第1話 過去回帰
「ここは……この場所は……!」
目の前には見覚えのある天井。
木製の天井にはいくつも染みがあり、そのうち一つが人間の顔のようになっていた。
幼い頃は怖くて堪らなかった、その不気味な顔を知っている……かつて暮らしていたヴォルカン侯爵邸の天井だった。
「戻って来たのか……本当に?」
マルスが起き上がると、そこは見慣れた部屋だった。
グロスレイ王国。ヴォルカン侯爵領。領主の屋敷にあるマルスの部屋である。
薄暗い部屋。カーテンの隙間から陽光がわずかに差し込んでいた。
カーテンを開いて確認すると……東の山から太陽が顔を出そうとしている。
「ッ……!」
マルスは感極まり、息を呑んだ。
両目から涙が溢れ出してくる。
窓から見えるこの光景。丘の上に立った屋敷、周囲の森、その先に見える町々。
間違いない。もう二度と見られないだろうと思っていた故郷の景色である。
「聖女アリア・クレプスキュール。貴女に心からの感謝を……!」
戻ってきた。やり直すことができる。
かつて魔女に踏みにじられ、焼かれた故郷を取り戻すことができたのだ。
「今度は絶対に守ってみせる。必ずだ……!」
涙を流しながら、マルスは決意の言葉を口にする。
『滅獄の魔女』によって滅ぼされた故郷。滅ぼされた国。失われた民の命。
次は同じことを繰り返すまい。どんな手段を使ってでも守ってみせると心に誓う。
「そのために、まずは現状を確認だ……」
滝のように流れる涙を根性で押さえつけながら、マルスは部屋の一角にある机まで歩いていく。
引き出しを開けて、取り出したのは日記帳。幼い頃からの習慣として記しているものだ。
「最後の日付は……ちょうど十年前か。俺が十五歳の頃だな」
十年前。
『滅獄の魔女』が現れ、国が滅ぼされる五年前である。
まるで報告書のように機械的に書かれている文章を目で追って、当時の記憶を一つ一つ拾っていく。
「そういえば……今年は日照りで収穫が落ちるんだったな……」
「フム……」と顎に手を添えて唸る。
『滅獄の魔女』の災厄はもちろん回避しなければならないが、それ以外にも回避することができる不幸があるかもしれない。
未来の知識があるということはそういうことである。悲劇を回避するだけではなく、使いようによっては利益だって得られる。
「だが、聖女様の恩恵を悪事に使うわけにはゆかん。とりあえず、日照りについては備えを……」
「失礼いたします。若様、起きていらっしゃいますか?」
部屋の扉がノックされて、一人の青年が入室してくる。
こちらの返答を待つことなく入ってきたのは、彼がそれだけ気心の知れた相手だからだ。
「朝食をお持ちいたしました。今朝は若様の好きなベリーサンドですよ」
「エリック……!」
執事服を着た青年だった。
マルスと同年代で、茶色の軟らかそうな髪を短く切り揃えている。
マルスの専属執事にして、乳兄弟でもあるエリックという名前の執事だった。
「エリック、お前……!」
生き返ったのか……再び、感極まって涙が溢れ出してくる。
しかし、すぐにアリアや仲間達からの忠告が甦ってきた。
(いかん……俺が未来から来たことを話してはいけないのだった……!)
「フンッ!」
涙の衝動を抑えるため、マルスが自分の顔面を思い切り殴りつけた。
一発では足りなかったので、二発三発と拳を叩き込む。
「ええっ!? ちょ……若様、何してるんですか!?」
「問題ない」
「問題ありますよ! 鼻血出てますって!」
「問題ない……大丈夫だ。これくらいすぐに止まる」
さらに一発殴ってから、大きく深呼吸をする。
未来から回帰したことを話せないことが思いのほかに厳しい。
マルスは『嘘をつくことができない』という制約も負っているため、下手な偽りで誤魔化すこともできなかった。
「だ、大丈夫なんですか……本当に?」
「ああ、問題ない」
「きゅ、急に自分を殴るのはすごく問題なような……」
「気にするな。それよりも、食事をテーブルに置いてくれ」
「は、はあ?」
エリックが困惑しながら、朝食をテーブルに並べていく。
「えっと、今朝はベリーサンドとナップルティー、それにスクランブルエッグを……」
「フンヌッ!」
「若様あああっ!?」
再び、マルスが自分を殴りつけた。
馴染みのコックが作った料理に感激して、またしても泣きそうになったのである。
「問題ない……!」
「ありますって! 本当にどうしたんですかっ!?」
激しく混乱している幼馴染の執事に、嘘がつけないマルスはひたすら「問題ない」とだけ繰り返したのであった。
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