ホーム・スウィート・ホーム

《ここまでの話》

喫茶Paradisoから姿を消した黒猫レヴナントを探していると、今度は飼い主のサキがいなくなった。

黒人の、声帯が無い、ろう者の霊能力者のおばあさん「ミセス・ウィークエンド」は、サキは生霊に憑かれていて、「向こうの世界」に連れて行かれたという。

“つながり”で出来たこの世界の裏側には、もうひとつの世界がある。

“つながり”を失ったものがたどり着く世界。

ツムギはケイと共にサキを追って、その世界を目指す。


主な登場人物

・ツムギ(私) 

Y市の高校一年生。新作ゲームにうつつを抜かし、年末の中間テストで散々な結果を残した。

・ケイ(長良 景子)

Y市の高校一年生。「私」のクラスメイト。くせ毛気味の黒髪ショートヘア。ちっこい。いつもやる気の無いジト目と平坦な声をしていて、何を考えているのか分かりづらい。“誤ったつながり”が見え、ミセス・ウィークエンドの下でアルバイトをしている。

・サキ

Y市の高校一年生。「私」たちのひとつ隣のクラス。良く下校時に二人に置いていかれる。長い金髪をポニーテールにしている。スラッとしていて、朗らかな笑顔と目の持ち主でクラスの人気者。喫茶店Paradisoの店主の娘で、忙しい時は店の手伝いをする。喫茶店で黒猫レヴナントを飼っている。絶賛、行方不明中。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 私が起き抜けのサキちゃんに笑いかけると、微笑みが返ってきた。淡い笑顔だった。彼女は立ち上がろうとしたがよろめくので、私は手を取って手伝った。

 冷たい手だった。彼女が立ち上がる途中、彼女の膝で丸まっていた黒猫が不満そうな鳴き声を上げて退去した。


 サキちゃんはゆっくりと辺りを見回し、徐々に周囲を把握していった。緩まった口元や目元が徐々にはっきりしていく。

 時間をかけて状況を理解した彼女は、やがて現状の不自然さや不可解さに気がついた。ある時点を境にサキちゃんは突然、オーバーな驚き顔を見せ、「どこ、ここ!?」と目を丸くした。それからの勢いは一入だった。

「全然記憶ないんだけど!? なんで!? なんであたし、こんな所いるの!? ここどこ!?

 あ、そうだ、昨日はごめんね――お母さんから聞いたよ。あたしの事送ってくれたんだって? ああ、これも全然覚えてないや――じゃなくて、ここどこぉ? 暗いし何か周り、色付いてないし――え、足冷たっ! 何であたし裸足なの!? さしずめ東方のチルノじゃん」

