第3話 宵闇の中で

「あーあー……。本当に来ちゃったよ」

「まぁでも、部長の言う通りに意外と近かったな。だからといって、わざわざ来たいとは思えんが」

「そうだよー。何も本当に来なくたっていいはずなのにー」

「今さら言っても仕方ないでしょ。まさか、あのまま部長を放っておく訳にもいかないんだし……」

「俺達は部長のお守りかよ……」

 それから数時間後、部員達の姿は人気のほぼ絶えた場所にあった。

 やや特殊な地形が広がるそこは、周囲をかなり高い尾根に囲まれている。

 おかげで町の明かりなどは一切届かず、近場に目を向ければはどこも濃過ぎる程の深緑に覆われていた。

 すでに赤みの消え失せた空も段々と暗くなり始め、街灯すらない辺りでは早めに暗闇が広がっている。

「あら? そういえば梶照君、塾の方は良いの?」

「ん? あぁ、そうだね。いや、決して良くはないんだが……。ただ、僕だけ不参加というのもあれだろう?」

「ふーん……。まぁ、別に良いけど」

 各々が懐中電灯などを手にした部員達は、あくまで無明峠には立ち入らずに手前の所に留まっていた。

「へぇぇ……。この時間で、この暗さってのはやっぱりとてつもないね。特に峠の中なんて、もう上から下まで黒一色ときた。でも……。あんなにバリエーションのある怪談を生み出す下地としては、少し……」

