第1話 思い出という名の充実感への応援コメント
どんな病気なのか、検索してみてきました。とても大変でしたね。でもお母さんと一緒にいられた貴重な時間でもあったのですね。お母さんも傍にいてくれる人がいて、心強かったでしょうね。読んでいて、親子の温かさが伝ってきました。また林風さんはほんとに優しい方だなぁと感じました。
お母さんとのこと、忘れたくないなぁと思って書いて残しておくのもいいかもしれないですね。私、実は震災の当日から数日間のこと、下書きで書いて残してあります。公開しないと思うのですが、あの時の気持ち、残しておきたいなと思ったんです。なんだか残したいものってありますよね。
作者からの返信
ああ〜。ぼくも、公開しないほうが、良かったのかな〜。
母のこと。
でも、もう、応募して、落選しちゃったし。
なんか、大切に閉まっておきたいものってありますよね〜
これは、だれにも見せないほうがいい、っていうようなもの。
紙に書いたものは、ちゃんとぼくの字で残したままです。
でも、公開しちゃった〜
お母さんの大切な思い出なのに。
なにしてんだろうな〜。
下書きに戻しちゃおっかな〜
お母さん、怒ってるかも。
もしかしたら、この先、下書きに戻すかも知れません。
ほんと、ひとには、話さないほうがいいことだって、ありますよね。
いや〜、でも、本当にもっと、大切な想いは、文にせず、胸のなかに持ってるんですよ。
これ以上に、もっと、もっと、文にはできないほど、哀しいことは、ありましたから。
難しいですね。世の中に広めるっていうのも。
できるだけ、これからも、母の恥になるようなことは、しちゃいけないなあ。
ありかとうございました。
ハッとしました。
なにやってんだろ。ぼく。
もうちょっと、考えるようにして、生きます。
第1話 思い出という名の充実感への応援コメント
私もこう生きたいし、こう愛したい。
ポテトをきっかけになんでもはんぶんこした事。。
外出出来た時の感動。
なんてあたたかい人なんでしょうか。。
これからも毎日楽しいことや、ラッキーなことが、たくさん訪れますように。
変なコメントになってしまってごめんなさいm(__)m
作者からの返信
晴久さん、コメントありがとうございます🥰
愛しかたも、生きかたも、ひとそれぞれの人生によって、変わってきますよね!
母は、なかなか、行動に移さないタイプのひとでした。
いいえ。多かれ少なかれ、ひとって、一度、大病をすると、こうなるのかも知れませんね。
いまは、仕事も辞めて、自宅で介護生活をするなんて、だんだん古くなってきてます。
みんな、頼れるとこに頼ってくださいと、また、頼れる機関も、多くなってきてます。
介護というのは、ひとを「待つ」ことだと思っています。
急かしたりしても、怒ったりしても、そのひとのペースというものがあるから、どうしようもない。
そのひとのペースを「待つ」しかないんです。
自宅介護してたころは、ほんと、小さな喜びを膨らませていました。
すこしでも、そのひとの元気な姿が見れるだけで、すごく、うれしく感じるんですよね。
よく、介護している仲間と話すんですが、介護していると、ほんと
無欲になるよねー、って。
最初は、ぼくも、社会で働いてましたから、いざ、自宅にはいったとき、苦しい思いをしました。
歓びも、哀しみもない、なにもない毎日。これは、辛かったです。
そこではじめたのが、執筆だったんです。
なにか、自分にできることはないか、探しました。
大学、受け直して、勉強してみようか、とも考えました。
でも、小説の通信講座を見つけたんです。
どっぷり、はまっていきましてねー。
だから、母は、ぼくに執筆する能力を託してくれたのではないか、
などと、こじつけですが、考えてます。
きっと、しあわせの量って、ひとは決まっていて、辛かったら、辛かったなりに、何かのかたちで、返ってくるんでしょうね!
