『本の中の世界が現実に? 主婦、ちょっとだけ異世界じみた生活はじめました』

きっこ

第1話 『ゲームクリアと、白い本』



春の風が窓から入り込んできて、レースのカーテンをふわりと揺らした。


お昼過ぎの静かな時間――小学校に通う娘が帰ってくるまでの、小さな休息。


その時間を、結月(ゆづき)はソファに座って、いつものようにスマホを手にして過ごしていた。




画面に映るのは、自由度の高すぎる異世界生活ゲーム『Life in Another World』。


プレイヤーが生活のすべてを組み立てる、農場経営から服作り、酒造り、装飾品の制作、食堂運営まで――何でもできると一部で話題になったゲームだった。


かれこれもう3年。家事と育児の合間にコツコツと進めていた。




その日、いつものように牧場の手入れを終えて、最後のクエストを確認したときだった。




「……あれ?」




表示されたのは、今までに見たことのない、金色の枠で縁取られたウィンドウだった。




『すべてのコンテンツを完全達成しました。おめでとうございます!』




その一文のあと、画面がゆっくりと白に染まっていく。


驚いてスマホを見つめていると、淡い光の中に、さらにもう一文が浮かび上がった。




「あなたは、オンリーワンのエンディングに到達しました。


世界をすみずみまで楽しんでくれて、ありがとう。


――数日以内に、“ささやかな贈り物”をお届けします」




「……え? なにそれ、まさか……ほんとに?」




あまりに出来すぎた演出に、結月は思わず笑ってしまった。


まさか、そんな……本当に何か届くわけないよね。


でも――どこかで胸がざわめいていた。








三日後の午前、インターホンの音が鳴った。


出てみると、小さな段ボール箱を抱えた宅配の人が立っていた。




「結月さま宛に、お届け物です」




「……え? あ、はい、ありがとうございます……」




宛名に見覚えのある名前はない。差出人は「ライフゲーム運営部」の一文のみ。


開封してみると、中には、白い革装の厚い本が一冊だけ、丁寧に収められていた。




まるで新品のノートのように、真っ白な表紙。タイトルも、装飾も、なにもない。




「本……? ゲームの……? いや、そんな、まさかね……」




ページをそっとめくると、そこには不思議なイラストが描かれていた。


見開きごとに、まるで“扉”のように光る絵――それぞれのページには、こんな文字が添えられていた。




――《農場》


――《果樹園》


――《牧場》


――《料理制作場》


――《衣服製作場》


――《雑貨製作場》


――《酒類製作場》


――《装飾品製作場》




どのページも、緻密な背景画とともに、それぞれの“空間”が描かれている。


そして、「農場」のページに指を触れた瞬間だった。




*キィィン――*という耳鳴りのような音とともに、視界が一瞬、白く染まった。








気がつくと、そこは見渡す限りの畑だった。




空は青く澄みわたり、爽やかな風が吹いている。


足元はふかふかとした土。あたりにはまだ作物は何も植えられていないが、整備された畝が規則正しく並び、まさにこれから「育ててください」と言わんばかり。




「ここって……本の中? 夢じゃないよね……?」




目の前に、ぽん、と浮かぶウィンドウのような表示。




『農場空間へようこそ。育てたい作物を思い浮かべると、種が手のひらに現れます。』




「思い浮かべる……?」




恐る恐る、「トマト……」と心の中でつぶやくと――




手のひらに、ちいさな赤茶色の種がぽろりと現れた。




「うそ……ほんとに出た……!」




驚きつつも、土の感触をたしかめながら小さな穴を掘り、そこに種をひと粒、埋めてみる。




すると――




ぽんっ




音とともに、目の前の地面が盛り上がり、あっという間に芽が出て、茎が伸び、葉が開き――わずか十数秒で、ぷっくりと実の詰まったトマトが実った。




「ちょ、ちょっと!? 早すぎでしょ……!」




つやつやとしたトマトをおそるおそる手に取ると、ふたたびイメージする。


「リビングに戻りたい」と。




すると、ふわっと視界が切り替わり――結月は、ソファの上に戻っていた。


手の中には、さっきの真っ赤なトマト。




「これ……夢じゃない……」




ごくり、と唾をのみこみながら、トマトをひと口かじる。




ぱつん、と皮がはじけ、口いっぱいに広がる甘さとみずみずしさに、思わず目を見開いた。




「なにこれ……おいしすぎる……」




香りも、舌ざわりも、別格。


まるで、今までのトマトとはまったく違う“何か”。




この本が持つ力が――現実世界にも影響していることを、結月は確信した。




ゆっくりと本を開き直しながら、結月は小さく、ぽつりとつぶやいた。




「……すごいもの、もらっちゃったかも」




こうして、ゲームを愛し、生活を楽しんでいた一人の主婦が、


“ちょっとだけ魔法のある現実”へと足を踏み入れたのだった。



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