第8話 黒髪の女を探せ

 まさか、グレイ王子の前で人化していたなんて知らない私は、忙しい日々を過ごしていた。あまりに忙し過ぎて、昼間にステーキを食べに行くことができなくなるくらい多忙だった。

 王子達の見合い相手は続々と登城し、パーティーやらお茶会やらがどこかしらの広間や庭園で行われており、令嬢達の猛アピールをかい潜りながら、王子達も分単位のスケジュールでそれに出席していた。


 他国の王女達に人気なのはアレキサンダー王太子だが、自国の貴族令嬢に大人気なのは、ラインハルト第一王子だった。グレイ王子はというと、人気路線に乗りきれない令嬢達がチラホラと話しかけに来ていたようだが、グレイ王子のぶっきらぼうな態度からか、あまり話も続かなかった。それを給仕をしながら見ていた私は、「グレイ王子の良さがわからないとか、ご令嬢達の目は腐ってんじゃないの!?」と怒ったり、逆に色仕掛けを仕掛けてようとする令嬢達を見ては、「ボディタッチはお控えください!」と心の中で巨大メガホンで叫んだ。


 五百人くらいいる令嬢達は、まずは名前と顔を覚えてもらおうと、自分の得意な楽器を披露したり、歌ったり踊ったりと、たった三人の王子の興味を引こうと必死だ。中には、すでに正妃の座は諦めて、夫人……最悪愛人でも良いと、色仕掛けを仕掛けてくる令嬢もいて、王子の護衛達は一日中気が抜けない。特に第一王子の護衛は、毎晩数人の女性を王子のベッドから引きずり出しているらしい。これは、女性だけの問題じゃなく、王子側も誘っているような態度(実際にやる気満々にしか見えない)をとるから、勘違いした女性達が王子の子胤欲しさに群がってくるのだ。


「おい、おまえ」


 本会場では、着飾った令嬢達が王子達に猛アピールしているんだろうなと思いつつ、私は別室の談話室に併設されたビュッフェのデザートを綺麗に並べ終わり、その美しい色とりどりのデザートをうっとりと眺めていた。毎回半分以上食べ残るそれに、見つからなければ一つくらい食べても問題ないのでは?と、手を伸ばしそうになった時、いきなり後ろから声をかけられて手が止まった。


「いえ、別に食べようなんてしてませんよ!形が崩れたのがあったから(私の口の中に)廃棄しようと思っただけですから」

「何わけわからないことを言っている。こっちを向け」


 そろそろと振り返ると、アレキサンダー王太子が、美女を二人エスコートし、後ろにも令嬢達を引き連れて立っていた。


 げっ!変態王太子。


「君達、僕はこの侍女に話があるから、今は解散してくれ」

「では、また晩餐会で」


 令嬢……いや、この気品はどこぞやの王女様ね。アレキサンダー王太子の両側を固めていた二人が、流れるように優雅にお辞儀をして離れて行くと、その二人を差し置いて残れないと思ったのか、他の令嬢達も離れてパーティー会場へ戻って行った。


「あの……何か粗相がありましたでしょうか」


 思い当たることが多過ぎて、逆にどれのことだかわからない。ただ、そこまで大きな失敗はしていないはずだ。それに、見習い侍女が完璧にできないことくらいわかりきっているんだから、小さい失敗くらいは目を瞑って欲しい。


「おまえ……、あの子猫だろう」

「は?」


 アレキサンダー王太子が、私の肩をつかんで内緒話をするように顔を近付けて言ってきた。その内容にドキッとする。あのパンツ事件を起こした時、一瞬だけど確かに王太子とは目が合った。合ったけど、植え込みに隠れて獣化は見られてないはずだし、あんな一瞬で私だって認識できるとも思えない。


「なんのことですか?子猫って……もしかして私のこと口説いてます?可愛い子猫ちゃんって」


 そんなこと言って口説かれたら、全身に鳥肌が立つと思うけどね。軽い口調で笑いながら言ったが、アレキサンダー王太子の表情は不愉快そうに歪むだけだった。


「私がそんなくだらない口説き文句を言うと思うのか。ラインハルトでもあるまいし」

「口説かれる理由もないので思わないです。では」


 横をすり抜けて逃げ出そうとしたが、肩をつかまれていたのを忘れていた。思っていたよりも強い力で押さえられ、私はデザートを乗せていたテーブルに腰をぶつけてしまう。


「その黒髪が紛れもない証拠だ」


 侍女帽から出ている髪の毛をつままれ、目の前に見せられる。王太子が触書を出してから、なるべく髪の毛は侍女帽にしまうようにしていたが、あまりに忙しく動き回っていた為、髪の毛が出てしまっているのに気が付かなかった。