愛するひとの介護。ぼくは、当分、たとえ、愛するひとですら、まっぴらだと思っているのですが、ほんとうに、この先、愛するひとができたなら、また、介護も、惜しまなくなるのかなー。
わからないけど、こんなに苦労かけるんなら、ぼくは、介護なんてしていらないなー、とか、いろいろ、考えさせられます。
第1話 思い出という名の充実感への応援コメント
風さん、お母さんとの毎日がどれ程充実していたか、それが思い出として残されて宝物になった、とよく言っていますよね。
大事な時期を一緒に濃く過ごしたから、側でしっかり支えて深く過ごしたから、亡くなられた寂しさが今でも蘇ってしまうのでしょう。
いつも風さんのコメントにはお母さんを懐かしみ恋しがる、そんな様子が伝わってきます。
だからこの作品、書こう!と思われたのでしょう。
有吉佐和子作品は私は大好きで良く読みました。なので風さんが有吉佐和子賞に応募すると聞いて応援していましたよ。
結果はどうあれ、お母さんとの思い出を皆さんに聞いてもらうのは良いことじゃないでしょうかね。涙しながらの執筆だったのじゃありませんか?もしかして・・
編集済
第1話 思い出という名の充実感への応援コメント
追伸:
ご家族のことは私には分かりませんし、どう思われるかを勝手に想像することはできません。
でも、きっとご家族はあなたのことを愛しているはずです。もしかしたら、あなたが思うほど厳しくは考えていないかもしれません。だから、どうかご自身を責めすぎないでください。
文章というものは、記録でもあり、思い出でもあり、そして祈りでもある——私はそう思っています。
もしこの作品を書き上げることで、少しでもあなた自身の救いになるのなら、ご家族もきっと喜んでくれると思います。
それはきっと、ご家族だけでなく、私たち読者も同じ気持ちです。
過剰に自分を責めないでくださいね。
どんな時間も、どんな言葉も、きっとそれぞれに意味と価値があるのです。
ーーーーーー
もしかしたら、私はまだ若いからか、そういった経験があまりなくて……
祖父が亡くなったとき、私はちょうど家を離れていて、あまり実感が湧かなかったんです。
たしかに泣きはしましたが、何がどうなっていたのか、全貌はまったく知らないままで。
だから、今回この文章を読んで、すごく胸が苦しくなりました。
もしかして、うちの母も祖父に対して、こんなふうに寄り添っていたのかな……なんて思ったら、なんだかたまらなくなってしまって。
そして、きっといつかは、私にも同じような日が来るんだろうなって。
時間や年齢って、本当に抗えないものなんですね。
それを思うと、少し怖くなります。
自分が死ぬのはそれほど怖くないけど、大切な人がいなくなることのほうがずっと怖いです。
うまく慰めの言葉をかけられるかわかりませんが、
私の中で、死をめぐる悲しみに対して思うことはひとつだけあって——
いつかきっと、悲しみの記憶は少しずつ薄れていくと思います。
その代わりに、あなたとその人との間にあった、あたたかくて優しい記憶のほうが、だんだん心の中で大きくなっていくんだと思います。
その思い出たちは、あまりにも大切で、輝いていて、だからこそ、決して失われることはないんだと、私は信じています。
次にマクドナルドのポテトを食べたとき、
ふとお母様のことを思い出して、林風さんがその時笑っていられたらいいな、って思っています。
作者からの返信
追伸のお礼
やっぱり、下書きにすんのん、やめよっかな笑笑
あんまりねー。ぼく、頭が良くなくてねー。
考えも、きっと足りないんでしょうね!
あんまり、なんも、考えてないっす。
だから、過剰にも、自分を責めることなんてしてません。
栗パンさんに、家族の話なんてしても、わかりませんよね。
ぼくも、母があの世でどう思ってるか、なんて、想像にしか過ぎないんでしょうね。
まあ、もう、ちょっと様子見ます。
ほんとうに、この投稿のことば達がひとの役に立ってると思えば、下書きに戻さないです。
母も、それだったら、喜んでくれるだろうし。
いろいろ、ありがとうございました!
今晩、また、栗パンさんところへお邪魔します!
なにか、ヒントになることを拾えるかも、知れませんしね!
いつものように、晩ご飯、食べて、読書して、栗パンさんの投稿読んで!
のんびり過ごします。
ばかでしょ?ぼく。
そんな深くなんて、物事を考えられないんすよ!笑
また、よろしく、お願いいたします!!
こんなことを投稿するなんて、母に失礼かも知れない、と少し後悔。ランキングが40位だなんて、ぼくにとっては、はじめてだから、せめて、ランキング週間が終わるまで、下書きに戻すのよしとこうかなあ、なんて、邪なことを考えて、それでも、読んでくださるひとがいて、うれしいなあって思います。
振り返れば、そこに笑える場所を残しておきたい!いつも、そう思って生きています。
フライドポテト、また、買ってきて、母さんのこと思い出すのもいいかなー、なんて、栗パンさんのコメントを読んで、少し思いました!
前を向いて、生きなきゃだめだとは思ってるんですがねー。
母のことだけは、忘れちゃいけないと、よく、母に届かない手紙を書いたり、仏壇のおもちゃのろうそくをつけたりして、母がまだ、この世で見守ってくれてるんじゃないかなー、って想像したりしています。
今回の投稿は、少し、やり過ぎたかも。
有吉佐和子さんという、有名な作家さんがいて、エッセイを読んでるうちに、母と似てるなあ、と思い、そのかたの文学賞が欲しいという思いで、書いてみました。
でも、カクヨムに投稿というと、少し違っていたかなー。
賞には、落選したけど、やはり、自分の胸のなかに閉まっておくべきものじゃないかなー、なんて考えてると、昨日、寝るのが少し遅くなってしまいました。
趣味も大切だけど、書くことと、読んでもらうこと。
やはり、そこらへんのケジメは、どこかで線引きしておかないといけません。
ぼくには、兄と姉がいます。
カクヨムというところに、こんな内容のものを投稿した、ということは話してません。
そんなこと、いちいち報告することではないと思います。
けど、兄と姉が知ったら、二人から、「おまえ、おかん、かわいそうやと思わんのか!」と怒られそうです。
なので、ほとぼりが冷めたころ、この投稿を下書きに戻そうと考えています。
あ〜、母に失礼なことをしてしまった!
お母さん、きっと、いま、わたしに恥かかせんといて!なんて言って怒ってはるわ。
栗パンさん!
読んでくださって、ありがとうございました!