 その中でも辺りをつぶさに見回す久奥は、懐中電灯の光を流れるように様々な場所へ向けていく。

 ただし鬱蒼と茂る木々の間などは、いくら光を送り込んでも暗闇に呑み込まれるばかりとなっている。

 今も少しずつ暗さを増し続けるそこでは、多少の明るさ程度では何も見通す事はできないようだった。


「うーん。でも私、普段こういう所には来ないからちょっと新鮮かも。それにこういう所なら本当に、何かすごいものが見つかりそう。ねっ、そう思わない~?」

 少し離れた場所では日佐見が草木の間を覗き込み、やや興奮した様子でいる。

「さぁな……。俺は別に何か見つかろうが、見つかるまいがどうだっていいんだが」

 逆に須藤はやる気もほとんどなく、今も手持ち無沙汰に突っ立っていた。

「えー。須藤っちったら、何か凄い淡泊……。じゃあ、何でここまで来たの?」

「来たくて来た訳じゃない。強いて言うなら内申点のためか……。学生が部活やるなんて、多かれ少なかれそんな理由が大半だろ。どうせ真面目にやった所で、結局……」

 そして愚痴をこぼしつつも、須藤は目を細めて何かをじっと考え込んでいる。

「ねー、ねー。須堂っち」

 そんな時、ふと横から声がしたのに気付いた。

「ん?」

「ばぁー」

 すぐ側では日佐見が懐中電灯の明かりを顔の下から当て、暗闇の中にはっきりと自分の顔を照らし出している。

「うわ……! 何だ、急に……」

 すると須藤は大きく体を仰け反らせ、あわや倒れそうになってしまう。

「あははっ。何その顔ー。須藤っち、そんないいリアクションできるんじゃーん!!」

「お前は……! こんな所まで来て、ふざけやがって……!」

 それから須藤は一気にむっとした顔をすると、足音を立てるくらい強く足を踏み出す。

「わぁー! あははっ、須堂っちが怒ったー! きゃー!」

 対する日佐見は小走りで逃げ出すが、その声や表情はあくまで楽しそうだった。


「全く……。あいつ等はどこに行こうと、いっつもあんな感じだな……」

 やけによく通る騒がしさを横目に、小平は一人でじっと佇んでいた。

 見渡す限りに自然が広がる割には、すぐ側では虫や鳥の声すらしていない。

 おかげで目を閉じれば、暗闇と同化できそうなくらいに辺りはしんと静まり返っていた。

「ん……?」

 そんな中でふと何かに気付いたのか、小平は不意に背後へ振り返る。

 しかしいくら目を凝らしても、先に広がるのは薄暗い景色ばかりでしかない。

 近くに他の部員達の声や気配はするが、あくまで周りにあるのは不気味なまでの静謐でしかなかった。

「……」

 それでも小平は真剣な表情を浮かべたまま、ひたすら暗闇をじっと見つめている。

「なぁ……」

「え、何?」

「何か、一人足りなくないか」

「どういう事?」

 それから不意に口を開くと、側にいた常盤が怪訝そうに近寄ってきた。

「俺達って元々、七人いたよな?」

「何言ってるの? 私達は最初から六人よ。そこから増えもしなければ、減ってもいない。一体、どうしたって言うの?」

「さぁ……。自分でもよく分からない。でも、何かを感じるんだ。何かが普段と違うような……。いつもの風景から、どこか一部分が欠けてしまったような……。そんな感覚が」

 なおも小平は暗闇の方をじっと見つめたまま、そこに話しかけるように呟いている。

「……まるで分からないわね。大丈夫? 気分でも悪いなら、もう帰りましょうか」

 するとその様を見る常盤も、段々と不安そうな表情を浮かべていった。

「どうしたんだい?」

「あぁ、梶照君。何だか、小平君の様子がおかしくて」

「? 何かあったのか」

 やがて話し声を聞きつけると、その場には梶照もやって来る。

「あぁ。いや、そんな大層な事じゃないんだが……。そうだ。思い出した。ほら、あの子だよ。あの子」

 小平はそんな梶照の姿を見た途端、急に目を大きく見開いていった。

「あの子?」

「いや。ほら、前にお前も一緒に部室で見ただろ? あの小柄で、大人しそうな子。あの子が、どこにもいないんだよ」

「え、誰の事……? そんな子がいたの?」

「いいや……。少なくとも僕は見ていないな。いつの事を言っているのか分からないが、ここ最近は部員以外の人間を部室で見た事はないはずだ」

 話を聞く二人は思わず顔を見合わせるが、どちらも疑問ばかりを浮かべている。

「そんなはずないだろ。確かに俺もお前も、口を聞いたりはしなかったけど……。ちゃんと、あの場にはいたはずだ。あの女の子が……」

 一方で小平はそれからも、相手の反応などを気にする素振りはない。

「そう、だったかな……? でも、僕には本当に覚えがないんだ」

「じゃあ、俺の記憶違い? いや……。そんなはずは……」

 小平はなおも一人で考え込み、心配そうにかけられる声にもまるで反応していなかった。


「はぁ、はぁ……。何だ、どうかしたのか?」

「ふぅ……。えっと、何々~? 何か面白い事でもあった~?」

 少しするとさらに話を聞きつけたのか、須藤や日佐見もやって来る。

「あのね……。小平君が見たんだって。えっと……。小柄な、女の子だっけ? でも梶照君は見てないみたいなの」

「え、それって幽霊か何か~? それが、どこに出たの~? ねぇ、ねぇー」

 話を聞いた日佐見は息を整えるのも忘れ、はしゃいだ様子でいた。

「何、だと……」

 一方で須藤はいつになく動揺した様子で、先程よりよっぽど動悸を激しくしている。

「その女の子って、もしかして和服を着た小さな子か」

 そしていきなり前に進み出たかと思うと、とても真剣な声を発していった。

「え? 和服? いや、違うよ。あの子は制服だった。確か……」

 小平はその迫力に面食らいつつ、何とか以前の記憶を手繰り寄せようとしている。

「そ、そうか……」

 対する須藤は頷き返すと、すぐに思い直すように、引き下がっていった。

「急にどうしたの~? そんな怖い顔して。須藤っちらしくないなぁー」

「いや、別に……。何でもない……」

 以降の須藤は塞ぎ込んだように黙り込み、口を真一文字に結んで何も言わなくなる。

「というかその女の子って、もしかしてあれの事かしら? ここに来る前、部長が話していた話に出てくる……。でもあれは、山姥だったし……。学校、とは何の関係もないわよね」

「うーん。無明峠の話はもう長い事話されて、無数に話が派生しているから……。幽霊とか、出る場所みたいなのにも結構なバリエーションがあるらしいんだけど……。それにしたって小平が言うような、女の子のは聞いた事がないな」

