第十一話 家族の時間
――これは夢、だろうか。
今よりも若いお父さまとお母さま。その二人の腕の中で声をあげる私。私を見下ろす顔は二人だけではなく、私の知らない女性を合わせて三人だ。
私の声のほかに、もう一人の声が聞こえてくる。顔を向けると、そこには夫婦だろう人たちに抱かれる赤ちゃんと、その赤ちゃんをのぞき込む祖父母だろう人たちがいた。のぞき込む人たちは、祖父母にしては見た目が若いように見えるけれど、状況的に他人ではないだろう。
ということは、私を見下ろしている知らない女性は、私の祖母なのだろうか。それにしては、やはりというべきか、見た目が若い。そういえば、私は自分の祖父母の話を聞いたことがないし、一度も気にしたことがない。
私が目を凝らして祖母らしき女性を見ようとした瞬間、もう一人の赤ちゃんが泣き止んだ。いつの間にか私たちは手を伸ばせば届く距離にいて、お互いの家族が私たちの様子を優しい表情で見守っていた。
私が赤ちゃんに手を伸ばすと、その子も私に手を伸ばそうとする。空を思わせる澄んだ綺麗な青い瞳で、私を見つめながら。
「あら、もう仲良しなの?私たちみたいだね、――ちゃん」
「わたしたちが知り合ったのは――のときです。記憶、大丈夫ですか?」
「ちょっと、おばあちゃんたち?孫の前でケンカはやめてよ?」
「おばっ……まだ若いっての!」
「孫ができたんだから間違いじゃないでしょ。それにわたしたち――歳ですよ」
「歳の話はやめて……私に効く……」
指先を絡める私たちを見て、家族たちは盛り上がる。
お母さまの腕の中で揺らり揺られながらも指は離さず、やがて私の意識はプツンと途切れた。
***
不思議な夢を見た。私が赤ちゃんだった頃の記憶だろうか。
夢の内容をすべて覚えているわけではないけれど、少なくとも私は赤ちゃんの頃の記憶はないから、覚えていたところで実際にあった話かは分からない。
ただ一つ言えるのは、今の私はすごく気分がよいということだ。
ベッドから降りて、カーテンを開ける。いつもなら見たくもない巨大な結晶も、今の私には綺麗に輝いて見える。私にとって破壊の象徴であることに変わりはないけれど、別の印象を持てたのは昨日の外出のおかげなのだろう。
――コンコンコン。
昨日と同じ時間に、同じようなノックの音が響く。
「おはようございます、テイカレド様」
「どうぞ」
「失礼いたします」
今日も今日とてクールにまとめ上げているファタイが私の部屋に入る。私の顔を見るなり、彼女は安心したように眉を開いた。
「今日はしっかりと眠れたようですね」
「不思議な夢を見たの。たぶん、いい夢。だからかな」
「安心しました」
私は顔を洗って、昨日のようにドレッサーの前に腰掛ける。
今日はお父さまと次の仕事の話をつけているわけでも、外出の予定が決まっているわけでもない。それでもファタイは私の心中を察してくれたのか、昨日のような余所行きの服を用意してくれた。それが嬉しくて、私の頬は少しだけ緩んだ。
「テイ様、今日のご予定は?」
「昨日みたいに、お父さまの仕事を手伝えないかなって思ってる。急な話だから難しいかもしれないけど、その時は――昨日は寄らなかった場所を歩いてみようかな」
「それならちょうどよかった。カレドグリム様がテイ様にお話があるとおっしゃっていました。仕事ではないようですが、テイ様にしか任せられないお願いがあるのだとか」
「私にしか任せられないお願い……なんだろう」
「おつかいのようなもの、とのことですよ。具体的な内容は、私も聞かされておりませんが」
正直なところ、今でも目的もなく町中に出ることは精神的なハードルが高いと感じている。仕事ではないにしても、そのお願いとやらで外に出る口実が得られるのなら、それは私にとってありがたい話だ。
「朝食はいかがいたしますか?今からならカレドグリム様もいらっしゃいますから、お話も聞けるかと」
「お父さまと……」
前にお父さまと一緒に食事をしたのはいつだったのか、もう記憶にない。私がお父さまを避けていたのは食事のときも例外ではなかったから、数年は一緒に食べていないと思う。
今になって食事の席に私が来たら、お父さまはどう思うのだろう。今までなぜ来なかったと怒るかもしれないし、今更来るのかと呆れるかもしれないし、やっと来てくれたと喜ぶかもしれない。
「……うん、行く。朝ごはん、食べておかなくちゃ」
お父さまの反応が怖くはあるけれど、これもすべて自分が蒔いた種。失った時間を取り戻すためには、私からお父さまとの時間を作りに行かなければいけない。待っているだけでは、時間は過ぎていくだけなのだから。
***
私が食堂の扉を開けると、今まさに朝食を用意し終えたところのようだった。
座っているのは、お父さまただ一人。いつもお母さまが座っていた場所に、朝食の用意はされていない。当たり前の光景ではあるのだけれど、あらためて見ると――辛い。
「テイ……」
用意された食事には手を付けず、お父さまは目を丸くして私を見る。数年も朝食に来なかった私が、今になって来るとは思わなかったからだろう。
「お父さま……私も、ご一緒してよろしいですか?」
「もちろん……もちろんだとも!」
お父さまは、給仕人に「すまない、テイの分も用意してやってくれ」と声をかける。私はいつも勝手に食べていたから、用意をしてもらうのは気が引けてしまう。
――いや、よく考えたら、私が食事の時間をずらしていたせいで、使用人のみんなの仕事は増えていたのかもしれない。
