携帯を取り出した。
お酒を飲んだ後はいつも・・・こう。彼に会いたくて。電話してしまう。
「あっ・・・もしもし?私だけど。」
「うん。ごめん、掛け直すね。」
彼はそっとした声でそう言うと、すぐに電話を切ってしまった。
・・・掛け直すって事は、今誰かと一緒にいるんだ・・・。だったら・・・電話に出なきゃいいのに。
私は、彼の律儀で優しい所が好きなはずなのに、こういう所は嫌いだった。
掛け直す・・・その言葉でこの先の時間を拘束されてしまう。
意識したくないのに、彼の電話を待っている自分がいる。いつから・・・こんな風に恋愛するようになったのかな・・・。
東京にいる頃は、夜の八時以降は電話出来なかった。用事がある時はメールだけ。どうしても淋しい夜は、辛くて泣いた。
彼は、とことん優しいが、きっと奥さんにも・・・。そしてもしかしたら、他にも女の子はいるのかもしれない。そんな事を考え出すと、不安が止まらなくなる。
薄々気づいてはいるが、変わらなくちゃいけないのは私の方だ・・・。でもどうしたら・・・いいのかなぁ・・・。
私、またちゃんとした恋愛を出来るのかな?そんな不安もあった。
けれど、今日春にあって、とても暖かい気持ちになれた。
あぁ・・・きっと春みたいな人を好きになれたら良かったのにね・・・。
私は自分ではどうしようもない気持ちを抱えたまま春の夜道を歩いて行った。
美羽の告白を聞いてから一週間。俺は何となくボッーとする時間が増えたように思う。
「おっす!春。」
学校の休み時間、俺がボッーとしていると、笑顔で隆平が近づいてきた。
「おう・・・。」
俺は隆平の笑顔を見ながら真顔で返事を返した。
「・・・?春最近変じゃない?」
隆平は俺の生返事に首を傾げると、するどくそんな言葉を発した。
「・・・いや?」
俺は隆平から視線をそらして返事をした。
「・・・俺に分かるねん。」
隆平は俺の目の前に座ると、俺の瞳をじっと見つめた。
「・・・何もないよ・・・。」
「いや嘘だね。」
「・・・はぁ・・・。」
俺は隆平のおせっかいに思わずため息をついた。
「話してみ?」
「いやっ・・・ここでは話せへん。」
俺は教科書をまとめて冷静に言った。
「じゃあ、学校終わったら飲み行こうや。時間あるやろ?」
「うん・・・」
「ほな、学校終わったら校門で待っていてや。」
「・・・分かった。」
「ほなね!」
「・・・うん。」
俺は隆平の強引な誘いを断りきれなくて、また一つため息をついた。
美羽との事・・・あんまり人に話したくはない。だってそれは美羽の事情も話さないといけなくなるから・・・。
キーンコーンカーンコーン・・・
「春!」
授業が終わって、靴を履きかえると、隆平は校門の前で嬉しそうに俺を待っていた。
「はよう!」
せっかちな隆平は俺がのろのろ歩いている所をせかしてきた。
「今行くわ!」
俺はせっかちな隆平の為に小走りをして、校門まで急いだ。
「とりあえず、道頓堀に行こうか?」
俺たちはやっと並んで歩き出すと隆平は嬉しそうに言った。
「・・・ん。」
俺は何となく楽しそうな隆平とは裏腹に気持ちは重いままだった。
「何食べ行く?串カツ?」
「・・・串カツはあかん・・・。」
「えっ?」
俺は反射的に前に美羽と食べた串カツのことを思い出してしまった。
「串カツはあかんの?なんで?ダイエット中?」
何も知らない隆平は首を傾げながら俺のことを見た。
「・・・したら、お好み焼きは?最近食べてへんから。」
俺はさっと話をすり替えた。
「まぁ・・・ええけど・・・。」
隆平はそれ以上詮索してくることはなかった。
「えっ・・・不倫?」
お好み焼きを丁寧に鉄板に流している間、俺は美羽の話を簡潔にした。
「そうやねん。」
「それはあかんやろ・・・。」
隆平は冷たいビールを飲みながら、眉間にしわを寄せて言った。
「あかんよな・・・。でも俺、美羽も苦しんでるのわかってん・・・。」
「春・・・。」
「隆平ならどうする?自分の好きな人が結婚している人やったら・・・。」
「どうするって・・・。」
「気持ちってさ、やっぱ止められなくない?」
「せやけど・・・。」
「俺はさ、わざわざ自分が辛い方向にはいかんと思うけど、もうコントロールきかなくなったら、やっぱり自分の気持ちを一番大切にしてしまうかも・・・。」
「・・・。」
「俺、正直美羽の気持ちはわかるねん。わかるねんけど・・・。」
「うん・・・。」
「きっとショックやったんやろうね・・・。憧れていたからさ。美羽に。」
「うん。」
「でもさ、俺も男やから、美羽に言うてもうたんよね。また遊ぼうなって・・・。」
「そっか・・・。」
「隆平はどう思う?このまま俺が美羽に会い続けるの・・・。」
俺はお好み焼きを丁寧にひっくり返しながら、隆平の言葉を待った。
「・・・春は優しいからな・・・。でも傷つくかもしれんぞ?」
隆平は俺の気持ちを汲み取ってそう言った。俺も隆平の言葉をもっともだと思った。でも・・・。
「分かっとる・・・。」
「ならええんちゃう?俺のおかんがよう言うてるよ。どんな事も経験だって。無駄な事なんてないってさ・・・。」
隆平は明るくそう言うと、美味しそうに生ビールを飲み乾した。
「・・・せやな!」
俺も隆平の言葉に少しだけ気が楽になると、生ビールを豪快に飲み乾した。
「おう!春男らしいやんけ!頑張れば美羽ちゃんもお前の事好きになってくれるかもしれんぞ!」
隆平は冗談交じりにそう言うと、俺たちはいつもの笑顔に戻った。
そうや・・・。美羽が不倫をしていたとしても、俺は隣で笑っていよう。そして、美羽の事も一瞬でもいい・・・笑わすことが出来たならそれだけで俺たちが再会した意味もあるのかも知れへん。
「それにさ・・・。」
俺は、得意げにお好み焼きをもう一度ひっくり返すと、隆平を見つめた。
「うん?」
「俺には夢があるしな。」
「春・・・。」
「とりあえず、美羽の事は頼ってきたら、力になるようにする。でも、俺は俺の夢を叶えることに精一杯にならな。」
「せやな。」
「うん。なんか大丈夫な気がしてきたわ。隆平ありがとうな。」
俺は素直に隆平に感謝の気持ちを伝えると、隆平も嬉しそうに笑った。
「おおきに!」
ほろ酔い加減で店を出ると、俺と隆平の顔に暖かい春の風が吹き抜けていった。
「最近ほんまに暖かいね。」
隆平は髪の毛を靡かせながら嬉しそうに言った。
「そうやね。もうすぐで桜も開花するって言っていたで。」
「ほんまに?」
「うん。楽しみやなぁ。」
「したらさ、花見しようや。」
隆平は嬉しそうにキラキラした瞳で言った。
「ええねぇ・・・。」
「大阪城公園あたりは毎年満開になるもんな。」
「そやね。」
「あぁ・・・やっぱり春はええね・・・。」
俺たちは生暖かい風に包まれて、新しい季節に思いをはせていた。これからどんなことが起きるかもまだ知らないまま・・・。
「春、今日の夜会える?」
美羽からメールが来たのは、隆平と飲んだ翌日だった。
俺は美羽のメールを確認すると、少しだけ心が躍りだすのを感じていた。
「うん。今日の夜大丈夫やで。」
俺はすぐに返事を返すと、大きく深呼吸した。
昨日まで抱えていた憂鬱な気持ちが嘘みたいだった。隆平と話してから、俺の心はある種の強さを持つことが出来ていた。
傷つくかもしれない。その事をきちんと受け止めると事が出来たからやと思う。そう・・・俺が怯えていたのは、美羽と中途半端に関わることやった。
「ありがとう。じゃあ、先週待ち合わせした所に七時に待っています。」
美羽からメールを受け取ると、俺はそのメールを確認して、携帯をパタンと閉じた。
今日・・・俺は自分の初恋の人に会うことが出来るんや・・・。
もちろん美羽は俺の事を好きじゃないとわかっているけど、俺が一瞬でも美羽の事を笑わすことが出来たらええななぁ・・・。
俺はほんのりと甘い気持ちを抱きながらもそんな事を思っていた。
「春!」
「美羽!」
俺たちは約束通り七時に道頓堀で落ち合った。
「今日はどこか行きたいところある?」
俺は美羽を見て、にこにこと質問した。
「今日はね、美味しいお酒が飲みたい。」
