第12話 グレイ王子と婚約者候補と私の良好な関係
「それは好都合だ」
気負いのない口調に、私はグレイ王子にパッと視線を向けた。王子は怒っている様子もなく、普段通りに……厳しい表情をしていた。いやね、これがグレイ王子の通常仕様なのよ。二人の令嬢はグレイ王子の表情に固まってしまっているけど、子猫のステラといる時以外は気難しそうな表情が張り付いてしまっているの。でも、だからって常に不愉快なわけじゃないっていうのは、子猫のステラとしてグレイ王子と接しているうちにわかった。もうね、この表情は習慣以上の何ものでもないのよ。
なんて、二人の令嬢に説明してあげたいけれど、侍女エステルとしてグレイ王子に会ったのはほぼ初めてだし、侍女の私がしゃしゃり出るのも変な話だしで、とりあえず黙って控えておく。
「俺もまだ婚約には興味がない。というか、高位貴族と紐付く意思はない。何かと面倒だからな。二人を選んだのは、数いた令嬢達の中で珍しく、なるべく目立たないように兄達を避けているのを目撃したからだ」
「では、第三王子殿下は私達と婚約するつもりは……」
「ないな。一年間拘束されることを厭うならば、辞退されても問題ない。もし残ってもらえるのなら、夜会などで一緒に出席しなきゃならない時以外は、好きに過ごしてもらってかまわない。俺との交流を無理に図る必要もない」
王子は婚約するつもりはない!つまり、しばらくは私の至福の時間は保たれるのね。……でも、本当にそれでいいのかな?
「一年間、よろしくお願いいたします」
「私も、よろしくお願いいたします」
アンネロッテ様もターニア様も、固い表情を隠すようにお辞儀をする。
「ああ。要望などがあれば、侍女のエステルに伝えてくれ。できる限り叶えよう」
グレイ王子が踵を返して立ち去ると、令嬢二人は姿勢を戻して安心したようにホッと息を吐いた。
「あの!」
侍女からお声を掛けるのは間違っているのかもしれないが、私はどうしても二人に伝えたかった。
「グレイ王子の世間での評判は悪いですけど、実際はお優しい方なんです。勤勉だし、努力家だし、人柄だっていいし。正直、王子様達の中で一番優れた方です。ただ、立場上、自分を偽らないといけないだけで」
どんなにグレイ王子が良い人間か伝えたくても、野良猫に極上ステーキをくれる良い人であるとか、ブラッシングの腕前が最高に良いとか、猫じゃらしの動かし方は天下一品だとか、撫で方がツボに入りまくり……なんて言えるわけもない。
「まあ、あなた!グレイ第三王子殿下のことが好きなのね」
アンネロッテ様が、キラキラと瞳を輝かせて私の手をつかみ、「ステキ!」とつぶやく。
「え?好き?いやいやいや」
「いいのよ!身分違いの恋。萌えるわぁ。恋って、女性を美しくさせるスパイスになるもの。じゃんじゃんするべきよ」
「そうね。小説でも王子様と平民の恋は王道のシンデレラストーリーだわ。私は恋愛をするつもはないけれど、そういう気持ちを理解できないわけでもないから応援するわ」
「ええ!?」
ターニア様にまで真面目くさった顔で言われ、私はプチパニックである。
「ねえ、ちょっと私の部屋でお喋りしましょうよ。ターニア様もご一緒にいかが?美味しいハーブティーがありますから」
「私は……まぁ今日くらいはお邪魔しようかしら」
アンネロッテ様に腕を組まれ、南宮にある客用寝室へ向かう。
「お二人共に、王宮にお泊りだったんですね」
偶然にも、アンネロッテ様とターニア様の部屋は隣同士だった。
アンネロッテ様は部屋に入ると、自分でお茶を淹れるからと、侍女の私をソファーに座らせ、いそいそと部屋についているキッチンに立った。
「あの、私がやりますよ。一応侍女ですし」
ソファーにただ座っているのは居心地が悪く、立ち上がってアンネロッテ様の方へ行く。
「これはね、私が淹れた方が絶対に美味しいから私がやるわ。じゃあ、エステルはそこのクッキーの缶を開けて、お皿にのせておいてくれるかしら」
「はい、もちろん」
アンネロッテは、ガラス製のポットとカップにお湯を注いで温めてから、ポットに軽く解したハーブを数種類ブレンドして入れ、お湯を注いでしばらく待った。ハーブの葉が完全に開き数分待った後、優雅な所作でカップにハーブティーを注いだ。