 こんな調子がしばらく続いた。とりあえず元気そうだったので、私はルールも忘れて大声で笑ってしまう。辺り一面に自分の笑い声が反響した。


「色々あったんだ」と私は涙を拭きながら言った。

「でも説明は後回し。早くここから脱出しなきゃ」

「え、ここヤバいの?」

「割と」

「スラム街?」

「……うん、まあ大体そんな感じ」

「マジかー」

 サキちゃんが何故か他人事のような素振りでそう言うと、脇にいた黒猫レヴナントが鳴き声を上げた。

 サキちゃんは初め、何が起こっているのか分かっていない様子だった。足元のレヴをただぼんやりと見つめている。

 目の前のそれが何なのか、ようやく彼女が理解すると、今度は妙にコミカルな泣き顔を見せ、彼の名前を呼んで抱きしめようとした。

 だが彼の方は乗り気ではなかったらしく、かがんだサキちゃんの両目めがけて前足をピンと伸ばし、拒否の意思を表明した。

「どこ行ってたんだろうねぇ」と、サキちゃんがけろっとした調子で言った。

「何か全然元気そうだし、この子」

 私は「そうだね」と口元に手をやりながら言った。

「それについても、色々あったんだ」

 私のその言葉に彼女はふ~ん、と相づちを打つ。

「話すと長い?」

「長いよ」と私は言った。

「でもその話はあと。今は早くここから出よう」

「オッケー!」

「ケイも来てるんだ。無事だといいけど」


 私がケイの名前を出すと、ひとつ下の階の扉が勢いよく開いた。恐る恐る階下を覗き込むと、ケイがいた。

 私が呼ぶと、彼女は小さく頷いて階段をひょろひょろと上がってきた。近くにきて、サキちゃんの姿を認めると、ケイは眉をハの字にして言った。

「こいつめ、迷惑かけおって。ここまで来るのにどんだけ苦労したと思ってるのさ」

 いつもより語気が強い。漫画だったら頭の上に怒りマークが出ている。本気で心配しているようだった。

 いわれも覚えもない批判を浴びたサキちゃんは、しゅんと縮こまって「シィヤシェン……」と反省した。多分、すみませんと言っているのだろう。

 私はまた笑いそうになるのを我慢してケイに訊ねた。

「よくここが分かったね」

「あんな爆笑の声、響かせたら誰でも分かるよ。危ないって言ったのに――めっちゃ遠くからでも聞こえたじゃんね」

 どうやらさっきの私の笑い声が役に立ったらしい。私は乾いた笑いを上げて言った。

「……あいつは? 大丈夫だった?」

「だいじょぶ」

 彼女は力強いサムズアップで応えた。

「分からせてやった」

「……倒したの?」

「ボコボコ。トドメ刺そうとしたら、何度も土下座されたから見逃した」

 私はその言葉に胸を撫で下ろす。ちょっと想像と違う結末だったが(あれって土下座とかしてくるんだ)、ともあれこれで一安心だ。

「で、再会の喜びもまあまあにしてさ」とケイが言った。

「ひとまずここから出よう」

 私は強く頷いた。そうだ。まだ終わっていない。まだ「半分」だ。まだサキちゃんの“除霊”も終わっていない。


 私が気を引き締めなおしてサキちゃんを見ると、彼女は難しそうな顔つきでしきりに首を斜めに振り続けていた。どうやら眼の前に次々に並べられる未知の情報を何とか整理しようと、頭をフルに稼働させているようだった。

 やがてサキちゃんは腕を組みながら小さく唸り声を上げ始めた。つむじ辺りから排熱の湯気が上がった……ように見えた。

 彼女の処理能力も限界を迎えつつある。あるいはとっくに限界は超えていたのかもしれない。


……無理もなかった。サキちゃんには、ここに至るまで何ひとつ説明がなかった。自分に何が起きているのか、ここがどういう場所なのか――これから何が行われようとしているのか、その一切が彼女抜きで勝手に進行を続けたのだ。

 ケイはそんなサキちゃんを無視してスマホを弄っていた。それが終わると、熱暴走を起こして故障のサキちゃんの小脇をつついて、彼女を再起動させた。

 ふいうちを食らったサキちゃんが短く高い悲鳴を上げて我に返った。彼女はケイを軽くにらんだが、ケイはそれも無視して上着のポケットから二枚のコインを取り出した。

「今、ミセス・ウィークエンドに連絡入れた。サキが見つかった、って。すぐに“つながり”を断つ儀式が始まる」

 ケイはコインを一枚、それからスマホを一台、サキちゃんに手渡した。「何か」から取り返してきたのだろう。サキちゃんは「あ!」と声を上げる。

「あたしのスマホ! 見つけてくれたんだ!」

「……落ちてた。それよりコイン、投げる前に伝えとく。

 戻る場所は“向こうの世界”に入ってきたとこ。だから、わたしたちはYC駅前の電話ボックスのとこだけど、サキは違う」

 サキちゃんが間抜けそうな顔で私とケイを交互に見やった。目が点になっていた。ケイがまたサキちゃんの肩を小突いて言った。

「サキは多分、K街の家の自室に戻ると思う。戻ったらすぐに雑居ビルから出て。入口でミセス・ウィークエンドが待ってるハズ。

 儀式の手筈はもう整ってる。直接サキと対面して“つながり”を断つんだって。どこでやるのかとか、どうやるかとかは、まあ会った時にでも聞いて」

「え、あたし呪いの儀式させられるの?」と、サキちゃんが困惑した。

「ヤなんだけど。フツーに。っていうか何で? 何でレヴ見つかったのにあたしが呪われなきゃいけないの?」

「……うるさい。黙って呪われろ」と、ケイが頭の上に怒りマークを付けながら言った。

「ってかもう呪われてるんだよ。デバフは重複しないから、心から安心して呪われてきなよ」

 ケイが事情も話さずそう畳み掛けると、サキちゃんがまた間の抜けた声で「ひえー」と小さく悲鳴を上げた。私は苦笑いするしかなかった。


 私たちは向かい合ってコインを手にした。コインを投げる順番は私が一番だった。次にサキちゃん、最後にケイ。手練れが殿しんがりを務める。頼もしかった。


 私は人差し指と親指でお皿を作り、コインを乗せた。ここに至って、この場にはさっきまでの弛緩した空気で満ちていた。

 どことなく間の抜けた感じ。緊張しきれない、隙だらけの空気感がこの場を支配していた。

――何とも締まりの無い結末だ、と私は思った。間延びした出来事と、落とし所を失ったような結末。


……今思い返せば全てがそうだった。釣り、ペットボトルロケットの打ち上げ、ニトリでの出来事、そして今。

 全てが同じ要素で溢れていた。私たちは突然立ち現れた危機に対して、目を覆いたくなるような対処法を選択した。

 場当たり的な処置の連続が、私たちをここに導いた。

 それはあと少しのように思えた。あと少しで何もかもが終わる。不思議と心配はなかった。きっと上手くいくのだろう。私のアテにならない直感がそう教えてくれた。

 ひとつだけ、気になることがあった。ミセス・ウィークエンドの事だった。“誤ったつながり”を断つ儀式――彼女の話に上がったワタナベ夫妻の事が、私の頭から離れなかった。