美羽は嬉しそうにそう言うと、俺は美羽を行きつけの美味しい居酒屋へと連れていくことにした。
「うん!俺に任せとき!」
俺たちは五センチ距離を開けながら、道頓堀を歩き始めた。
今日も夜風が心地よい。俺は隣を歩く美羽の姿にドキドキしていた。
可愛いシフォンのスカートに上はふざけたTシャツにボーダーのカーディガンをさらっと羽織っていた。そして時々揺れる美羽の髪の毛が俺の心をドキドキさせていた。
「なんかさ、ちょっと大阪に慣れてきたかも。」
美羽は誇らしげにそう言うと、足取りも明るかった。
「こっちに来てもうすぐで一ヵ月やっけ?」
「そう。彼ともね、よく道頓堀にくるんだ。だからだんだん思い出してきた。大阪の地理。」
美羽は嬉しそうに言った。
「そうか・・・。」
「ほらっ…子供の頃って、親の後を着いていくだけじゃない?それに、私がこっちにいたのも、五年間くらいだったし。」
「うん。」
「でもさ、不思議なんだけど、時々ふと思い出すんだよね。あぁ・・・この道、子供の頃にお母さんと通ったとかさ。」
「そっか・・・。」
「一昨日ね、昼間に暇すぎて、大堀中学校に行ってみたんだよ。」
美羽はかつて自分らが通っていた中学校を誇らしげに言った。
「うん。」
「懐かしかったな。子供達が一生懸命部活とかやっていてね、なんか面白かった。」
「うん。」
「あの頃はよかったなぁ・・・。何も考えなくても毎日が楽しかった。」
「・・・うん。」
「私ね、大阪にはいい思い出しかないの。だからね、迷いもなくここに来られたのだと思う。」
美羽は誇らしげにそう言うと、夜風を浴びて瞳を閉じた。
キラキラ輝く繁華街に負けないくらいに、美羽は光輝いていた。
「いらっしゃい!」
美羽と春の夜道を歩くと、俺の行きつけの居酒屋にたどり着いた。
「おっ春!彼女かい?」
店の大将が俺を見るなり嬉しそうに言った。
「違うわ。同級生やねん。」
俺はいつもの口調で大将に言葉を返した。
「へぇ・・・それにしてもえらいべっぴんさんやね。」
大将は俺の後ろに隠れている美羽を覗き込みながら言った。
「へへん。」
俺は誇らしげにそう言うと、美羽と一緒に空いているテーブル席に腰かけた。
「何だか懐かしい感じ。」
美羽は赤提灯のその店を見ながらぼんやりと呟いた。
「せやろ?」
俺は美羽の顔を見つめながら誇らしげに言った。
昭和時代のポスターにその辺に張られたメニュー。カウンター越しのテーブルにはお惣菜が山盛りに置かれていた。
「何がおすすめ?」
美羽はテーブルに置いてあった、手作りのメニュー表を眺めると嬉しそうに俺に質問をした。
「うん。ここは何食ってもうまいよ。特におすすめはもつ煮込みやね。」
俺はいつも注文するもつ煮込みを指さして言った。
「じゃあそれにする。」
「OK!酒はまずビール?」
「うん!」
美羽は嬉しそうにそう言うと、可愛い笑顔を俺に見せてくれた。
「・・・。」
俺は美羽の笑顔を見た瞬間に胸がきゅんと苦しくなるのを感じた。
懐かしくも暖かい笑顔。でもあの時と違うのは・・・美羽の笑顔の裏にはどこか寂しさが見え隠れすることやった。
「じゃあ、かんぱーい!」
「かんぱーい!」
私達はグラスを高らかに鳴らすとその冷たく冷えたビールを飲みこんだ。
「あぁ・・・美味しい!」
私は一気に中ジョッキの半分までビールを飲み干すと、気分はどんどんと良くなっていった。
今日、春を誘ったのには訳がある。そう・・・実は会社の異動届を却下されてしまったのだ。
その事を話したくても彼は仕事だし、こっちには知り合いも春しかいない。だから今日はヤケ酒だったりする。
「それで今日はどうしたん?」
春は私の事情に気が付いたのか、優しくそんな質問を投げかけてくれた。
「うん。実はね、会社の異動届、受理されなくて・・・。」
私は伏し目がちに言った。
「・・・えっ?」
「東京で働いていた派遣会社が大阪にもあるから、移動願いを出していたの。」
「あぁ…そういえば言っていたね。」
春は思い出したように言った。
「それが、大阪では人手が足りているからって言われちゃって・・・。」
「そっかぁ・・・。」
「また新しく仕事探すのもね・・・。一生こっちにいるわけじゃないし・・・。」
私は生ビールを飲み干しながら言った。
「・・・うん。」
「なんかさ、大阪に来て楽しんだけど、やっぱり彼との時間を何よりも優先しちゃうんだよね。だから仕事も彼中心の時間帯じゃないと厳しくて・・・。」
私は後半もう春の目を見ることが出来なかった。自分でも何を言っているんだろう。そう思ったから。
「そうやったんや・・・。」
「うん。」
「他に興味あることあらへんの?」
「えっ?」
私は春の質問に目を見開いた。
「夢とかさ?」
「夢・・・?」
「うん。俺はほらっ・・・いつか東京でお好み焼き屋さんやるために今学校に通っているやん。その夢はさ、小学生の時からの夢やったんやけど、美羽にはそういうのあらへんの?」
「私には・・・。」
私は春の質問に、胸がぎゅっと締め付けられた。
私の夢・・・?今の私の夢はたった一つ・・・。彼と結婚すること。
私は瞬時に浮かんできたその願いに首を振った。
だめだ・・・言えない。この願いだけは、例え春でも言えないよ・・・。
私は、目を泳がせてうつむくと、春は首を傾げて私の言葉を待っていた。
「・・・今はないかな・・・。私、いつもそうなの。今のことしか考えていなくて・・・。」
私は急いで嘘を取り繕うと、春は小さく「そっか・・・。」と頷いた。
二人の間に少しだけ気まずい空気が流れていく。
私は急いで次の話題を探した。
「あっ・・・でもさ、昔はあったんだよ。夢・・・。」
私は思い出したようにそう言うと、春の顔に笑顔が戻った。
「どんな夢?」
「うん。私、小さい頃はモデルさんになりたかったんだ。」
私はビールを飲みながら、笑顔で言った。
「モデルさん?」
「そう・・・こんな背の低い私がね・・・。でもね、本当に憧れていたの。お洋服大好きだったから。」
「・・・それ今からじゃダメなの?」
春は軽めにそう言うと、私は春の事をロマンチストだと思った。
「・・・もうね。遅いよ。それに叶いっこないって分かっている。」
私は諦めたように笑顔を作った。
「・・・そう?」
「・・・うん。」
「ふ~ん・・・。」
春は私の返事に納得していないようだったが、私はそんな春を見ぬふりをしてビールを飲み干した。
今日は重い話はしたくない。夢とか恋とか希望とか・・・。今の私には全然響かないの。だって私は知ってしまったんだもの。「諦めるというこ
とを。」
彼と出会って恋をして・・・最初は彼に奥さんがいる事が大きい壁だった。けれど、どんどんと彼を好きになっていくうちに、奥さんの存在なんてどうでも良くなっていった。彼も彼で私の事を受け入れてくれている。この二人の関係を誰かに批判されたとしても、私は彼を好きな気持ちに嘘をつく事が出来なくなっていた。
けれど、やっぱりこの恋には限界があって・・・。普通のカップルのようなデートを私は諦めた。彼と結婚することを諦めた。彼に一番に愛されたいという思いを諦めた。諦めて・・・その思いを受け入れているから私たちは今も一緒にいられるの・・・。私がすべてを望みだしたらきっと私たちの恋は終わる。それだけは切ないほどに分かっている。
「美羽はさ、中学校の時、本当に人気者やったよね。」
春は暖かい笑顔でそう言うと、急に話題が変わったことに驚いた。
「うっ・・・うん。」
私は春が美味しいと言ってくれた日本酒を飲みながら春の瞳を見た。
「俺さ、あの頃の事を思い出すと、よく美羽の笑顔を思い出すんや。」
春も日本酒を飲みながらしみじみと言った。
「・・・。」
「キラキラ輝いて、いつも人を惹きつけて。美羽の魅力はさ、その笑顔や。」
「・・・笑顔?」
「美羽の笑顔は人を幸せな気持ちにすんねん。俺もその笑顔が見たくて、今ここにおるんよ?」
「・・・春。」
私は春の優しい言葉に胸がきゅんと苦しくなった。私の笑顔が人を幸せにするなんて、初めて言われた。