「綺麗な色ですね。それに、いい香り」
「そうでしょ。この蒸らし時間がポイントなの。早過ぎても遅過ぎても駄目なのよね」
私は、ハーブティーの絶妙な蒸らし加減を鼻で覚える。うん、できる気がする。
「飲んでみて。でも、熱いから気をつけて」
「熱っ!」
お約束に舌を火傷した。でも美味しいのはわかる。
「フフフ、だから言ったのに」
お水を差し出され、水を含んで火傷した舌を冷やす。
「エステルさんは今回の見習い侍女募集で侍女になられたのよね?年齢も私と同じくらいに見えるもの」
「はひ。伯父に推薦状を書いてもらって来ました」
水をごっくんと飲み込み話す。
「伯父様が推薦状が書けるということは、エステルさんは貴族なのかしら」
「違います。父がリッチモンドを名乗っているから、私もリッチモンド姓を名乗っていますけど、爵位を継いでいるのは伯父ですから、私は平民……ですよね?」
獣人には国王はいても貴族がいないから、いまいち貴族だから偉いとか、平民だから身分が低いとかいう意識はない。ただ、種族や強さによる上下関係はあり、それでいけば子猫から成長できない私は下の下だ。だからってへりくだったりはしないけどね。
「その辺りは曖昧ね。準貴族ってところかしら」
「そうなんですか?」
ターニア様が貴族名鑑を取り出した。(どこに持っていたの?)
「リッチモンドと言えば子爵家ですね。現在のリッチモンド子爵はワトキンス様。弟はエドモント様。ほら、ここまでは名鑑に載っているでしょう。貴族の兄弟姉妹までは名鑑に名前が載るから準貴族って呼ばれるんです」
「じゃあ、乗っていない私は平民で良いのでは?」
「エドモント様がご存命な限り、そのご家族も準貴族扱いになるります」
「へえ……、ターニア様は物知りですね」
「わからないことがあるのが嫌な性格なんです。それと活字中毒で、とにかくいつも活字を追っていたくてこれを持ち歩いているんです」
貴族名鑑を持ち歩いている?活字を見る為だけに?
「ああ、貴族名鑑は半年毎に新しくなりますものね」
「そうなんです!」
アンネロッテ様も、なぜターニア様が貴族名鑑を持ち歩く理由を理解できちゃうんでしょうか?私は、そんな分厚い本を、どこに持っていたのかが気になるところだった。聞くと、活字中毒症状が出た時にすぐに文字が見れるように、ドレスのスカートの裏に、分厚い本を収納できるポケットをつけているそうだ。そこに辞典や名鑑などを入れて重さも感じさせずに、クールな表情でパーティーに参加していたのかと思うと、何気にお茶目で面白い人のように思えた。
立場を取っ払った女子会は、思いの外楽しく過ぎた。準貴族とはいえ、礼儀作法もろくに習っていない私を、二人は馬鹿にすることなくフォローしてくれ、お茶の飲み方、お菓子の食べ方など、然りげ無く手本を見せてくれたりした。
私の話も興味深く聞いてくれ、獣人国にいたこと伏せて、両親と暮らしていた時のことを話せば、特にターニア様は前のめりで聞いてきた。貴族令嬢らしからぬ、野営の仕方や獣のさばき方、薬草の知識なんかだったが、彼女には新鮮な知識だったようだ。他国の話として獣人の衣服(獣人は女子でもズボンをはく)について話せば、アンネロッテ様はかなり詳しく聞きたがり、「新しいトレンドはズボンかしら」などとつぶやいていた。
冷ややかな見た目のターニア様は一見厳しそうに見えて、実は優しくて思いやりがある方で、知識に貪欲で常に学ぼうとする姿勢は王子妃に向いているのかもしれない。また、アンネロッテ様も、常に前向きで明るくて、流行の先駆けになるのは、まさに王族になるのに相応しい人材に思えた。
そんな素敵な二人のことはすぐに大好きになったけれど、いつグレイ王子が二人の魅力に目を向けてしまうかと、理由のわからないモヤモヤが胸に溜まる。これは飼い猫として主人に向ける独占欲なのか、または……。
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