ハズレ王子の溺愛子猫は私です

由友ひろ

第1話 ハズレ王子

「ぶみゃ〜っ!」


 私はぷにぷにの肉球の手で、両目を押さえる。だって、目の前には色気漂う裸体の男性が、濡れた金髪をかき上げながら、グレー色の瞳を細めて近寄ってくるんだもん。

 いやね、毛むくじゃらな裸体なら見慣れてるよ。獣人はみんな人間の姿でも毛むくじゃらだし、獣化する時に上着が破れたりするから、上着を着ない人が多かったもの。こんなツルツルの素肌、父親のと自分のしか見慣れていない。毛がないから、色んなとこが丸見えで、鼻血が出そうなんですけど!


「ほら、暴れるな。綺麗にしたらベットにも入れてやれるんだから」


 ベット!?


 私はドボンとお湯の入った桶に入れられた。思わずお湯の気持ち良さに、「はぁ~」と息が漏れそうになったが、すぐに泡をつけられて全身擦られて、声にならない悲鳴を上げる。


 私、子猫の見た目をしてますけど、こう見えて十八歳の乙女ですから!そんなとこ触らないで……ひーっ!


 柔らかいタオルに包まれた私は、色々な物を失ったような気がして、放心状態でされるがままぐでっとしていた。そうしている間に、タオルでしっかりと身体を拭かれ、丹念にブラッシングをされて、フワフワの毛並みになる。


 もうね、あんなとこやこんなとこを触られて、お嫁に行ける気がしない。しかも、後ろ姿だけど男の人のオールヌードも見ちゃって、毛がない男の人って、こんなに綺麗なんだって……つい見惚れてしまったよ。


「おまえ、真っ黒で綺麗な毛並みしているな。うん?胸のとこだけ少しグレイがかっているのか。なんか、星みたいな形していて可愛いな」


 私をひょいと抱き上げた男性は、至近距離で私の胸を見つめる。恥ずかしさにジタバタ暴れるけど、爪を引っ込めた猫パンチじゃ、男性の手から逃れることはできなかった。


「あ、メスだな」


 それ、どこ見て確認しました?


 子猫の姿では泣くこともできなかったよ。私はぴしっと固まったまま、浴室から豪華な部屋に連れてこられた。ここはノーデンゲイル王宮にある一室、第三王子の私室だった。そして、私を抱き上げているその人こそ、世に「ハズレ王子」と噂されるノーデンゲイル王国の第三王子、グレイ・ノーデンゲイルその人で、常に不機嫌できつい態度をとっている彼が、そのグレーの瞳に笑みを浮かべて私を見つめていたりなんかして、もう、あなた誰!?状態なんですけど。


 ★★★


 このノーデンゲイル王国は、人間が治める王国の一つだ。世界を大まかに分けると、獣人が治める獣人国と、人間が治める人間国に分かれる。人間側は人間国同士、獣人側は獣人国同士に交流があり、人間と獣人とに交流は皆無だった。別に、人間の中に獣人がいても迫害されることはないが、あまり良い顔はされない。逆も同じくだ。


 そんな中、私は人間の父親と、猫獣人の母親の元に生まれた。旅好きな父さんがたまたま迷い込んだ獣人国で、母さんに一目惚れをしたそうだ。子爵家の次男だった父さんは、全てを捨てて母さんと番った。ただ、獣人国で人間の父さんは異質な存在でしかなくて、それは私も同じだった。

 人化している時は、父さんと同じで身体に体毛がないのが気持ち悪いと言われたし、獣化したらしたでいつまでも子猫の姿にしかなれず、不完全だと笑われた。しかも、獣化も人化も自分の意思では思い通りにならず、どういうわけかくしゃみで変身する体質もバカにされる原因だった。


 結局、獣人国では異質であった父さんと私は、母さんを大黒柱に生活していたのだけれど、それも母さんが仕事中に事故死したことで終わりを告げた。母さんの死をきっかけに、父さんと二人、父さんの故郷であるノーデンゲイル王国へ戻った。人間の親子としてだ。

 父さんの実家のリッチモンド子爵家に戻ると、すでに子爵家は代替わりしており、父さんのお兄さんが跡を継いでいた。


「今更戻って来ても、おまえにやれるのは小さな屋敷だけだ」


 父さんに似た顔をした伯父さんは、淡々とそれだけ言うと、錆びた鍵を父さんに手渡した。それは本邸の裏にある別邸の鍵で、正直……屋敷というか崩壊寸前の廃屋だった。二人でその屋敷を修繕し、これからの生活をどう切り盛りして行こうか……という段階になって、父さんが置き手紙と一枚の銅貨、そして一枚一枚に刺繍を施した大量のパンツを残して失踪した。