「生きていると色々あるけどさ、笑顔を忘れたらあかんで。せっかく大阪の街にいるんやし、沢山笑って、美味しいもん食べてさ。旅行気分でおったらええねん。大丈夫きっと、そのうち全てがうまくいくから。」
春は優しい笑顔でそう言うと私の心もだんだんと軽くなっていった。
そっか・・・そうだよね。いつから私はこんなにも深刻に物事を考えるようになってしまったのだろう・・・。未来の事ばかり考えて・・・今を置き去りにしていた。お金だってまだ貯えはあるし、仕事だって選り好みしなければすぐに見つかるはずなのにね。
「春、ありがとう。」
私は春の優しい言葉に感謝すると、今日一番の笑顔を春に送った。
悩んでいた事がすっきりした笑顔。そう・・・昔みたいな明るい笑顔で・・・。
「うん。・・・まぁ美羽やったえら大丈夫やろ。その笑顔やで?」
「うん!」
春は照れたようにそう言うと、私から視線をそらして日本酒をちびちびと飲んでいた。そんな純粋な春の姿を見ていたら、何だか笑えてきた。
あぁ・・・やっぱりあかんかった。美羽の笑顔には衝撃派があるみたいや。
さっき自分で美羽の笑顔の事を語ったはずやのに・・・その笑顔を他の誰かに見せていると思うと急に焼けてしまう。美羽の可愛い笑顔には、自分が頑なにしていた大切な物をぶち壊す影響力がある。だからかな・・・少しだけわかる気がすんねん。美羽の彼が奥さんいながらも美羽とおりたいという気持ち。きっとこの笑顔に負けてしもうたんやろうな。
俺は日本酒ともつ煮込みを食べながらそんな事を思っていた。
「でもさ・・・春ってそんなに強かったっけ?」
美羽は昔の俺を思い出して、そんな言葉を口にした。
「うん。そうやね。強くなったのかも。」
俺は中学校の時の俺と比べて、今の俺を少しだけ誇らしく思った。
「・・・どうしたら春みたいに強くなれるのかな・・・?」
美羽は純粋な瞳で俺を見つめた。
「・・・俺を強くしたんは、夢やねん。」
「・・・えっ?」
「俺な、小学校の時から、ずっとお好み焼き屋さんやるのが夢やったんやけど、小さい頃はね、みんな俺の夢を叶うと言ってくれた。」
「・・・うん。」
「でもさ、高校生とかになると、その夢がどんな経緯を辿って叶えるものが分かるようになるやん?現実的っていうの?」
「・・・うん。」
「その時はもう東京のど真ん中で店出したいって夢やったから、夢を語るたびにさ、否定され続けたねん。」
「・・・東京のど真ん中。」
「土地がいくらだの。本当に美味しくないとつぶれるとか・・・。いくらでも理由が出てきたよ。」
「・・・うん。」
「俺はさ、東京がどんな所かは正直わからないねん。でもさ、せっかくやるんやったら、俺やっぱり日本一になりたいねん。」
「・・・春。」
「東京で頑張れたら日本一なのかわからへんけど、やっぱり東京で成功したいって思っとる。」
「・・・うん。」
「美羽も馬鹿げていると思う?俺の夢。叶わんと思ってくれていいねん。」
「そんな事・・・。」
「俺は否定されても、関係ないと思っている。母ちゃんが言うねん。もしも百人があんたの夢を否定しても、自分一人が信じていたら、夢は絶対に叶うねんって・・・。その逆でな、もしも百人があんたの夢を叶うと言っても、自分がその夢を信じていなかったら、絶対に叶わないって・・・。」
「・・・。」
「俺はその言葉で強くなれた。あぁ・・・ほんまにそうやろうなぁと思った。結局、自分なんやって・・・。だから俺は自分の夢が絶対に叶うと信じることが出来るねん。」
「うん・・・。」
「今はさ、まだ道の途中。でもさ、俺夢に向かっているこの道が大好きやねん。誇りに思える。」
「春・・・。」
「だからな、俺、どんなに無謀な夢を抱えている奴がおっても、絶対に応援したろうと思ってねん。」
「・・・うん。」
「夢なんてさ、なんでもいいんだよ。自分が成長するためのきっかけなんやと思うよ。」
「うん・・・。」
「なんか、熱く語ってもうて・・・なんや恥ずかしいな・・・。」
俺は急に冷静になると、少しだけ恥ずかしくなった。
「・・・素敵だと思うよ?」
「・・・えっ?」
美羽はそんな俺をフォローするように、優しい笑顔で微笑んだ。
「何だかなぁ・・・今の春が輝いている訳が分ったよ。それにね・・・何だか羨ましい。」
「美羽・・・。」
「私にはそんな情熱ないからさ・・・。」
「・・・。」
「私にも夢があったら、こんな道、選んでなかったかもしれないのになぁ・・・。」
美羽は呟くようにそう言うと、少しだけ寂しそうな笑顔で笑った。
「・・・美羽にも・・・。」
「・・・えっ?」
「美羽にも見つかるよ・・・。」
「・・・春。」
「夢・・・見つかると思う。」
俺は強い瞳で美羽にそう告げた。
「・・・うん。だといいな・・・。」
美羽は俺の言葉を半信半疑に受け止めながらも、優しい笑顔で頷いた。その時の憂いを秘めた瞳が・・・今でも俺は忘れられへん・・・。
「今日はありがとうね。」
日本酒を何本か二人で開けた後、俺たちは店の外に出た。そしてそっと駅に向かって歩き出した。
今日は珍しく肌寒い風が吹いていた。三寒四温の寒い方。
「うん。俺も楽しかったわ。」
俺は持ってきたニット帽をかぶりながら美羽にお礼を言った。
「あのさ・・・。」
美羽は俺の事を真剣に見つめると言いづらそうに言った。
「・・・うん?」
「春はさ、その・・・私の事どう思っている?」
「えっ・・・?」
俺は美羽の質問に驚きの表情を見せた。
「・・・どうって・・・。」
「やっぱり不倫はよくないって思う?」
・・・なんだそっちか・・・。俺は美羽の質問に一瞬焦りながらも、笑顔を作って本音を口にした。
「でも・・・しゃーないんじゃないの?」
「えっ?」
「誰がさ、好きな人を選んで好きになるの?」
「・・・。」
「俺かて、叶わん恋愛にいっぱいしてきたで。苦しい思いも切ない思いも・・・。不倫を肯定するわけじゃないけどさ、美羽かて本当は分かっているんやろ?」
「・・・うん。」
「人を好きになるってさ、理屈やないよな。俺さほんまに思うわ。傷つくかもしれへん。悲しい思いをするかもしれへん。もしかしたら叶わないかもしれへん・・・。でもさ、頭で恋愛しているようじゃ本物じゃないやん。」
「・・・うん。」
「大丈夫。いつかさ、なるようになると思うで。だから今はあんまり思いつめんと、笑っとき。」
「春・・・。」
「俺でよかったら話聞くからさ。」
「・・・うん。ありがとう。」
美羽は涙ぐみながらそう言うと、顔を上げて今度は笑顔を作った。俺の大好きな笑顔。
「ほな、またな!」
「うん!また連絡する!」
美羽と俺は駅前でバイバイすると、俺は地下鉄に乗って、自分の家を目指した。
人の気持ちをどうすること出来ないと俺は鼻から知っていた。
だから、相手の気持ちが見えた瞬間に俺はその場から動けなくなる。
自分がいくら一生懸命に気持ちを伝えたとしても・・・きっと相手の気持ちは変わらない。そう思って今まで生きてきた。
俺はもしかしたら、恋愛を頑張る前から諦めていたのかもしれない。だけど、美羽に出会って、応援したい気持ちと、俺の事を見てほしい気持ちとが複雑に絡み合っていくのを感じていた。
恋愛に弱虫だった俺を変えたのは美羽。お前やったんや。
「美羽!」
「吉川さん!」
春と飲んだ翌日、私は彼とデートの約束をしていた。
「今日も可愛いね。」
吉川さんは私の格好を見るなり嬉しそうに褒めてくれた。
「ありがとう。」
私は赤いリボンのカチューシャとボーダーのワンピースで微笑んだ。
吉川さんの好きそうなマリンスタイル。気に入ってもらってよかった。
私は笑顔を作るとすぐに彼の手を引いた。
「ねぇ?今日は泊まれる?」
私は無邪気に彼に問いかけた。
「・・・ごめん。今日はちょっと・・・。」
「・・・そっか・・・。」
「でもさ、折角だから美味しいもの食べようよ。何食べたい?」
彼は私の機嫌を取るように甘い声で言った。
「・・・うん!」
私は彼の気持ちを汲み取って、諦めたように返事をした。
どうして今日は泊まってはいけないの?もしかして奥さんが大阪に来ているの?それとも他の誰かと約束しているの?
