第28話 証拠はどこだ?

 ……やばい!


 私は身体をぶるりと震わせた。何がやばいって、私は昨日からずっとトイレに行っていないのよ。

 いくら今は猫の姿だからって、その辺ですませるわけには行かないでしょ。第一、部屋の中(ベッドの下だけれど)で粗相するなんて、絶対にあり得ない!

 私は震えながらサリーア様が部屋から出て行くのを今か今かと待ち、彼女達が部屋から出て行き、扉が閉まるのを確認して、即行ベッドの下から這い出した。


 トイレ、トイレ、トイレ!


 トイレに駆け込んで…………はぁ。間に合った。カラカラと紙を手に巻き……?視界に映った肌色の手を見つめる。トイレのドアを開けたのもこの手だった。指を折りながら、自分の手をジッと見る。肌色の手、指が離れていて、一本一本折ることができる人間の手。


「……人化してる?」


 未成熟だった私は、この国に来た時は自分の意思で変身できなかった。ラインハルト王子から逃げたいという意識から獣化できるようになり、今度は……。まあ、人間究極な状況になれば、どうにかなるってことね!


 トイレの中で、獣化人化を繰り返してみる。獣人としては当たり前のことなんだけれど、頭の中のズレていた回路が繋がったかのように、スムーズに変身することができた。それに伴い、獣化した私の姿はすっかり獣人国の大人の猫(人国の中型犬くらいのサイズ)の大きさになっていることには気が付かなかった。


 人間の姿になった私は、裸のままトイレから顔だけ出す。せっかく人化できたし、猫の手では開けられなかった扉や引き出しを開けてみるべきよね。

 クローゼットや棚の中、机の引き出しなどを慎重に探す。机の引き出しを引っ張り出してみるが、中には大して物が入っていなかった。引き出しをしまって、何か違和感を感じる。もう一度出して、またしまうを繰り返す。なんだろう?何が気にかかるのか?


 何度も引き出しを開け閉めし、ハッとする。この机の大きさにしては、引き出しが短くない?


 引き出しをガタガタ揺らして外して中を覗いて見ると、奥に取っ手が見えた。それを引っ張るとさらに引き出しが出てきて、中を見ると書類や契約書がごっそり入っていた。その中には、毒を売買したことを示すものだけでなく、高位貴族達の収賄贈賄脱税などの証拠もあった。


「あらら……。お淑やかな顔して、ずいぶん悪どいな」


 将来の王妃候補(実際は第一夫人か第二夫人になるんだろうけど)は、先取りして地盤固めに熱心らしい。王太子の地位を確固たるものにするため、ラインハルト王子の婚約者候補を殺そう(脅しかもしれないけど)とするのはやり過ぎだし、私まで狙うのに至っては、本当に意味が分からない。


 毒のやり取りに関する書類だけを抜き取ると、後は元通りにしておいた。部屋に私がいた痕跡は残さず、窓を開けてベランダに出る。獣化して書類を口にくわえると、ベランダの縁にふわりと跳び乗る。昨晩はギリギリ跳び移れた距離だけれど、今はなんだか楽勝で跳び移れる気がして、私は助走もつけずにジャンプした。

 着地したのは、アンネロッテ様の部屋のベランダのど真ん中だった。


「スッゴ!なんか知らないけど、身体が軽いわ」


 深く物を考えないのは獣化して思考が単純化しているからか、元からの直情径行な性格のせいか……。明らかに身体能力が上がっていて、ついでに視野も高くなっていることを不思議に思わず、私はベランダを歩いて窓の前まで来た。

 子猫が戻って来るまで窓を開けておいてもらうように言っておいたおかげで、アンネロッテ様の部屋の窓は少し開いていた。部屋に入ると、アンネロッテ様は部屋におらず、匂いを嗅いだが近くにもいないようだった。

 机の上には、私がお願いしておいた紙袋が置いてあり、その横には鶏の羽根が一つ。

 お願いしたのは私だけど、よくこんな意味不明なことを引き受けてくれたなって思うよ。猫を釣り上げるのもそうだけど、紙袋と羽根を渡されて、部屋の目立つところに置いておいて欲しいとか、普通ならなんでそんなことをするのかって聞くよね?

 しかもよ、本当は夜中に戻るつもりだったから、「夜中に物音で目覚めても、絶対に目を開けないでください」ってお願いまでしてたのよ。

 何それ怖っ……って、絶対に思ったでしょうに。


 私は人化すると鶏の羽根を手に取った。


「もう、これもいらないな」


 なんだか感慨深いものがある。大人の階段を一つ登ったというか、これで私も一人前の獣人になったわけよ。私のことを半人前扱いしていた獣人の奴ら、スムーズに変身できる今の私を見たら、絶対に腰を抜かすわ!


 私は素っ裸のまま仁王立ちになり、腰に手を当てて得意気にフンッと鼻を鳴らした。が、すぐにクシュンとくしゃみが出て、私は紙袋の中をあさって下着とお仕着せを出した。そう、帰りは堂々と侍女に扮して(扮装じゃなくて普段使用か)帰るつもりだったんだよね。洋服を着ると、それが入っていた紙袋にサリーア様の部屋から持ってきた証拠書類を入れる。後は普通に仕事をしているふりをして、部屋を出ればいいだけだ。

 部屋の外の廊下には誰もいないことは、前よりも研ぎ澄まされた聴覚でわかっていたから、堂々と部屋を出て廊下を歩く。貴賓客室のに繋がる大扉を警備する騎士に一礼をして扉を開けてもらおうとした時、扉が開いて真正面から王太子とサリーア様が入って来た。

 私は慌てて端に寄って、大柄な騎士に隠れるようにして頭を下げる。

 王太子は私を一瞥したが、すぐに前を向いて貴賓客室エリアに入って来た。その後ろからサリーア様が付き従い、私の前で歩みを止めた。


「あなた……」


 私は深々と下げた頭を更に下げる。そんな私にサリーア様はツカツカと近寄って来た。


「あなた、エプロンのリボンの長さがバラバラだわ。リボンくらいきちんと結びなさい、見苦しい」

「す、すみません!」


 私は頭を下げたまま紙袋を脇に抱えて、後ろ手でリボンの長さを調整する。


「あなた……」

「はい!」


 サリーア様が私の顔を覗き込んできた。


「何か見覚えがあるような……」

「……」


 サリーア様から顔を傾けて、少しでも顔が見えないようにする。しかし、あまりにわざとらしく顔を隠して怪しまれてもまずいと思い、目を細くして、鼻を膨らませて顔のイメージを変えて顔を上げた。必殺変顔だ!


「気のせいね。早く仕事に戻りなさい」

「はい、失礼します」


 あまりに酷い私の顔に、サリーア様はシッシと手を横に振って私を追い払う仕草を見せた。呼び止めておいて失礼ねとは思うが、変に気にされても困るから、すぐさま背を向けてその場を後にした。

 後ろ姿にサリーア様の視線を感じながら。

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