「なんのですか」

「おまえが獣人だってことだ。黒髪の女が消え、その女が消えた場所から黒猫が飛び出して来たんだ。つまり、黒髪女と黒猫は同一人物だ。そして、おまえは黒髪じゃないか」

「猫は人物じゃないですけどね。それに、獣人ってあの獣人ですよね?私、全身毛むくじゃらに見えます?脱毛もしたことないですけど」


 アレキサンダー王太子は私の顔をまじまじと見る。見ても、剃り残しなんかないですから。第一、毛むくじゃらな獣人が体毛を剃ったら、全身青々しちゃうだろうし。


「そんな……しかし……」

「それに、黒髪の侍女は私だけじゃないですよ」

「え?そうなのか」

「……リサにハイジ、スザンナもそうです」


 少し考えてから、口からでまかせを言ってみる。王宮には侍女が沢山いるし、ありきたりな名前を言っておけば、一人は黒髪のリサやハイジ、スザンナがいるかもしれないしね。そのうちの一人が全身毛むくじゃらな確率はほぼないだろうけど。


「……そうか、わかった。で、おまえの名前は?」

「ニーナです」


 ニーナごめん!


 咄嗟に出て来た名前がニーナしか思いつかなかった。


「ニーナ……家名は?」

「カラストアです」

「男爵家だな」


 え?何百とある貴族の家名を把握しているの?怖っ!


「あの……そろそろ仕事に戻りたいのですが」

「駄目だ。確かに黒髪の女はおまえだけじゃないのかもしれないが、おまえが黒髪の女ではないという証明にはならないからな」

「そんなこと言われても……」


 相手が王太子だからか、誰も仲裁に入ってくれない中、「離して」「駄目だ」を繰り返す。あまりにしつこかったから、突き飛ばして逃げちゃおうかと短慮を起こしそうになった時、侍従が王太子を呼びに来た。


「王太子殿下、王妃殿下がお呼びでございます」

「母上が?……おまえ、この者を捕まえておけ」


 腕をつかんで引っ張られ、侍従に押しつけられた。侍従は険しい表情になり、私の腕をつかまえて捻り上げた。


「この者が、何か粗相をいたしましたでしょうか?」

「いや、そうではないんだが、ちょっと逃げられたくなくて……」


 侍従が驚いたように、アレキサンダー王太子と私を交互に見る。その意外だと言わんばかりの視線に、正直何を思ったか想像できてイラッとする。身分も高く美しい姫を選びたい放題の王太子が、何を好んでちんちくりんの侍女なんかに手を出すんだと言いたいのだろう。


「……わかりました。できうる限り見張っておきます」

「なんなら、私の私室に閉じ込めておけ」

「承知致しました」


 アレキサンダー王太子は、ブツブツ文句を言いながらも、王妃様に会いに会場へ戻って行く。


「あの、いい加減腕が痛いんですけど」


 元から身体が柔らかいから、実はそこまで痛くはない。


「あ、ごめん」


 侍従は、慌てて捻り上げた手を下ろしてくれたが、つかんだ手は離してくれなかった。


「私、仕事がまだ途中なんですが……」

「おまえ、王太子に見初められたんだぞ。仕事なんかどうでもいいだろ」

「それは良くないでしょ。人手だって足りてないのに」

「それはまぁ確かに……」


 人手が足りていないのは、侍女も侍従も一緒だったらしく、侍女の仕事が忙しいことは理解しているようだ。しかし、だからと言って王太子の命令には逆らえないしで、侍従はどうしたら良いのかとオロオロする。


「おい」


 この声は……。振り向くと想像通りの人がいた。グレイ王子だ。

 侍従は私の手をつかんだまま頭を下げる。私も一応頭を下げた。毎晩膝の上でブラッシングしてもらっているし、なんなら一緒のベッドで寝ていたりするけど、この姿の私は初めましてだもんね。


 グレイ王子は、私の顔を見てからちらりと侍従につかまれている手に視線を向ける。


「仕事中に手を繋ぐとか、どういうつもりだ」

「あ、これは違うんです!」


 侍従はパッと私から手を離し、両手を万歳して無実をアピールする。手が離れた隙に、私は一目散に逃げ出した。


「あっ!待て!」

「おい、おまえ!どういうつもりだと聞いているだろう」

「ああ、違うんです。王子殿下、彼女は王太子殿下の……」


 グレイ王子と侍従のやり取りが、背中の遥か彼方へと聞こえなくなり、それでも走り続けた私は、南宮の階段下の小部屋に駆け込んだ。

 猫の習性なのか、気分を落ち着けるには、狭くて暗いところがベストなのよ。








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