私は彼の事を詮索するような切ない気持ちでいっぱいになった。
本当は彼を独り占めしたい。私だけを見つめてほしい。
私は彼の横顔を見つめながら、叶うことのない願いをそっと願った。あぁ・・・狂おしいほどに彼の事を想っている。
「あっ・・・お好み焼き屋さんあったよ?今日はお好み焼きを食べようか?」
そんな私の思いを知らない彼は嬉しそうにお好み焼き屋さんを見つめていた。
「・・・いいよ?」
私は彼の提案に乗ると、二人でお好み焼き屋さんののれんをくぐった。
「いらっしゃい!」
店の大将がすぐに私達を見つけて声をかけてくれた。
「二名です。」
吉川さんが丁寧にそう言うと、鉄板がテーブルになっている座敷へと私たちを案内してくれた。
「とりあえず生二つ。」
吉川さんは座敷に座りながら、さっと飲み物の注文をしてくれた。
「あいよ!」
店の大将は注文を受けると、にこやかに厨房へと戻っていった。
「何だか雰囲気良さそうな店だね。」
吉川さんは嬉しそうに言った。
「うん・・・。」
私はあたりを見渡しながら返事をした。
少し古くて昔ながらのこのお店は・・・昔大阪に住んでいた私に懐かしい気持ちを与えてくれた。
まだ家族が一緒にいた頃・・・。三人でお好み焼きを食べに行ったっけ・・・。
私は両親が離婚する前の楽しかった日々を思い出していた。
「はい、お待ち!」
大将がにこやかな笑顔でビールを二つ抱えて戻ってきた。
「ありがとうございます。」
私達はビールを受けとると、ひとまず乾杯をした。
「乾杯!」
「乾杯!」
冷たい生ビールがのど元を過ぎていくと、爽快な味につい声が出てしまう。
「美味しい~・・・。」
私はぎゅっと目をつぶると、その美味しさを噛みしめた。
「今日は外も暖かいから余計にうまいね。」
吉川さんは嬉しそうにそう言うと、もう一口ビールを飲んだ。
「何食べます?」
私はメニュー表を見ながら吉川さんに問いかけた。
「うん、じゃあ豚玉と海鮮にしようか?」
吉川さんが柔らかい笑顔でそう言うと、すぐに大将に注文してくれた。
優しい笑顔・・・。くまみたいなおおらかな吉川さん。ホテルにいる時に甘えてくる彼が・・・私は大好きだった。
けれど外にいる時は少しだけ他人行儀。それはきっと・・・いつどこで誰に見られてもいいように・・・。
「美羽さ・・・。」
「・・・うん?」
私は飲みかけのビール越しに吉川さんを見つめた。
「仕事はどうなった?」
吉川さんは心配そうに私の事を見つめた。
「それがですね・・・。」
私は昨日の出来事を思い出しながら、俯いた。
異動届が受理されなかったって言ったら・・・東京に帰った方がいいって言われてしまうかもしれない・・・。
「うん?」
「・・・はい。それが・・・異動届却下されてしまいまして・・・。」
私は仕方なく事情を伝えた。
「そっか・・・。」
吉川さんも少しだけ残念そうにうつむいた。
「でもですね・・・何とかしますよ。こっちで仕事見つけます。」
「美羽・・・。」
「だから吉川さんは何も気にしなくて大丈夫ですから。」
私は笑顔を作ると、そっと彼の手を握った。
「・・・うん。」
そんな私の言葉に吉川さんは優しく頷いてくれた。良かった・・・帰れなんて言われなくて・・・。
「今日はご馳走様でした。」
美味しいお好み焼きを食べて、お酒もいっぱい飲んで私達は暖かい気持ちで店を出た。
「あぁ・・・やっぱ今日は気持ちいいなぁ。」
吉川さんは春の温かい風を浴びながら嬉しそうに言った。
「もうすぐで桜も咲きそうですね。」
私はお店の光で輝く桜の木を見つめてそういった。
去年の今頃・・・大阪で桜を見ることになるなんて思いもしなかった。
それなのにね・・・人生なんて何が起きるか分からないんだね。
私たちは少しずつ駅に向かって歩き出すと、私の気持ちはどんどんと切なくなっていった。このまま同じ場所に帰れたら・・・どんなにいいだろう・・・。
一緒に帰って、家で一杯飲みなおして、同じ布団で寝て朝一緒に起きる・・・。そんな当たり前の事が出来たら・・・。
私は彼の横顔を見つめながらそんなことを切に願った。
「・・・。」
私はその願いを口には出せずに、そっと彼の手を握った。
私の思い温もりに乗せて・・・どうか彼に届いてほしい・・・。
「・・・美羽・・・。」
吉川さんは少し困った表情で私の手を見つめていた。
外では他人のふりをする。二人の中の暗黙の了解だったから・・・。
「ちょっとだけ・・・」
私は吉川さんの顔を見ずに呟くようにそう言った。
「・・・うん。」
吉川さんも小さくそう言うと、私の手をぎゅっと握り返してくれた。
そしてその瞬間、私の胸はきゅんと苦しくなって息さえも出来なくなった。
吉川さん・・・。もっと一緒にいたい。駅までの道のりがずっと、ずっと続けばいいのに・・・。時間が止まればいいのに・・・。
私はきらめく夜道を彼と歩きながら、ゴールのない道をひたすらに歩き続けた。
恋は苦しくも、切なくもある。一緒の時間が楽しいほどに離れるのが辛くて、涙が出そうになる。これほどに人を好きになったのは初めてだった。
けれどそれはきっと、これが叶わない恋だと知っているから・・・。叶わないから、お互いに求めてやまないの・・・。
でもね・・・もう少しでこの恋に結末が訪れるなんてね・・・。
その時の二人はまだ知らなかったね・・・。
「・・・はぁ・・・。」
美羽と飲んでから一週間。美羽からは何の音さたもなかった。
俺はベッドに横たわりながら、何度も携帯を開いては閉じるという作業を繰り替えていた。
美羽の事、やっぱり好きになってしもうたのかな・・・。
だって今、俺の頭の中は美羽の事でいっぱいや・・・。
憂いを秘めた美羽の笑顔。あの笑顔を昔のように輝く笑顔に戻したい。
太陽みたいに人を惹きつけるあの輝く笑顔。俺が見たいんはきっとその笑顔だけや。
♪~♪~♪
手元に持っていた携帯電話が大きく音を立てて鳴り出した。
俺はすぐに体を起こすと、すぐに電話を取った。
もしかして美羽か・・・?