 ミセス・ウィークエンドはあの時、声を失った。悪巧みの代償。他人を傷つけようとした報い。そして今、似たような事が繰り返されようとしている。

 そう、が行われようとしている。

 “誤ったつながり“を断つ儀式。

――全てが終わった時、彼女は果たして何も失わないですむのだろうか。

 ミセス・ウィークエンドは私たちに心配させないよう、その事を隠しているのではないだろうか。あの儀式には代償が伴うのではないだろうか。

 私がそう結論付けると、胸の奥を尖ったものに突かれた。根拠は無かったが、無くはない話だった。何も出来ない自分が歯がゆかった。


 そう、私はずっと何も出来なかった。この灰色の世界でもそうだ。ケイはサキちゃんの為に痕跡の調査を行い、寝る間も惜しんで夜の街を歩き回った。

「向こうの世界」に一緒に付いて来てくれて、護衛まで買って出てくれた。

 ミセス・ウィークエンドは言わずもがな、あらゆる対策をサキちゃんの為に講じてくれた。

……じゃあ私は?

 何も無かった。

 ただ何となくこの奇妙な世界をさまよい、偶然サキちゃんを見つけたに過ぎなかった。9月の時と同じ。ただ荒々しい濁流の中で、流されてしまわないよう必死にだけだった。

 私がやった事は何一つ無かった。私がそう思っていると、頭の中でケイが言った事が思い起こされた。

「大事なのはツムギがそう思ってることなんだ。そう思えるなら、それはホントにそうなんだよ」


――私が選んだのは、祈る事だった。私はミセス・ウィークエンドの無事を祈った。私は全てが上手くいく事を、全てが元通りになる事を祈った。心のなかで、心の底から。


 私が指先のコインを高く弾くと、心地良い金属音が鳴った。落下するそれを手のひらで受け止めると表が出た。本当に表が出るんだ、と思った。

 灰色の世界。

 公平な世界。

 ここもまた正しさのひとつなのだ。そう思った次の瞬間、私は現実のYC駅前に戻ってきていた。


 街のどよめきの真っ只中で、私は呆然と立ち尽くしていた。目の前には駅前ビルの跡地があった。黄色のフェンスと、色とりどりのお供え物。雑踏のがやがやと、車の行き交うけたたましさ――どうやら帰ってこれたらしい。


 私はしばらく何を考えるでもなく、献花や供え物を見つめていた。少しだけ頭がくらくらしたが、焦点はしっかり定まった。


 そうしているとSCP部の無造作ヘアと、先日ケイに蹴り飛ばされた男子生徒がやってきた。彼らは花を手向けてフェンスに向かって手を合わせた。二人ともこちらには気が付いていないようだった。こんな会話を始めた。

「怪我は大丈夫か?」

「実はまだちょっと脇腹が痛い。あのドロップキック……見事だったな」

「ははっ。蹴られた本人が言うんだから、間違いないな。それより……今回の事件は壮絶だったな」

「まあまあ、終わり良ければ何とやら、じゃないの? あんな事があったのにけが人もいないしさ……それにあの人だって、これで報われたと思うよ」

「そうだな……でもけが人はいるぞ」

「マジ? 誰? その人大丈夫なの?」

「……お前だよ」

 無造作ヘアがそのような感傷的な一言を漏らしてその会話は終わった。それから彼らは哀愁漂う後ろ姿を見せながら、アーケード街へと消えていった。


……一体、何があったというのか。分からないが、何か壮大な物語があったに違いない。私たちの知らない、めくるめくストーリーが。

 それにしても味のある去り方だ。この画角を背景に、すぐに感動的な歌とエンドロールを流すべきだ。そう思った。いつの間にか背後にいたケイが言った。

「サキも無事帰ったよ」

「そう」

「上手くいくといいけど」

 ケイがそう不安がるので、私は「大丈夫」と言った。

「きっと上手くいくよ」

 彼女は私の言葉を咀嚼するようにうんうん頷き、片方の口角をあげてニヤリと笑った。


 ケイが肩にかけた大きな藤のバッグの入口から、レヴナントがひょこり顔を出した。何に対してかは分からないが、彼は私たちを見て「ニャッ」と肯定の鳴き声を上げる。

 私はその小さな頭を撫でながら語りかけた。

「レヴはこっちから出てきたんだね」

「そ。バッグに入れて“物”扱いしちゃえば、わたしと一緒に帰ってこれる。こいつコイン投げれないから」

「そんなゲームのグリッヂみたいなのでいけちゃうんだね」

「そゆこと」

「――まあ、確かに」と、私はレヴの頭を撫でながら言った。

「その丸い手じゃコイン投げは難しそうだ」

 私がそうやって冗談めかすと、レヴさんは元気よく肯定の鳴き声を返した。


「ニャッ」が肯定で、「ニャァー」が否定。

レヴさんはいつだって正しいのだ。

 それから少しして、グループLINEにメッセージが届いた。サキちゃんからだった。


【Paradisoで待ってる!】

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