“ちょっと旅に出てくる。お腹を冷やしたらいけないよ。このパンツを履いて、くれぐれも人前ではくしゃみをしないように”


 もうね、茫然としたよ。くしゃみをすると獣化しちゃう娘を人間の国に置いて、なんで旅になんか出ちゃうかな。人はね、食べないと生きていけないのよ?しかも、食べ物は自然発生しないの。銅貨一枚って、一食分でおしまいじゃないの。パンツじゃお腹は膨れません!


 私は父さんの手紙と銅貨一枚を握りしめて、本邸へ向かった。


「伯父さん、私に仕事を紹介してください!できれば日払いのやつで」


 父さんの手紙を伯父さんに見せながら言った。伯父さんはその手紙に目を通すと、眉間を押さえて唸った。どうやら、怒り心頭のようだ。


「おまえの父親は昔っから……」


 途切れた言葉の続きは分かりきっている。父さんと二人で過ごす時間が長かったから、母さんと知り合う前にした父さんの冒険譚をよく聞いていた。そんな自由人だった父さんは、貴族然とした伯父さんとは相容れなかっただろう。私も正直今かよ!?って思わなくもないけど、父さんを繋ぎ止めていた母さんがいなくなった今、ふらっと旅に出た父さんの心境もわからなくもなかった。


 でもね、できれば生活の基盤がもう少しできてからにして欲しかったな。今の状態じゃ、雨風がしのげる場所が確保できただけだからね。有り難いっちゃ有り難いんだけどさ。


「お金、これっきゃないんで、日払いが無理なら、まかないが出る仕事だと有り難いんですが」


 伯父さんは眉間をぐりぐりと押さえたまま、引き出しから一枚の手紙を取り出した。


「……王宮で、侍女見習いを大量に募集している。今、王子様方の婚約者候補の選定をしていて、半年後から婚約者候補の令嬢達が、一年間王宮でお過ごしになるんだ。その世話係や下働きをする侍女が足りないそうだ。衣食住付きで月金貨二枚」

「それ!紹介してください」


 こんな美味しい仕事はないだろう。仕事をしたことはなかったけれど、一応父さんから色んなことはならっていた。読み書き計算はもちろん、家事一般や食べられる野草の知識、動物のさばき方、薬草の見分け方や調合方法……等など。ここが森の中ならば、生きていく知識は仕込まれていたが、いかんせんここは街中で、薬草も生えていなければ狩りもできない。ならば、仕事をしてお金を稼がないと、生きてはいけないじゃないか。


「私が紹介状を書こう。ところで、君の名前は?」


 今更っちゃ今更なことを聞かれて、この人からしたら姪は赤の他人なんだなと痛感する。だって、数日同じ敷地内に住んでいたのに、名前を知ろうともしなかったんだもん。まあ、私も家名は知ってても、伯父さんの名前は知らないから、別に伯父さんのことを責めたいわけじゃないんだけどね。


「エステルです」

「エステル……何?いや、エステル・リッチモンドか」


 獣人には身分制度はなく、見た目がそのまま家名みたいなものだったから、名字も存在していなかった。片や人間には身分制度があり、貴族には名字が存在した。


 獣人の世界ではただのエステルだったけれど、人間の世界じゃエステル・リッチモンドか。私はその日から人間としての名前を手に入れ、伯父に書いてもらった紹介状を手に王宮へ向かい、そして侍女見習いの仕事をゲットできた。

 衣食住完備なうえ、お給料まで貰える、夢のような職場。そんな職場で働くようになって一ヶ月、仕事にも人間の世界にも慣れてきたある日、私はやらかしてしまった。


 仕事中に盛大にくしゃみを一つ、そしてこの国に来て始めての獣化。周りの景色がぐんぐん大きくなって、久しぶりに感じる目が回るような獣化の感覚に、私は思わず伏せをした。獣化が完成した私は、侍女のお仕着せの中にいた。そのお仕着せの中から這い出して、あわや他の侍女に見つかる手前で、物陰に隠れることができた。パンツだけはくわえて。

 なんでパンツだけかって、子猫の大きさの私がくわえられるちょうど良い大きさと重さであるっていうのと、パンツを拾われたくなかったからよ。

 案の定、通りかかった侍女が、脱ぎっぱなしのお仕着せ、靴下と靴を見つけてかなりギョッとしていたけれど、洗濯物の落とし物だと思ってくれたのか、首を傾げながら拾って戻って行ったわ。

