第2話 私はステラ

「兄様、中に入ってもよい?子猫と遊んでもよい?」


 部屋にひょっこり顔を出したのは、マスクに手袋までしたジーク王子だった。


「いいよ。お風呂に入れて、ブラッシングもしっかりしたから。でも、くしゃみが出始めたらおしまいだ」

「わかった!」


 どうやら、私を念入りに洗ったのは、動物アレルギーのジーク王子の為だったみたいね。抜け毛のお手入れは獣人の嗜みだから、そんなにブラッシングしなくても、大して抜けなかったでしょうに。気持ち良かったから、じゃんじゃんやってくれてもかまわないんだけどね。


 部屋に小走りで入ってきたジーク王子は、私の横にダイブしてきた。ベットが大きく揺れ、私はその勢いで何回もバウンドしてしまう。バウンドに合わせて身体を回転させた私は、シュタッとベットの上に立ち、ジーク王子に教育的指導の猫パンチを繰り出す。もちろん爪はしまってだし、アレルギーがあるのならば、洋服の上をペシッとする。


「シャーッ!(人が気持ち良く寝ているんだから、もう少し考えて行動しなさいよ)」

「うわあ、小さい手。肉球がぷにぷにだ」


 猫パンチした手をつかまれて、肉球をぐりぐりされる。


「ニャニャニャ(人の話を聞きなさい。あんた、いくら手袋をしているからって、アレルギー持ちなら気軽に触るんじゃないわよ)」

「こいつ、ずっとニャーニャー喋ってる。面白いな、会話しているみたいだ」

「ニャニャ、ニャニャニャ(こいつじゃありません。私にはエステルって素敵な名前があるんだから)」

「兄様、こいつに名前をつけてもよい?」

「別にかまわないけど、子猫のくせに風呂慣れしていたし、誰かの飼い猫かもしれないぞ」

「ニャニャ(変な名前をつけたら返事しないんだからね)……フミャー」

「ほら、触るのはそのくらいにしておけ。毛が舞ったらアレルギーが出ちゃうだろ」


 グレイ王子がジーク王子の隣に座り、私を抱き上げてジーク王子から離すと、膝の上に乗せて私の背中を撫でるものだから、つい間の抜けただらしない声が出てしまう。グレイ王子、恐るべしだわ。猫のツボをしっかり押さえているようで、撫で方が的確かつ猫心をくすぐるのよ。


「タマ、ニャー、チビ、クロスケ……」


 なんなの!!そのありきたりな名前は!


「ジーク、この子は女の子みたいだよ」

「女かぁ。目が金色だからゴールディは?」


 私はプイと横を向く。


「お気に召さないみたいだな。ほら、胸元だけ星形に銀色っぽいグレーの毛があるだろ。ステラ……ステラはどうだ?」


 ステラ!それは私の愛称よ。


 両親だけが呼んでいたエステルの愛称がステラだった。私はグレイ王子の腕にすり寄った。


「なんだ、ステラが気に入ったのか?」

「ニャー(大正解よ。よく本名がわかったわね)」

「僕がつけたかったのに。でもステラか……うん、そう言われたらステラっぽく見えてきたから、こいつはステラでもいいよ」

「ニャニャニャ(でもいいよなんて偉そうね!私は元々エステルよ。タマでもチビでもないんだから)」

「ステラは本当に喋ってるみたいだな。ステラ、お菓子を持ってきたんだよ。食べるかい?」


 ジーク王子は私を餌付けするつもりだったみたいで、鼻先に干し肉をぶら下げてきた。


「ニャー(お菓子と言えばケーキでしょ。でも干し肉も好物だからもちろん食べるわよ)」


 ジーク王子が持ったままの干し肉を、私はグレイ王子の膝の上で器用に立ち上がり、両手でつかんで齧りつく。王族の食べる干し肉は、元の肉が高級なのね。濃厚で、噛めば噛むほど旨味が口に広がる。夢中になって食べていると、ジーク王子が私の尻尾を引っ張った。


 耐えられない不快感に全身の毛が逆立ち、飛び退るとジーク王子に向かって歯をむき出して威嚇してしまった。でもね、噛みつかなかった私を褒めて欲しいよ。獣人にとって尻尾は番にしか触らせない急所で、触るだけでなく引っ張るなんて、全力で攻撃されても仕方がない行為なんだから。獣人じゃなくて普通の猫でも、食べてる最中に尻尾を引っ張られたりしたら、きっと爪出し猫パンチを食らわすと思う。


「あ……尻尾がふわふわで気持ち良さそうだったから、僕……」


 ジーク王子がびっくりしたように後退り、その様子を見て怒りが急速に収まる。子供がしたことなのに、あまりに大人気なかった。見た目は子猫でも、中身は成人した大人だからね。