「もしもし、春?」
明るい声の持ち主は・・・隆平だった。
「隆平・・・。」
俺はがっかりした声でそう言うと、隆平は何も変わらずに明るい声で言った。
「何していた?」
「・・・うん?ごろごろしていた。」
「勉強は?」
「せえへんよ。春休みやし。」
「そうやんなぁ・・じゃあさ、散歩しにいかへん?」
「散歩?」
「桜がさ、咲いているんよ。」
「えっ?」
俺は部屋の窓の外を眺めると、暖かい太陽がキラキラと輝いていた。
「なんかさ、いい午後だから、付き合ってや。」
隆平は子供みたいにそう言うと、俺はいいよと返事をした。
「よっ!」
軽くシャワーを浴びた後、俺はTシャツにパーカーを羽織って家から出た。
隆平の言う通り、暖かくて気持ちのいい午後だった。
「おっ・・・来たか。」
隆平は待ち合わせ場所の噴水前でコーヒーを飲みながら俺に手を振った。
隆平の他にも待ち合わせをしている人がちらほらいて、皆幸せそうに手を振りあっていた。
「ほんま気持ちいいね。」
俺は隆平に駆け寄りながら笑顔で言った。
「せやろ?こんな日に家にいるなんて勿体ないよな。」
隆平は太陽を見つめながら嬉しそうに言った。
「行く?」
俺は隆平の目の前に立つと、隆平が立ち上がるのを待った。
「おう!行こうか。」
隆平は缶コーヒーをポイッとゴミ箱に捨てると、嬉しそうに歩き始めた。
「そういえば、ここに来る途中も桜見かけたよ。」
俺はさっき見た桜を思い出して言った。
「咲いていたやろ?」
「うん。俺が家でゴロゴロしている間にあんなに咲いとったとは・・・。隆平からの連絡がなかったら、俺が気づかずうちに桜ちとったわ」。
俺は冗談を言いながら空を見上げた。
「春休みって暇やもんね。」
「でも、隆平はあれやろ?彼女とデートしたりしているんちゃうん?」
「まぁね。昨日は彼女と一緒に飲み行ったよ。」
「ええやん。」
「まぁね・・・。」
隆平は俺に遠慮気味に笑った。
「でもさ、最近は別の事で悩んでんねん。」
隆平は青い空を見つめながら言った。
「・・・何?」
俺は歩きながら、視線を隆平に移した。
「俺もさ・・・やっぱり東京に行こうかと思って・・・。」
「えっ?」
俺は隆平の思いに驚いた。確か隆平はお母さんの店を継ぐために今の学校に通っていると言っていたから。
「・・・おかんがさ、最近言うねん。お前のしたいようにしいや。って・・・。」
「・・・したいように・・・。」
「本当はさ、俺、春が羨ましかったんだよね。自分の思いに素直でさ。日本一のお好み焼き屋さんになるっていうキラキラした目標を持っていて・・・。」
「隆平・・・。」
「俺はさ、おかんの店を継ぐことが本当のしたい事じゃなかった。俺、本当はフレンチのシェフになりたいねん。」
隆平はキラキラと輝く木漏れ日に照らされながら少し切なさそうに言った。
「・・・うん。」
しっとたよ・・・。隆平が本当は別にしたい事があること・・・。俺親友やもん。
「俺に出来ると思う?」
隆平は少し切ないまなざしで俺を見つめた。
「あっ・・・あったりまえやん。隆平に出来なくて誰に出来んねん。」
俺は少し涙をこらえながら言った。隆平が・・・初めて本音を見せてくれた。俺にはその事がとても嬉しかった。
「そうか・・・うん。そうやんなぁ。春前に言うてたもんな。夢なんて自分が叶うと思えば絶対に叶うって・・・。」
「そうやで・・・。でも俺は隆平の事、応援するよ。隆平なら、日本一のフレンチのシェフになれるよ。」
俺はキラキラと輝く笑顔で隆平にエールを送った。
「ありがとう・・・。俺頑張るわ!」
「・・・おう!」
俺たちはキラキラと輝く太陽に照らされながら笑顔で笑いあった。
「あっ・・・隆平、見てみ!」
俺の視線の先には、鮮やかに咲き乱れる桜の並木道が見えた。
「うわぁ・・・きれいやんなぁ・・・。」
隆平は視線を桜へと移すとうっとりとそう言った。
「ほんま・・・きれいやなぁ・・・。」
俺たちはゆっくりと歩みを進めた。キラキラ輝く桜を目の前で見るために。
「・・・人ってさ、自分には嘘つかれへんねんなぁ・・・。」
隆平は瞳の先に桜を見つめながら、そっと呟くように言った。
「ほんまそうやねんなぁ・・・。」
俺も、本当にそうだなぁと思って言葉を返した。
美羽に発した言葉。誰が好きになろうと思って好きになるの?
まさにそう通りだった。もしも自分に嘘をついて生きている人がいたら、そいつはきっと幸せじゃない。
分かれへんけど・・・俺はいつだって自分に正直に生きてきた。それだけで得たものは大きくて、夢はいつだって俺に幸せをくれたから・・・。
「わぁ・・・。」
大阪の御堂筋のどこにでもある桜並木道。俺たちはその下に立ち尽くすと、その美しさに言葉を失った。
キラキラ輝く太陽に照らされて・・・桜はピンク色に咲き乱れ暖かい風が吹いて・・・。隆平の夢が見つかった日。俺も、胸に秘めていた思いを吐き出す決心をした。
♪~♪~♪~
「・・・電話や。隆平ちょっとごめんな。」
俺は電話を取り出して、すぐに電話に出た。
「もしもし?」
「・・・あっ・・・春?」
電話の主は・・・美羽だった。でもその様子はいつもと違っていて、明らかにおかしかった。
「・・・どうしたん?」
俺はすぐに美羽の異変に気づき、焦るように問いかけた。
「・・・春・・・私・・・。」
電話越しで美羽は涙を流していた。
「・・・どうしたん?なぁ・・・今どこ?」
俺は美羽の泣き声に不安が胸いっぱいに広がった。まさか、不倫相手と何かあったのか?