 こうなると、私は再度くしゃみをするのを、なんとか阻止しないといけなくなったわけ。だって、くしゃみをして獣化を解いても、手元にはパンツしかないのよ。私は猫の獣人と人間のハーフだけれど、人間の姿は獣人みたいに毛で覆われてはいないんだもの。ツルツルは恥ずかしいわ。


 で、なんとか侍女部屋に戻ろうと庭園をうろついていたところを、この国の第四王子であるジーク王子に捕まってしまったの。パンツは、その時に植え込みに落として……。誰かに拾われていないことを切に願うわ。


 四番目の王子の存在からもわかると思うけれど、この国の王は子沢山なの。七人いる子供の中で、王子は四人。でもこの四人、一組の番から生まれたわけじゃなくて、国王の連れ添いは王妃、第一夫人、第二夫人と三人いる。


 正妃の息子は王太子のアレキサンダー。彼は国王の第二子だけど、母親が他国から嫁いできた王女だったから、生まれた順関係なく王太子になった。茶髪にヘーゼルの瞳が知的な十九歳で、今の平和な世の中では賢王に数えられる逸材だと言われているけれど、何分知的探究心が旺盛過ぎて、学者や研究者の方が向いているかもしれないわね。


 第一夫人の息子は第一王子のラインハルト、二十歳。赤髪、緑目の美丈夫で、剣豪と言われているみたいだけれど、まあ少し腕に覚えがある程度で、そんなに強くはないと私は見ている。大概に女好きで、一人の番と添い遂げる獣人の血を引く私からしたら、かなりのクソ野郎だ。

 第一夫人には、他に王女が三人いるけれど、すでに上の双子の姉妹は他国に嫁いでいて、この国にはいないようだ。


 そして、第二夫人の息子は二人。第三王子のグレイと、第四王子のジーク。第二夫人は元正妃の侍女だった。第一夫人が妊娠したことに焦った正妃が、自分に子供ができないのならば、せめて自分の息のかかった人間に国王の子供を孕ませようと、まだ年若く美しかった正妃付き侍女を、国王の寝室に送り込んだのだ。その侍女はその一回で第三王子を妊娠、王子を産んだ彼女は、第二夫人に召し上げられたけれど、元が男爵令嬢で夫人に選ばれる身分ではなかったのと、一日違いで正妃も第二王子を妊娠出産したことにより、第二夫人と第三王子の立場はあまり良いものにはならなかった。

 そんな背景があるせいか、グレイ王子はその存在を軽んじられ、勉強では王太子に敵わず、剣技では第一王子に敵わないと、兄達と比較されているうちに、いつしか「ハズレ王子」と呼ばれるようになってしまった。実際には、わざと兄達よりも劣るふりをしていたらしいのだけれど。

 そして、私を捕まえたのが、グレイ王子の同腹の弟、八歳のジーク。グレイ王子と同じ金髪にグレーの瞳をしており、甘ったれで気が弱くて、いつもグレイ王子の後ろに隠れているイメージがあった。


「黒猫だ!子猫かな?可愛いな」


 いきなり後ろから首根っこをつかまれて持ち上げられた私は、ジーク王子にギューギューに抱きしめられた。まだ小さな子供とはいえ、子猫の大きさの私からしたら、巨人につまみ上げられた感覚よ。怖いったらなかったわ。


 このジーク王子、動物好きらしいんだけれど、軽度の動物アレルギーがあるらしくて、私を抱きしめつつクシュンクシュンし始めてしまったの。そんなジーク王子を見かけたグレイ王子が私を彼から取り上げて、その辺に捨てるかと思いきや、部屋まで連れてこられて、お風呂に入れられて、今に至るってわけ。


 侍女見習いで、まだ決まった担当がないから良かったようなものの、これが正式な侍女だったら、職場放棄で即刻クビよね。


「おまえ、誰かの飼い猫か?首輪はなかったけど」


 ふっかふかのベットに置かれた私は、顎の下を撫でられて、ついゴロゴロと喉を鳴らしてしまう。だって獣人とはいえ、今は獣化してるんだもの。ほぼ猫よ、猫。撫でられたらお腹だって出しちゃうわ。猫だって、ご機嫌だとお腹を出すものなのよ。


「おまえ、危機感がないのな」


 いつもは険しい表情をしているグレイ王子が、ふわりと笑顔を浮かべて……、私の心臓がギュインッて音を立てた。

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