「ジーク、尻尾は猫の急所だから、つかんだりしたら駄目だ」


ジーク王子は、もう触らないという意思表示をする為か、手を隠すように背中に組むと、私の顔を覗きこんできた。


「僕は大丈夫さ。ステラ、ごめんね」

「ニャー(もういいわよ。私も怒って悪かったわ)」

「兄様、ステラが許してくれたよ」


 ジーク王子がぱあっと笑顔になる。

 本当、可愛いわねこの子。動物アレルギーじゃなければ、ペロペロ舐めてあげるのに。


「ジーク、そろそろ部屋に戻らないとじゃないか?」

「そうだ、三時から歴史の先生が来るんだった」


 ジーク王子はぴょんとベットから飛び降り、私はそんなジーク王子の後に続いた。


「見送ってくれるのかい?」

「ニャーゴ(私も帰るのよ)」


 ジーク王子が扉を開けた瞬間、私はダッシュで駆け出した。


「ステラ!」

「ニャニャニャー(またね!)」


 後ろを振り返らず、王族の居住区を駆け抜け、なんとか無事に庭園まで戻ってくるけとができた。あとは、侍女部屋まで戻って、自分のベットの中で人化すればいい。枕元には寝間着を置いてあるし、同室のニーナに裸を見られるくらいなら、別になんてことない。裸で寝ているのかって呆れられそうだけど、新しい健康法だって言っておけばいいよね。


 そこではたと思い出した。獣化して脳みその大きさが変わるせいか、記憶力が悪くなっている気がするわ。大切なパンツのことを忘れるなんて。


 私は、ジーク王子に捕まった辺りの植え込みに飛び込んだ。この植え込みで落としたはずなのよね、私のパンツ。しかし、暗くなってきたからではないだろうけれど、私のパンツは見つからなかった。もう、誰かに拾われてしまったんだろうか。


 植え込みの葉っぱが鼻をくすぐって……くしゅん!


 ぐわんと世界が揺れて、視界が高くなっていく。気がついたら、植え込みから顔が出ていた。


「うっそ……」


 ニャーしか言えなかった声帯が、ちゃんとした言語を紡ぎ、空気に乗って私の耳に届く。つまり……今の私は、スッポンポンで王宮の庭園に現れた変態侍女ってことじゃないの!


 血の気が引いて目眩までする。

 せめてパンツ!……いや、パンツを履いたからって、変態は変態だ。せめて母親みたいに全身体毛で覆われていれば、もろ出しで歩いても恥ずかしくないのに。こんな時ばかりは、父親似な自分が残念でならない。


 視界が上がったことにより、子猫の時には見えなかった植え込みの上が見え、パンツがその上に乗っているのが目に入った。


「あった!」


 植え込みの枝で肌が傷つくのも気にせず、私は植え込みをかき分けてパンツのところまで行き、なんとかパンツだけは履くことができた。ふーっと一息つくも、大して状況は変わっていない。夜になるのをここで待ち、人が寝静まった後に戻るか?でも、夜は夜で見回りの騎士がいる。彼等を避けて侍女部屋に戻るのは可能だろうか?

 いや、かなり難しいだろう。

 一番は、再度獣化して子猫の姿で部屋に戻るのが正解なんだけど、くしゃみなんか簡単に出るものでもなく、葉っぱで鼻をくすぐってみたが、やっぱりくしゃみは出ない。自分の髪の毛で鼻をくすぐっても駄目。誰も見ていないから、鼻毛まで抜いてみたけど、やっぱり出なかった。


 しばらく植え込みの中にいたが、辺りが真っ暗になっても、私はいまだにパンツ一丁変態侍女のままだった。寒さに身体が震え、風邪でもひいてくしゃみが出ることを期待するけれど、熱とか出したら洒落にならない。


 ここは、意を決して攻めに出るべきか!

 獣化している時ほどじゃないけれど、人化している時もそれなりに嗅覚と聴覚には自信がある。身の軽さも同じくだ。感覚を解放して、見回りの騎士達をうまく避ければ、私なら誰にも見つからずに行けるんじゃない?そう考えて、感覚を解放する前に、私は植え込みから顔を出した。


「えっ?」

「……誰?」


 ちょうど植え込みの横を通り過ぎようとしていた男性と、バッチリと目が合ってしまう。茶髪でヘーゼルの瞳を持つ男性がキョトンとして私に問いかけ、それと同時に彼の後ろにいた騎士二人が前に出て、私に向かって剣を抜く。カンテラの灯りを向けられ、私は眩しさに目をつぶった。


「何者だ!」

「くしゃん!」


 このタイミングで待望のくしゃみが出て、私は慌てて植え込みに引っ込んだ。それと同時に小さくなる身体。


 子猫の姿になると、私は植え込みから飛び出して、一目散に逃げ出した。片足にひっかかっていたパンツを彼等の前に落とし、振り返る余裕もなかった。


 騎士達が植え込みの中を探している中、茶髪の男性だけは黒い子猫が走り去るのを見つめ、子猫が落としていった布切れを拾い上げた。




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