「・・・私・・・もうどうしていいかわからないの・・・。」
美羽はそう言うと、電話越しで泣き崩れてしまった。
「今、今行くから!どこにいるか教えてや。」
「・・・三角公園にいる・・・。」
「分かった。すぐ行くから。まっとき!」
俺はそう言うとすぐに電話を切って、隆平の顔を見た。
「はよ行き!」
隆平はすぐに状況を察すると、俺は小さくうなずいて走り出した。
美羽が泣いている。あんなにも強がって、涙を見せなかった美羽が泣いている。俺に出来る事なんてなくていい・・・。ただ今、美羽の元に行く!それだけや。
俺は必死に美羽が一人で泣いている場所へと走り続けた。
「はぁ・・・はぁ・・・。」
俺は美羽がいるという三角公園にたどり着いた。
「・・・美羽?」
俺は小さいその公園の辺りをキョロキョロと見渡した。
「・・・春!」
俺よりの先に美羽は俺を見つけると、泣きはらした目で俺の元へと駆け寄ってきた。
「・・・美羽!」
俺は美羽を見つけると、ほっとした気持ちになった。
「ありがとう・・・来てくれて・・・。」
背の低い美羽は俺の事を見上げながら、涙目でそっと笑った。
「・・・行こう。」
「えっ?」
「ここじゃないどこかへ・・・。」
俺は瞬時にそう言うと、美羽の手を取って走り出した。
「・・・雨が降りそうだね。」
美羽は窓の外を見つめると、呟くように言った。
「・・・うん。」
どこかに行こうなんて・・・自分で言ったなんて自分でもびっくりだった。でも、今はここにおらん方がいいような気がした。そして俺達は近くのレンタカー屋さんで車を借りて、美羽が行きたいという京都を目指す事にした。
「ただいま上空には、発達した雨雲がかかり、今夜は春の嵐となるでしょう。」
ラジオから流れていた天気予報。さっきまであんなにもいい天気だったのに・・・。
「・・・嵐だって・・・。」
美羽はまたもや呟くようにそういうと、窓越しからじっと雲の動きを見つめていた。
「・・・気持ちはどう?落ち着いた?」
俺は天気の事よりも、美羽の事の方がよっぽど心配だった。
「・・・うん。」
美羽はまた目に涙を浮かべながら、呟くように言った。
「・・・何があったか聞いていい?」
俺はまっすぐハンドルを握りながら美羽に問いかけた。
「・・・うん。あのね、見ちゃったんだ。」
「・・・えっ?」
「彼が奥さんといるところ・・・。楽しそうに笑っていた。」
美羽は涙を堪えて必死に言葉を発した。
「そっか・・・。」
俺は心の中でやっぱりと思った。やっぱり彼の事やった。
「・・・彼ね、私といる時は、奥さんとは上手くいっていないとかね、奥さんはもう俺の事を好きじゃないとか言っていたんだよ。」
「・・・うん。」
「だからね・・・二人を見た瞬間にその言葉が全部嘘だったんだって思って・・・。」
「・・・うん。」
「彼も奥さんも本当に幸せそうに笑っていた。あぁ・・・この人たちは夫婦なんだって、周りの人が一目で分かるような・・・そんな雰囲気だった。」
「・・・うん。」
「でも、そうだよね。大阪と東京で離れているんだもんね。会えたら嬉しいよね。当たり前だよね・・・。」
美羽は諦めたように言った。
「・・・そっか・・・。」
「私、彼のあんな笑顔を見たことなかったからさ・・・。すごく悔しくて寂しくて・・・気づいたら春に電話していたの・・・。急にごめんね・・・。」
美羽は下を向いたまま申し訳なさそうに言った
「俺は大丈夫やで?」
「・・・ありがとう・・・。」
美羽はボソボソとそう言うと、顔を上げて窓の外見つめていた。
「あっ・・・降ってきた。」
美羽は呟くようにそういうと、俺はフロントガラスをまっすぐに見つめた。
「ほんまや・・・。」
ポツポツと降り出した雨は、勢いをまして、すぐに激しい雨が降り出した。
「わぁ・・・。」
美羽は雨を見ながら少しだけ嬉しそうに声を上げた。
「・・・雨好きなん?」
俺は今まで以上に丁寧に運転をしながら美羽に問いかけた。
「うん。なんかね、こういう雨はわくわくする。」
美羽は生き生きとした声で言った。
「気持ちわかるわ。」
俺も大粒の雨を見つめながら言った。
でもこの嵐は少し激しすぎ。俺は視線を道路わきに向けると、廃屋になった店の前の駐車場に車を止めた。
「ちょっと激しすぎるから、ここで雨宿りしよう。京都までまぁ・・・すぐやし。」
「うん。そうしよう。レンタカーだし、下手に傷つけたら大変だもんね。」
「うん。でも・・・ほんますごい雨風やね・・・。」
俺は、止めた車のフロントカラスを眺めて言った。
「でもさ、こういう天気って楽しいよね。なんかさ、小学生の時に台風になると、学級閉鎖になったりするじゃん?その時の気持ちがまだ続きている感じがする。」
美羽は嬉しそうに言った。
「あぁ・・・あれはなぁ・・・わくわくするよなぁ・・・。」
俺は大きく頷いた。
「連絡網が早く来ないかなって、電話を待ってさ・・・。休みが決まると嬉しくて、今日一日何しようって・・・わくわくしたなぁ。」
「懐かしいなぁ・・・。」
俺は春の嵐の中、そっとその時の気持ちに戻っていた。
まだ自由だったあの頃・・・。何もかもが楽しくて、いつもわくわくしていた。そんな毎日が永遠に続くと思っていた。
「大人になったらさ、もっと自由になれるものだと思っていた。」
美羽は少し切なさそうに笑った。
「・・・俺も。」
「・・・何が私達を不自由にしたんだろうね?」
美羽は遠くを見つめて言った。
「・・・それはさ・・・自分やろ?」
「・・・自分?」
「そう・・・自分の記憶や情報がさ、俺らを不自由にしているんちゃうんかな?」
「・・・記憶と情報が・・・。」
「俺もさ、最近思うんよ。まぁ例えば、大きい夢が叶わないとか・・・お金がなくちゃ幸せになれないとかさ・・・決めつけているのは結局自分やん?昔が自由だったのは、そんな決めつけをもって生きていなかったからやなぁ・・・なんて・・・。」
「・・・うん・・・。」
「自分の可能性を信じることが出来たらもっと自由になれるんやろうね。」
俺は思ったままを口にした。別に美羽の心に響いてほしいとかそんな思いは一つもなかった。
「・・・分かるような気がする。」
「・・・うん。」
「いつの間にか、他人と自分を比べてさ、違うところがあってもいいはずなのに、それがいけない事のように感じることがあった。」
「・・・うん。」
「比べることに何の意味もないのにね・・・。」
「・・・うん。」
「あぁ・・なんか春と話していると、いつも気づかされることが多いなぁ・・・。」
「美羽・・・。」
「春みたいな人を好きになれたら、最高に幸せなのにね・・・・。」
美羽はそう言って、優しく微笑むと、そっと瞳を閉じた。そして小さい寝息を立て始めた美羽を俺はそっと横目で見守った。
今はゆっくり休みや・・・嵐がやむまではゆっくりと・・・。
「ふぁぁぁぁ・・・。」
俺は目を覚ますと、一瞬自分がどこにいるか分からなくなっていた。
「・・・うん?」
俺は隣を見ると、そっと俺の肩にもたれかかっている美羽に驚いた。
あぁ・・・そうだ・・・昨日の夜、美羽と一緒にここで寝てもうたんや・・・。
俺は美羽の体勢が変わらないように、そっとポケットの携帯電話に手を伸ばした。
「六時半か・・・。」
俺は今が朝の六時半だと確認すると、携帯電話をフロントボードに置いた。
昨日の嵐が嘘みたいな快晴。キラキラと輝く太陽が眩しいほどだった。
それにしても・・・俺は美羽の寝顔を見て胸がきゅんとなった。
なんて無防備な寝顔・・・。完全に安心して眠っている。
美羽の温もり・・・。美羽の吐息。そして唇。その全てが急に恋しくなった。
美羽・・・お前はほんまに無防備な奴や・・・。俺は小さくため息をつきながらもう一度瞳を閉じた。
俺かて男やって・・・。でもここで美羽に手を出したら、俺は一生自分を責めるだろう。傷ついて・・・小さくなっている美羽の事を今はそっとしておいてあげたい・・・。それが俺なりの愛情表現やから・・・。