食事を用意するのはもちろん、片付けるのも彼らの仕事だ。食べる時間がまちまちであれば片付ける時間もまちまちになるわけで、「面倒だから一緒に食べてくれ」なんて立場上私に言えるわけもない。
私は、自分が思っている以上に、たくさんの人に迷惑をかけていたのだ。
「あの……夕食も……よろしいですか?」
「あぁ……あぁ、もちろんだ!」
目頭を押さえながら天井を見上げたお父さまは、しばらく動きを止める。私のもとに朝食が用意される頃には、いつものお父さまへ戻っていた。
「……それでは、食べるか」
「……はい」
「大地の恵みに感謝を」
「……大地の恵みに感謝を」
「いただきます」
「いただきます」
昔のように復唱して、昔のように真っ先にパンを手に取る。
昔のような心地よさのなかで食べるパンの味は、少しだけしょっぱかった。
「先は取り乱してすまなかったな」
もくもくと進む朝食の中、お父さまはおもむろに口を開いた。
「こちらこそ……急で申し訳ありませんでした」
「なに、気にするな。ありがとう、テイ」
「お礼を言われるようなことは……」
親子とは思えない探り探りの雑談。何を話すべきかも、どう反応すればよいかも分からず、ただたどしい受け答えを続ける。
「そういえば、ギルドに入るのは初めてだっただろう。どうだったか?」
「なんというか……賑やかでした。フロッツさんもレープさんも、よくしてくれて」
「フロッツ支部長か……彼は優秀だが、集中すると周りが見えなくなるタイプなのだ。その点、面倒見がよく要領のいいレープ君とは相性がよい」
「そう、なんですね……そういえば、喫茶店ズースのクッキーをいただきました」
「そうか。久しぶりだっただろう、おいしかったか?」
「すごく」
「レープ君には感謝をしなくてはな」
「え?フロッツさんが私のために用意したって……」
「あやつが来客の準備をするわけないだろう。物の選定はともかく、茶菓子を用意するよう話をしたのはレープ君だ。間違いない」
代わり映えしない毎日を送っていた私が出せる話題は少なく、話せるのはせいぜい昨日の出来事ぐらいなものだ。その代わり、お父さまがたくさん話題をあげてくれた。
町にできたおいしいお店だとか、苦いコーヒーを飲めるようになっただとか、最近の魔道具の進歩が素晴らしいだとか――
お父さまが楽しそうに次々と話すものだから、次第に私も気楽に言葉を返せるようになっていった。
最初は怖いと感じていたお父さまとの朝食も、始まってしまえば楽しい時間に変わっていて、あっという間に過ぎ去っていく。
――本当はこういう時間を過ごしたかった。私も、きっとお父さまも。
気がつけば楽しい朝食の時間は終わっていた。
食事を終える挨拶をしたあと退席しようとするお父さまは、何かを思い出したか急に足を止める。
「そうだ、テイよ。ファタイから私の話は聞いているか?」
「あ、はい。私にお願いがある……とだけ」
「あぁ。お前にしか任せられないお願いがあるのだ」
お父さまはコホンと咳ばらいをすると、ほがらかな表情を真面目な表情へと一変させる。
「“ルベル工房”という、魔道具屋に行ってもらいたい。そこで“あるもの”をお前に受け取ってほしいのだ」
「“あるもの”……ですか?」
「あぁ。お前も見ればわかるものだ。それをお前に受け取ってほしい。できれば、この先ずっと、何があっても、お前の手元に置いてもらいたいものでな」
「そ、そんなものを……」
ルベル工房――聞いたことがない魔道具屋だ。
そんな魔道具屋に、お父さまが念を押すほどのものがあるらしい。
残念ながら、まったく見当がつかない。
「“ルベル工房”……ですね」
「あぁ。場所はファタイが知っているから、案内してもらうといい」
「わかりました。このあと行ってまいります」
ファタイは私を食堂へ送り出してから、どこかへ行ってしまった。でも彼女のことだから、今頃見計らったように食堂の前で私を待っているはずだ。
それにしても、ルベル工房という魔道具屋は聞いたことがないけれど、“ルベル”という名前はどこかで聞いたような気もする。いつ、どこで聞いたのだろうか。最近似たような響きを聞いたような気も――
「……テイよ」
食堂を出る直前、お父さまは再び私を呼ぶ。
「テイ。テイカレド」
「は、はい……」
「お前は、私とクラリスタが愛している、大切な、大切な娘だ。それを忘れてくれるなよ」
「え、あ、あの……」
「気を付けるのだぞ」
「嬉しいです」、「ありがとうございます」、そう言いたかったけれど、言葉をまとめる頃には、もうお父さまはそこにいなかった。
「よかったですね、テイ様」
「……やっぱりいた」
嬉しさや不甲斐なさを感じながら食堂を出ると、案の定私の従者がそこに立っていた。
彼女は昨日のように外出用の荷物をまとめていて、いつでも準備ができていると身なりで伝えている。
「ルベル工房に行きたいんだけど、知ってる?」
「もちろん。さっそく向かわれますか?」
「うん、行こう」
昨日と違って仕事をするわけではないというのは気楽ではあるけれど、相変わらず外へ出ることが怖いと感じる気持ちは拭えない。
それでも前に足が進むのは、みんなが、お父さまが、背中を押してくれるからなのだろう。
「……私の手元に置いてほしいもの、か」
お父さまがそこまで言うほどのものはなんなのか。
期待と不安を膨らませながら、私は二日目のカレンへと踏み出した。
零落令嬢と魔術師 numashi @numashion
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