「へー。じゃあとにかく、新種? 最新バージョン? とか、そんな風な感じなのかな~?」

 一方で他の部員達はその場で顔を見合せたまま、思い思いの事を口にしていた。

 その足元や体には揺れる懐中電灯の灯りが当てられ、いくつもの光がゆらゆらと揺れている。

「いや、違う……。あれは妖怪とか、幽霊とかじゃない。あの子は間違いなく人間で、それも俺達と同じか……。少し下くらいの……。俺はてっきり下級生の、新入部員か何かかと思っていて……」

 小平はそんな灯りを目で追うようにしつつも、やがて何かを思い出すように目を静かに伏せていった。


 その日の部室内には小平や梶照しかおらず、その二人のどちらも本や携帯に目を落としていた。

 開かれた窓からはささやかな風と共に、校庭で部活をしている生徒達の歓声が届いてくる。

 それ以外は目立った刺激もなく、静まり返った部室内は呼吸音すら部屋中に響きそうなくらいだった。

「……」

 そんな部室の隅にはきちんと制服を着込んだ少女が、一人でぽつんと立っている。

 着ている制服自体は高校指定のものであり、見た目で言えば同じ学校の生徒に見えなくもない。

「……」

 ただその少女は自分から何かをする事もなく、椅子にも座らずにじっとその場に立ち続けている。

 いくら時間が経っても微かに言葉を発する事すらなく、時折周りを見つめる以外には何もしていない。

「なぁ」

「ん? どうかしたのかい?」

「今日って、俺達以外は誰も来ないのか?」

 それから小平はまだ携帯の画面を見下ろしたまま、ふと小さく呟く。

「どうやらそうみたいだ。個人的な用事があるとか、どうしても外せない先約があるってさ。部長なんかは部の予算を決める会議に出ているらしい」

 応じた梶照も参考書とノートを交互に眺め、手は常にペンを走らせている。

「へー。そんな事もやってるのか。それにしても……。やっぱり、部の人数が少ないとすぐに機能停止に陥るな」

「そうだね……」

 梶照は一応は会話に参加しつつも、やはり比重としては勉学に重きを置いているようだった。

「まぁ、たまにはこういうのもいいか。ん……?」

 小平はそれから何の気もなしに、部室の隅へ視線を動かす。

「……?」

 そうすると自然と少女の事が目に入るが、その時は深く気にせずにすぐに再び目を携帯に落としてしまう。

「……」

 一方で少女はそんな小平の事をじっと眺めたまま、それからもひたすら時間だけが過ぎていく。

「……」

 少女は長い髪と俯きがちな顔によって、人相もあまりはっきりとしなかった。

 以降も新たに人が訪れぬ部室は、夕映えの光に満たされながら外から生徒の歓声が届くくらいしか刺激がない。

 そして結局、小平や梶照が部室を去った後も少女はずっと部室に一人で残り続けていた。


「ふむ……。それは実に興味深いね」

 するとその直後、暗闇を切り裂くような光の後に久奥が姿を現す。

「あ、部長」

「確かもう随分と部の見学や、お試しの入部みたいなものは行っていなかったはずだけど……。誰かが不意に、どこかから迷い込んできたのかな?」

「そんな……。犬や妖精じゃないんですから。と言うより、そもそもそんな子が本当にいたんでしょうか?」

「そうだよねー。その子って、小平っちしか見てないんでしょ~?」

 誰もが顔をそちらへ向けた後は、輪になるようにしてそれぞれが表情や仕草に疑問を浮かべていった。

「でも、確かにいたんだ……。その時は気付かなかったけど、今になって思い出して。だから……」

 一方で小平はまだ納得し切れていないのか、一人で重苦しい顔を俯かせている。

「人の記憶なんて、意外と当てにならないものだからな。他に何か、手がかりはないのか? その子の名前とか、もっと分かりやすい特徴とか覚えていないのか?」

「それは……」

「じゃあ、やっぱりさー。その子が確かにいたとは言えないんじゃない~?」

「まぁ……。それは、そうかもしれないが……。うーん……」

 それでも周りから次々に声をかけられると、さすがに小平も態度を軟化させていった。