俺は目をつぶって、美羽が起きるその時をそっと待った。
「ふぁぁぁ・・・。」
それから一時間後、美羽は大きいあくびと共に目を覚ました。
「・・・おはよう!」
俺は笑顔で美羽に声をかけた。
「えっ?えっ?」
美羽は俺から離れると、慌てて辺りを見渡した。
「フフフ・・・」
俺はそんな美羽を見ながら一人クスクスと笑っていた。
「えっと・・・?」
まだ半分状況が把握できていない美羽は俺の事を見つめた。
「ほらっ・・・昨日京都行く途中に、嵐が来てさ、一旦ここで雨宿りしていたやん。したら美羽寝ちゃってさ。」
俺は簡潔に状況を説明した。
「・・・あっ・・・あぁ・・・。」
美羽は昨日の出来事を思い出して、大きく頷いた。
「大丈夫。襲ったりしてへんから。」
俺がふざけてそう言うと、美羽も笑いながら俺の肩を小さくどついた。
でも、その瞳には昨日の出来事を思い出して少しだけ悲しそうな顔で笑う美羽がいた。
そうやんなぁ・・・昨日は美羽にとって、すごく悲しい思いをした日やもんな・・・。そんな簡単に笑顔にはなれへんよな・・・。
俺は美羽の横顔を見ながらそんな事を思っていた。・・・でも・・・。
「・・・よっしゃ・・・行きますか!」
俺は美羽のそんな様子に触れないように、明るい声で言った。
「・・・どこに?」
美羽は驚いた表情で俺を見た。
「もちろん、京都に決まっているやん。でもさ、その前に朝食食べに行こう?お腹ペコペコやねん。」
俺は笑顔で美羽にそう言うと、美羽も嬉しそうに頷いた。
美羽が辛い時・・・俺は笑っていよう。
美羽が苦しい時、俺は明るく支えよう。美羽と同じ気持ちになって落ち込むことが、美羽にとってしてあげられる事じゃない。美羽に足りないものを俺が与えてあげればいいんだ・・・。元気とか明るさとか・・・。
俺の思いが届かなくてもいいから、一瞬でも美羽が現実を忘れて、笑顔を取り戻せるならそれでいい・・・。
「わぁ・・・」
近くのファミレスで朝食を食べた俺達は、鴨川を通って、八坂神社にやってきた。
「めっちゃ綺麗やんなぁ・・・。」
八坂神社で有名な枝垂れ桜が、ちょうど見頃を迎えていた。
「・・・なんか神秘的・・・。」
美羽は目の前にそびえ立つ桜を眺めながら、うっとりと言った。
「ほんまやなぁ・・・。」
俺も空を見上げながらその美しさにすぐに瞳を奪われた。
青い空にピンク色の桜。その周りには赤いテーブルで花見を楽しんでいる人がたくさんいた。
「素敵だね・・・。」
美羽は目に涙を浮かべながら言った。
「・・・美羽。」
「・・・ごめんね。なんか今日は感傷的になっちゃって・・・でもさ、本当に感動しちゃったの。こんなに綺麗な枝垂れ桜初めて見たから。」
「・・・うん。」
「・・・お団子でも食べようか?」
美羽は涙を拭うと、笑顔を作って、俺を見つめた。
「そうやな。」
俺もそれ以上は何も言わずに二人でお茶屋さんに向かって歩き出した。
京都名物茶団子。俺たちも赤いテーブルに座って花を愛でながら美味しいお団子をもぐもぐと食べた。
「美味しいね!」
そのねっとりとする茶団子を美羽は嬉しそうに食べていた。
「ほんまやね。」
「桜もきれいだし、本当に京都って素敵。」
美羽は濃いお茶をすすりながら、桜を見つめて言った。
「俺も春の京都来るんは久しぶりやけど、やぱりええなぁ・・・。」
「・・・うん。」
二人の間に暖かい風がすり抜けて行った。ポカポカとして心地よい・・・。幸せな風だった。
「次はさ、お散歩しながら清水寺を目指そうよ。」
美羽は嬉しそうにそう言うと、俺の事を見た。
「よう知っているなぁ・・・。」
俺は八坂神社から清水寺に歩いて行けることを知っていた美羽に驚いた。
「だって、中学生の時に修学旅行で来たから。」
「あっ・・・そうか・・・。」
俺は美羽が中学生の二、三年は東京に学校に通っていた事を思い出して言った。
「東京の学校はほとんど関西に行くんだよ。私の時は、奈良と京都に行ったの。」
「そっか・・・。俺らは東京に行ったんよ?」
「うん。」
「俺はさ、あれが人生に初めての東京やった。」
「そっかぁ・・・。」
「なぁ美羽にとって東京ってどんな場所?」
俺は将来自分が店を持つであろう、東京を思い浮かべて美羽に質問をした。
「うん。いい所だよ。」
美羽は目を細めて言った。
「そっか・・・。」
「でもさ・・・。」
「・・・うん?」
「春ならどこに行っても楽しくやれると思う。」
「・・・美羽。」
「私はさ、東京での思い出は両親の離婚があったからやっぱり寂しい思いが多かった。東京って寂しい所だなぁって・・・。でもさ、東京がどうこうじゃなくてさ・・・やっぱり人の心なんだなぁって・・・春と話していて思ったの。」
「・・・思い?」
「うん。自分さえ明るい気持ちでいられたならどこに行っても、誰といてもきっと世界は輝いて見えるんだよ。」
「・・・。」
「春がそう・・・教えてくれたの。」
美羽はしんみりとそう言うと、視線を桜へ変えた。
「・・・美羽。」
サラサラと靡く美羽の髪の毛が桜と共に風に吹かれて・・・。
美羽はその場からいなくなってしまいそうなほどに、儚く、そして美しく見えた。
「楽しかったね。」
車に戻ると美羽は満面の笑みで俺を見た。
「うん。」
俺はたくさんのお土産を車の後ろに詰めると、ゆっくりとドアを閉めて、運転席へと乗り込んだ。
あれから清水寺を回り、近くの三年坂でお土産を大量に買い込んだ。
美羽は実家のお母さんに上げる八つ橋と、さっき食べた茶団子を買っていた。
「さてと・・・帰りますか。」
美羽は晴れ渡った顔でそう言うと、前だけを見つめた。
「・・・もうええの?」
「うん。すごく楽しかった。ずっと見たかった枝垂れ桜も見られたし。」
美羽は満足そうにそう言った。
「そっか・・・。」
俺は美羽の言葉に従うと、エンジンをかけて車を走らせた。大阪を目指して。
「あぁ・・・楽しかったな。」
高速を走らせながら大阪を目指していると美羽がぼんやりとそんな言葉を口にした。
「京都?」
俺はさっきの京都での出来事を思い出して言った。
「・・・ううん。大阪での生活。」
美羽は遠くを見つめながら言った。
「えっ?」
俺は美羽の言葉に思わず驚いた。
「本当は不安でいっぱいだったんだ。こっちに来ること。彼はいるけど、私達正式に付き合っているわけじゃないし・・・。」
「・・・うん。」
俺は美羽の言葉をじっくりと聞いていた。
「でもね・・・本当の事を言うとね、大阪に来ることが出来たのは、春がいたからなんだよ?」
「・・・えっ?」
「彼の出張先が、大阪だったから私はこっちに来る勇気を持てたの。」
美羽は真っ直ぐな瞳で俺を見つめた。
「美羽・・・。」
「大阪に行くって聞いたときに、すぐに春の顔が浮かんだの。あのマルコメみたいな優しい春の事。」
「・・・。」
「案の定春と会うことが出来た。」
「・・・うん。」
「私ね、春が思っているよりもずっと春に助けてもらっている。感謝しきれないほどに・・・。」
「美羽・・・。」
「・・・私、ちゃんと彼との事考えてみる。強く・・・なるから。」
美羽は目に涙を浮かべながらにっこりと笑った。そんな儚い美羽を見ていたら・・・俺はもう自分の心をだます事なんて出来なかった。
「・・・俺なら、美羽の事、泣かさへん。」
「・・・えっ?」
美羽は驚いた表情で俺の事を見つめた。
でも俺は真っ直ぐに前を向きながら、ただ想いの丈を伝えた。
「もう辛い美羽を見てんのは嫌やねん。俺なら美羽の事もっと笑わすし、守るし、絶対に泣かさへん。」
「・・・春。」
「俺にしときや。俺・・・美羽の事が好きや・・・。」
俺はもうこの言葉しか浮かんで来なかった。
「・・・春。」
俺は美羽が困っているのを分かっていた。
美羽が戸惑っているのも感じ取れた。だけどもうこの気持ちを伝えずにはいられなかった。
「考えさせて・・・?」
重い沈黙の後、美羽はそっと呟くように言った。
俺はそんな美羽の言葉を小さく頷いて受け止めた。
美羽への思いは・・・OKをもらうために言ったわけじゃない。俺は美羽に気付いてほしかった。美羽の事を見ている人もおるよって・・・。彼だけが全てじゃないよって・・・。幸せの焦点をそこだけに絞らないでほしい。恋愛だけが人を幸せにするわけじゃない。俺たちには色々な選択肢があんねんって・・・。
春からの告白・・・。私はあまりにも驚いて胸がキュンとして苦しかった。俺にしておけよ。なんて告白・・・今まで言われたことがない・・・。
私は春の車を見送りながら一人、さっきの告白の事ばかり考えていた。
考えさせて・・・。その言葉に小さく頷いてくれた春。その後交わしたセリフはバイバイ。また連絡するね。だけ・・・。
私は一人になると、空を見上げた。
彼と奥さんの事・・・。そして一人ぼっちだった私を京都に連れてってくれた春の事。そしてさっきの告白。
私はもう一度さっきの告白を思い出すとまた胸が苦しくなった。でも・・・本当はとても嬉しかった。
春が私を女の子として見てくれていた事も、いつもそばで私の事を支えてくれていた事も・・・。
でも正直、私は東京に帰るつもりでいた。彼との事をどうするにしても、もう大阪にいる事は終わった。けれどさっきの春の告白で、私の心は迷い始めていた。
ちゃんと考えて答えを見つけなきゃ…。彼の事も・・・。春の事も・・・。
「今日会える?」
美羽から連絡が来たのは、あれから五日後の事だった。
「もちろん大丈夫やで。何時にどこに行けばいい?」
俺は美羽が俺の告白の答えをくれる事を知っていたのですぐに返信をした。
「・・・じゃあ、五時に梅田駅で。」
美羽からすぐに返事が来ると、俺は時計を確認してからすぐに準備を始めた。
あれから五日・・・。俺は美羽の事をずっと考えていた。
美羽の憂いを秘めた笑顔。泣きそうな顔。困った顔。そして、満面の笑顔。そのどれもが愛しくて、すぐにでも抱きしめたかった。
美羽・・・お前はどんな答えを出したんや・・・。
待ち合わせ場所の梅田駅に行くと、美羽の姿はまだなかった。
俺は時計に目をやると、まだ五時五分前。俺は顔を上げると、暖かい風が頬を掠めた。
美羽と京都に行ったのが大昔みたいに感じる。だって・・・あの時満開やった桜は・・・もう少しずつ散り始めていた。ヒラヒラと散っていく花びら・・・。雪みたいだった。
「春!」
美羽はデニムのフレアスカートに可愛いTシャツに帽子を被って現れた。
「美羽!」
俺は美羽の姿を見た瞬間に、嬉しさのあまりつい笑顔になってしまった。でもその表情はすぐに凍り付いた。
「お待たせ。」
「・・・うん。」
美羽は大きい鞄をゴロゴロと引いていた。
「・・・行こうか。」
美羽は俺の曇った表情に困った顔をするとそう言った。
「・・・あっ・・・うん。」
俺は美羽に聞くことが出来なかった。
「東京に帰るのん?」って・・・。
俺達は、駅前にあるカフェに入ると、二人で向き合って話を始めた。
「今日は来てくれてありがとうね。」
美羽は紅茶を飲みながら笑顔で言った。
「いやっ・・・俺の方こそ・・・。」
俺は下を向いたままそういうと、小さくストローからアイスコーヒーを飲んだ。
「春にね、言わなきゃいけない事があって・・・。」
美羽はすぐに話を始めると、俺は小さく頷いた。
「・・・私、彼と別れたの。」
「・・・えっ?」
俺は美羽の言葉に驚いて顔を上げた。
彼と別れた?
「彼には昨日会ってきたの。あれから色々考えてね、ちゃんとケジメつけようって・・・。」
「・・・うん。」
俺は美羽の話を聞きながら、美羽が数日前よりもずっと強くなっているような気がした。
「彼は嫌だって言ってくれたんだけどね・・・やっぱりあの姿が脳裏から離れなくて。沢山泣いたけど、ちゃんとお別れできたの。」
「・・・うん。」
「大阪まで追ってきたのにね・・・。でもね、別れてまだ一日だけど、あぁ・・・やっぱり良かったんだって思えたの。」
「・・・うん。」
「彼とはもう連絡は取らない。私は前に進みます。」
美羽は強くそう言った。
「・・・うん。」
俺は美羽を見て泣きそうになった。今でも苦しみを沢山抱えているはずやのに・・・。美羽は必死に前を向こうとしている。
「でもね、やっぱり私を変えたのは春。」
「えっ?」
「春が教えてくれた。何が一番大切かを。」
「一番大切な物?」
「そう・・・私ね、彼の事、春の事、考えているうちにね、誰が一番大切なのかを思い出したの。」
「・・・。」
「私が一番大事にしなくちゃいけなかったのは自分だった。」
美羽は優しく微笑むと、俺の瞳を見つめた。
「自分を大事にしていない人に他人を大切にできるわけがないよね?」
「・・・美羽。」
「だからね、私、自分の夢をもう置き去りにしたりしない。」
「・・・。」
「好きなことに関わって・・・なりたい自分になる。そしていつか、心から自分を大好きになることが出来たら・・・。きっと夢も叶うと思うの。」
「・・・うん。」
俺は夢をキラキラと語る美羽に釘付けになった。
「春言っていたよね?美羽にもいつか夢が見つかるって・・・。」
「うん。夢・・・みつかったの?」
「うん。私ね、やっぱりお洋服が好きだから、モデルさんは無理かもしれないけれどね、日本一のショップ店員になれるように、頑張ってみようと思って・・・。」
美羽は嬉しそうに言った。
「・・・そっか。美羽なら出来るよ。」
俺は美羽お応援しながらも、内心は複雑だった。だってもう・・・美羽の答えは決まっているから。
「うん・・・。だからね、春・・・。」
「・・・うん。」
俺は振られる決意をして、美羽からの言葉を待った。
「この恋の続きは春が東京に来てからでもいい?」
「えっ?」
俺は美羽の意外な答えに驚いた。それって・・・?
「私ね、やっぱり春が好きだよ。今は彼の事があったから、はっきり恋愛感情とは言えないかもしれない。でもね、このまだ蕾にもなっていないこの恋を・・・育ててみたいの。」
美羽はそう言うと、照れくさそうに笑った。
「・・・うん。」
俺は美羽の答えに泣きそうになりながらも、深く頷いた。
「春・・・私に大切なことを教えてくれて本当にありがとう。私も春みたいに、夢にキラキラして、東京でも頑張るから。」
美羽は泣きそうな笑顔でそう言うと、俺はそっと美羽の手を取った。
「大事にする。それに俺も、絶対に夢叶えるから。」
俺は美羽の温かい体温に触れながら、誓いを立てた。こんなどこにでもあるカフェで・・・。
「じゃあ、これからどっちが先に日本一になれるか競争だね。」
美羽は柔らかい笑顔でそう言うと、俺は、すぐに幸せな気持ちになった。
美羽に笑顔が戻った・・・。人を幸せにする笑顔が・・・。俺はその事が嬉しくて、また泣きそうになった。
外には桜が綺麗に咲き乱れ・・・そして、儚くも散っていく。夢を叶える事もそれに似ているのかもしれないけど、それは咲かせてみないと分からない。
夢を持って、辛い時も苦しい時もあるけれど、俺は夢を叶えるための人生を選ぶ。だってそこには、俺の知らん世界がまだまだあるはずやから・・・。
夢見る大阪、春の夜・・・。今日も俺の心には大きい夢が輝いて、願いが叶う。それを人はきっと奇跡と呼ぶだろう。
そして美羽。俺の大好きな人。美羽が描いた夢はいつか美羽を光り輝かせて、人々さえも幸せにするだろう。だって美羽の笑顔は太陽のように光り輝いているから。
沢山苦しんだ美羽を俺は大事にしよう。美羽の笑顔を守っていこう。
そしていつか二人の夢が叶う日を信じて・・・また一歩歩き出そう。
俺はそんな明るい気持ちで、散りゆく桜を見つめた。
終わり
夢見る大阪、春の夜 AYANA @ayana1020
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