「きっと、気のせいか何かだったのよ。最近は怖い話の事ばかり考えていて、そのせいだったんじゃない?」

「そう、なのかもしれないな……」

 そしてまだしこりのようなものを残しつつも、やがて小平は腕を組んだまま頷く。

「ふぅむ……。色々と考えは尽きないようだが……。とにかく、今日はもう遅い。ひとまず、帰るとしようか」

 久奥はそれから部員達の方を一通り見回すと、懐中電灯を肩にかけながらそう言った。

「そうですね。っていうか……。そりゃあ、こんなに遅い時間にもなりますよ。そもそも部長が、急に行くなんて言い出すから……」

 すると梶照は頷きつつも、眼鏡の位置を直しながら呆れたように言い返す。

「そうそうー。私だって、色んな用事とかキャンセルして来たんだからねー」

「俺も、見たいテレビとかあったのに……」

 後からは追従するようにいくつも声が続き、よく見えないが恨めしそうな視線も含まれているのは間違いない。

「まぁまぁ、良いじゃないか、過ぎた事は。今さら後悔しても、すでに起こった事は変えられない。だったら不満をいくら述べても、それこそ時間の無駄じゃないかい?」

「もう、この前あれ程口酸っぱく言ったのに……。全然反省してないじゃないですか。この前は結局言いくるめられましたけど、やっぱり反省文でも書いてもらった方が良いでしょうか」

「むむぅ……。あのね。常盤君。君はもう少し、先輩に対する敬意というものを持ち合わせても良いんじゃないかい?」

 だが当人には懲りた様子もなく、嗜められるとむしろ反発するように顔をむっとさせていった。

「はぁ……。あのですね。そもそも敬意を持ってほしいんだったら、普段の行動をですね。もっと、しっかりとしていただかないと……。って、ちゃんと聞いてますか?」

「あぁ、はいはい。分かった、分かったからさ。何もそんな、きつく睨まなくても……」

 それからも久奥は常盤に詰め寄られながら、後ろ歩きのままその場から去っていく。

 他の部員達はそれを見て楽しそうに笑いつつ、誰からともなく歩き出す。

 それによって少しずつ声が遠ざかると、辺りは元からあった不気味なまでの静けさをゆっくりと取り戻していった。

「……」

 そんな所に最後に残った小平は、帰る直前にふと後ろへ振り返る。

 それは何かひどく気になる事でもあったのか、あるいは何かを唐突に感じ取ったせいなのかは分からない。

 今も濃く深い暗闇ばかりが広がる無明峠には、ぱっと見た限りでは特別なものは見受けられなかった。

 ただし峠の頂上の暗闇のほんの一部分、そこにわずかばかりだが何かが動く。

 遠目にもそれははっきりと造形が分かり、どことなく人の口のようにも映った。

「……!?」

 小平が驚きと共に自身の目を疑っていると、直後には口が大きく笑みを浮かべるように歪んでいく。

 何もかもが黒く染まったそこでは、本来なら何かがはっきりと見えるはずもない。

 それでもそれは頭の中に直接流し込まれたのように、ありありと思い浮かんでいつまでも印象に残り続けていた。

「うっ……」

 すると次の瞬間には辺りの蒸し暑さとかけ離れた異様な寒気、さらには目の前が真っ暗になる程の眩暈を感じてしまう。

「ぁ……」

 そうなると小平は自然とその場にしゃがみ込み、やけに重い体はほとんど動かなくなってしまった。

「おーい、どうした。そんな所でうずくまって。何かあったのか?」

「い、いや……。何でもない。大丈夫だ」

 やがて前方から心配そうな声をかけられると、急に体が軽くなって立ち上がれるようになる。

「う……」

 それから恐る恐る先程の場所を見返すが、もうそこにはおかしなものは何もない。

 最初からずっとそうであったように、無限に続くとさえ思える暗闇が広がっているばかりだった。

「……」

 いくつも重なる不可思議な事象に対し、小平は何か明確な答えを持ち合わせている訳ではない。

 だからこそ波打つような胸の内のざわめきも、波紋のように広がりながらいつまで経っても収まる事はなかった。

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